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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The second caso:Frutta proibite.―禁断の果実―
22/120

実、八口。

 



「で、どうすんの? もう帰る?」




 廊下を歩きながら聞くも、また街中を散歩しようと言われる。


 噂を流すのが目的だし人目の多い場所にわざと行かないとね。


 小声で「人混みは疲れる……」なんてぼやくのが聞こえて吹き出しそうになった。


 気付いたのか伯爵はわたしを横目でチラリと見る。何か言われるかと思ったが、ブルーグレーの瞳は正面へと向けられた。あれ、怒らないなんて珍しい。


 コートのポケットに入れた小瓶を弄びながらわたしはこっそり目を瞬かせた。


 学院を出て街の中央へ続く通りをのんびりと歩いて行く。


 太陽は天上にあって、そろそろ昼食を摂っても良い時間帯になっていた。


 通りに面している店で歩きながらでも食べられるものを買った。貴族の食事やティータイムで(きょう)される白パンとは違い、一般市民がよく口にする丸パンを薄く切り、その上にキャベツや肉の切れ端、同じくキャベツやトマトといった具材で両方ともチーズが乗り、店の(かまど)で焼き目がつく程度に焼いたものらしい。伯爵は肉入りを、わたしはトマト入りにした。


 丸パンはいわゆるパン・ド・カンパーニュのことで、それを輪切りにした一枚は厚みはあまりないが大きい。具材もそこそこ乗ってるので適当に選んだわりに良い店に当たった。


 けれど伯爵は歩き食べという行為に躊躇いがあるのか、それとも行儀が悪いと思っているのか、手にしたままでなかなか食べ始めない。


 平然と丸パンの輪切りにかじりつくわたしを見て、諦めたように口を付けた。


 食べ歩きも結構楽しいのに。


 まあ、今だけなのだから我慢して欲しい。


 案外好みだったようで黙って二口目に突入する伯爵を横目にわたしも食べ進める。


 丸パンは焼かれてやや硬めだが具の野菜から出た水気を擦って意外と食べやすく、チーズとトマトがサッパリとしている。トマトが良い感じに酸味があって少し塩気を感じるチーズと合わさると飽きない味だ。


 食べ終えると適当に噴水の水で汚れた手を洗ってハンカチで拭い、またベンチに座って通り過ぎる人々をぼんやり眺めてみる。


 結構歩いたし、食事もしたせいだろうか。


 思い切り欠伸をしたわたしの肩が軽く叩かれる。


 何だと顔を向けようとした途端にグイと引かれてベンチの上に倒れ、驚く間もなくわたしの頭は伯爵の膝の上にあった。それが膝枕なのだと理解するのに数秒かかってしまったのは仕方が無いと思う。


 起き上がろうとしても伯爵の手が頭をガッチリ押さえているせいで身動きが出来ない。




「こら、手ぇ離せよ」




 全力でも起き上がれないほど伯爵の手には力が込められている。


 ジロリと見上げた先には楽しげなブルーグレーがわたしを見下ろしていた。




「眠いなら寝て良いよ」


「いい! 眠くない!!」


「あんなに大きな欠伸してたのに?」




 ……まさか、さっき笑った仕返し?


 眉を顰めたわたしとは裏腹にスッキリしたような顔をしているものだから、思わず舌打ちが漏れた。叱るように軽く頭を叩かれる。


 いくら噂になるようにするとは言ってもこれは羞恥プレイ過ぎる。年上の男に膝枕してもらうなんてわたしにはご褒美ではなく拷問だ。いくら顔が整ってるイケメンでも嬉しくない。


 かと言って今起き上がったら興味津々でこちらを見てるであろう人々と目が合いそうで嫌だ。


 結局わたしは諦めて体から力を抜いて伯爵の膝に頭を任せた。


 教会では子どもたちの世話に追われて正直少し疲れていたし、こうやって寝ていれば噂も立つし休めるしで一石二鳥じゃないか。ちょっと恥ずかしい気もするけれど寝てしまえばどうでもいい。




「……寝る」


「おやすみ」


「フンっ」



 腹いせに挨拶をせず目を閉じる。すぐに子ども染みた行動をしたと気付いたけれども、頭を置いた膝が笑いに揺れたので返すのは止めた。


 ……そのまま足が痺れて立てなくなればいいんだ。


 ゆっくりと訪れる眠気に身を委ねて、わたしは眠りに落ちた。






* * * * *






 目が覚めた時には日がかなり傾き、通りを行く人々もだいぶ疎らになっていた。


 ちょっと昼寝をするつもりが完全に熟睡してしまったとしか思えない。


 性質の悪いことに何かあれば起こしてくれるだろうと思っていた伯爵まで、ベンチの背に寄りかかって静かに寝息を立てていた。


 眠っている伯爵の顔は普段よりも少し幼く見えるがそれでも美形である。誰だよ人間の寝顔は不細工って言った奴。どう見てもただのイケメンじゃん。そんなくだらないことで少し腹を立てつつ、さてどうやって起こそうかと思案してみる。


 叩き起こすか、それとも声をかけて起こすか。


 ……いっそのこと、ココに置き去りにしてやろうか?


