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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
#The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―
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蔦、五葉。

 



 洗濯屋の恐らく主人なのだろうアンさんに挨拶をして馬車に戻り、次の目的地へ向かう。


 これで最後だが、水売りの仕事というのはまだやっているのだろうか。


 早朝から仕事はありそうだけれど、午後も仕事はあるのだろうか。




「水売りも一日中やっているのでしょうか?」




 ディアドラさんからもらったドライフルーツ入りのクッキーを食べているリースさんへ疑問を口にすればキョトンとした顔をされた。


 そしてきちんと口の中のものを飲み込んでから一つ頷いた。




「やっていますよ。どうしても一日かかってしまうんです」


「と、言うと?」


「水売りは大体決まった家の水を運ぶことが多いのですが、御老人だけの家や上階の家などそれなりの数の依頼を受けますので一軒にかかる時間が短くてもあちこち回るから一日がかりになるんですよ。天気の悪い日はもっと依頼が増えますし」


「ああ、天気が悪いと外に出るのが億劫になりますからね」


「そうなんですよ」




 意外と需要があることにちょっと驚いた。


 話に聞いている分には水を運ぶ仕事というより若干便利屋といった感じがするからだ。


 でもお年寄りの家や三階に住む人にとっては毎日水を運ぶ作業は大変だろうし、幾らか払ってそれをしてもらえるのなら、その方が良いかもしれない。




「上水道……下水のように、各家庭に筒を通して水を供給出来ないものですかね」


「どうでしょう。下水だけでも相当お金がかかったと聞きますし、そうなったら水売りは仕事がなくなってしまうから、私は多少不便でも今のままでもいいと思いますけど」




 リースさんの言うことも一理ある。


 上水道を作るために増税したら市民の生活を圧迫してしまうし、水売りを生業とする人も王都の広さを考えれば結構いるはずだ。その人達が職にあぶれるのは困る。彼らを上水道の管理業務に回せば仕事は出来るものの、修繕費や管理費用などの捻出の問題もある。


 絶対なければいけないという訳でもないので現状維持が一番なのかもしれない。


 段々と揺れの感覚が広がっていくのを感じたのかリースさんがクッキーの袋を閉じる。


 少しして馬車が停まり、到着を告げられる。


 最後の目的地は広場だった。すぐ近くに大きめの井戸があり、そこから水を引いているらしく広場の中心には小さな噴水があった。そこは憩いの場になっていて、近所の人だろう老人達が噴水の縁や道端のベンチなど思い思いの場所に腰掛けて午後の時間をゆったりと過ごしている。




「あ、あそこにいるのが水売りのディジャールさんです」




 横を駆け抜けた子供達をつい目で追いかけているとリースさんが井戸の方を指差した。


 顔をそちらへ向ければ、丁度井戸のところに男性が立っていた。


 リースさんと共に近付けば向こうもこちらに気付く。




「よう、久しぶりだな」




 親し気にリースさんへ話しかける男性は近くで見ると細身だけど筋肉質だった。


 銀というよりかは鉄色に近い髪に鋭い金の瞳、肌は色黒で、この国の人達とは人種が違うのだと一目で分かる。それに恐らくだが背もこの国の人達より高い。




「この間も会ったばかりですよ?」


「毎日大勢と顔合わせてるから、この間って言っても随分前に感じる」




 笑うリースさんに男性は軽く小首を傾げた。


 そうしてわたしを見つけて、ダークグレーの瞳を瞬かせた。


 先ほど異国の者だと驚いたわたしと同じ反応だった。




「そっちの奴は?」




 手に持っていた桶を置き、顎に手を添えてしげしげとわたしを眺める。


 髪の色とその仕草がどこか伯爵に似ていて不思議な気持ちになった。


 伯爵もこの国では長身だ。それにあの銀灰色の髪も他に見たことがない。


 何だかそう思うと似ているところばかり探してしまう。


 


「この間言っていた見学をしに来た人よ」


「へえ。アンタ、この国の人間じゃないよな?」




 男性の言葉に頷き返す。




「はい、セナと申します。生まれは遥か遠くの国です」


「俺はディジャールだ。この国じゃあ俺もそこそこ目立つけど、アンタの方が目立ちそうだ」


「肌の色もそうですが顔立ちがそもそも違うでしょう? これでも十八歳ですけれど、彫りの浅い顔立ちのせいで幼く見られてしまうのですよ」


「ああ、確かに。俺の国でもアンタは十八には見えないな」




 差し出された手を握り返す。皮の厚い手は大きく力強かった。


 近寄り難い鋭い見た目とは裏腹に性格は穏やからしい。


 少しからかう口調ではあったが、見下ろしてくる金の瞳は柔らかい光を宿している。


 互いに手を離し、ディジャールさんが井戸の滑車に繋がる縄へ手をかけ、それを引く。カラカラと滑車が軽い音を立て、下を覗き込めば水の入った桶が上がって来るところだった。


 上がって来た桶を掴んで中身の水を足元に置いた桶に移す。


 そして空になった桶を井戸の底に落としてまた水を汲み上げる。


 何度かそれを繰り返せば足元の桶は水で満杯になる。




「これをあそこの三階まで運ぶ。……あの家は年取ったばあさんしかいないんだ」




 あそこと指差された場所はやや離れており、三階建ての家だった。


 恐らくアパートなのだろう。


 お年寄りが三階までこれを運ぶとしたら、少量ずつ何度も往復しなければならない。


 飲み水、顔を洗う用、食器を洗う用、手を