 寝る前にああもからかわれたのだから、それくらいしたって罰は当たらないだろう。


 そっと膝から頭を上げて体を起こす。伯爵は背もたれに寄りかかり、左腕を背もたれに乗せて頬杖をつくようにして眠っている。少し下がってしまっている眼鏡と微かに開いた口という無防備さが普段のクールな姿と違ってなんだか面白い。


 置き去りにしたら何時まで寝ているんだろう?


 起きた時にわたしがいなかったら怒るだろうか?


 それとも焦って心配するのだろうか?


 ムクムクと湧き上る悪戯心に導かれて静かにベンチから腰を上げる。


 目を覚ました時の伯爵の様子を想像して笑いを押し殺そうとして、不意に視界がブレた。


 あ、と思った時には既に片腕をがっちり掴まれていた。




「置き去りなんて酷いな」




 寝起きでも芝居がかった口調に、せっかく高潮していた気分が一気に下がる。


 眠気を微塵も感じさせない瞳がわたしを見た。




「チッ……なんだ、起きてたのかよ」


「膝が軽くなったからね」


「ならさっさと目ぇ開けろっての」




 つまり自分の悪戯は最初から失敗だったという訳だ。


「ああ、面白くない!」繋がっていた腕を叩いて隣りに座り直すと、不機嫌なわたしを見て伯爵が口元を手で軽く覆って笑っている。どこが面白かったのやら。わたしは面白くない。


 半眼で睨めばすぐに笑いを引っ込ませた伯爵が、それでも微かに笑みを残したまま口を開く。




「よく寝ていたね。疲れてる?」


「そりゃ慣れない環境だし」


「意外だな、君は図太いからどんな所でも大丈夫だと思ってた」


「なあ、それ(けな)してる? 絶対馬鹿にしてるよな?」


「褒めてるつもりだよ」




 はいはい、物は言い様ってやつね。


 ポケットに手を突っ込んで指先に触れた硬い物を取り出す。


 そうだった、エタノール貰ったんだっけ。


 日の光に透かしたところで中身は無色透明だ。小瓶が光を反射させて輝く姿を眺めて見る。アルコールっぽい独特の刺激臭が微かに漂ってくるけど小瓶の中でたぽんと揺れる様は液体の硝子みたいで綺麗だ。




「ほら、暗くなるから帰ろう。送ってくよ」




 ベンチから立ち上がった伯爵が手を差し伸べてくる。


 それに自分のものを重ねてふと目が合った。


 日の光が眩しいのかやや細められたブルーグレーの瞳が鈍く輝く。鮮やかなはずの青に灰が混ざってくすんでしまったようなその色は、それでも深みを帯びて時折青い瞬きがちらついた。




「……あんたの目って宝石みたい」




 お芝居も忘れてポロリと落ちた言葉に、伯爵の瞳がレンズ越しに僅かに見開かれる。


 そんなに驚くことでもないだろうに。


 すぐに何時もの静かな目に戻り、グイと勢い良くわたしをベンチから引き上げた。




「誰彼構わずそういうことを言うな」


「何で? 褒めてんじゃん」


「何ででも、だ」




 小声で交わされる言葉は芝居が抜け落ちている。


 よく見るとブルーグレーの目元が薄っすら赤い。……照れてる?


 やや乱暴に腕を引かれて噴水から離れ、そんな行動に思わず声を押し殺して笑う。


 教会の門前まで送ってもらい、その後ろ姿が見えなくなってからあることに気が付いた。


 エタノールの小瓶もついでに屋敷へ持っていってもらえば良かった。


 指先に感じる硝子の固さに少しだけ眉を下げつつ、わたしも教会の中へ戻っていった。






* * * * *






 それから更に数日後の真夜中、月明かりを頼りにわたしはやや寂れた細い路地を歩く。


 光源を一つも持たずにひたひたと足音を殺しつつ、上着のポケットに手を突っ込んで少しよれた封筒を取り出し、月の淡い光の下へ晒す。


 手の中にあるのは淡い茶色のシンプルなものだ。


 その日の昼過ぎ頃に教会へやって来たエドウィンさんから渡されたそれには、たった一言「今夜十二時」と記された便箋が一枚入っている。修飾どころか主語すらない文だけれど、送り主が誰かは明白だった。


 夜になっても元気な子供達を何とか寝かしつけ、神父やシスター達の目を盗んで部屋を抜け出し、今現在に至る。一応数少ない荷物をベッドの上に積んで人型っぽくしてシーツをかけた。見回りで扉から確かめる分には寝てるように見えるはずだ。


 目的地が近くなったので封筒をポケットに仕舞い、よりいっそう息と足音を潜めて歩を進める。


 街中でありながら、周囲から隠すように木々が生え、朽ちかけた木製の柵で分け隔てられたそこは墓地だった。真夜中の待ち合わせが墓場だなんて笑えないが、密会するならある意味適した場所だとは思う。


 元の世界の過去の時代に似たこの世界も同じ部分が多い。例えば中世から近世辺りは特に墓掘りや死刑執行人は人々から忌み嫌われて差別を受ける。それは親子共に受けるのだ。子は学校にも通えず、病院へも行けず、他職の者の結婚も許されない。人々のカースト制度の外側に位置する最も差別されている不可触賤民(ふかしょくせんみん)なのだ。


 ()を穢れとし、それに深く関わる仕事に嫌悪と恐れを感じるのかもしれない。


 わたしからしてみればどちらも必要かつ重要な職業である。


 墓掘りはいわゆる墓守で、墓地に穴を掘り、埋葬して埋め戻し、墓を整備する。この職業がなくなった時、人々は亡くした親族や友人を自ら埋葬しなければならなくなる。しかし誰もやりたがらない。


 処刑執行人もそうだ。拷問官も兼ねており、実は医学に明るく、数ヶ国語を話せる者も中にはいる。処刑を行うためにギロチンなどの手入れも行い、いざ実行されるとなれば使われる道具や見物人対策の柵なども用意しなければならず、罪人であれ人を殺め続けられるタフな精神が求められる。


 両者共に一般人が代わりに行うのは困難な専門職なのである。


 死んだ家族を守ってくれる墓守に感謝し、罪人の処刑を行う処刑人の忍耐力を称賛や労わりこそすれ、蔑まれるなんてどうかしてる。


 やや湿った土の地面を踏むとブーツの底で砂利が微かに鳴いた。


 幽霊を怖がる人だったら絶対回れ右して帰るだろう景色が広がる。


 整然と並ぶ墓標は触れたら倒れてしまいそうなほど古いものが多く、所々の地面には掘り起こされた形跡が見られた。これから使うのか、ただ掘ってあるだけなのか、口を開けた墓穴もいくつかある。


 それらを横目に通り過ぎてポツリと建つ小さな廃屋の前で立ち止まり、辺りを見渡した。


 人影がないことを確認し、ボロボロの扉を爪で横にカリカリと擦り、爪先でカツカツと二度叩く。それをもう一度繰り返す。中から微かに同じ音が返って来る。


 押し開けて中へ滑り込んで即座に扉を閉めると薄ぼんやりとした明かりが灯る。




「時間通りだな」




 既に中にいた人物、伯爵が片手に布のかかったカンテラを持ちつつ懐中時計を仕舞う。




「お待たせしてしまいましたか?」


「そうでもない、私も先程来たばかりだ」




 近寄るとカンテラの独特な油の臭いがした。


 隙間風のせいで布の下で灯火(とうか)が心許なく揺らめく。


 布によって抑えられた光は薄暗く気味の悪い生き物みたいだった。




「それで、今回のご用件は?」



 薄暗い光を反射させてブルーグレーが一つ瞬く。




「頻繁に教会を出入りしている者を見かけなかったか?」




 質問に答えず逆に問い返され、ここ数日の教会の様子を思い出してみた。


 他の教会にいる子供や神父、シスター達がたまに来ることはあったけれど、頻繁と呼べるほどでもない。近所の人々もあまり来ていないし物騒だからと教会の子供達も近隣の子供も外出を控えさせている。




「恐らくいないと思いますが」


「そうか」




 伯爵お決まりの顎に手を当てて考える仕草にわたしも待つ。


 床に落とされた視線を何となく辿って同じ場所を眺めてみた。


 もちろん、それで伯爵の考えている内容が分かる訳もないのだが。




「なら、教会で育った子供達が関心を持つものは何だと思う?」


「パッと思いつくものは、食べ物やお金ですね」




 金銭的に厳しい中で暮らしているため口には出さないものの、子供達の食べ物やお金などへの執着はかなり強い。満足にご飯を食べたい、新しい衣類が欲しい、欲しいものを得るにはお金が必要だ。


 小さいながらも子供達はしっかりとそういったことを理解している。



 

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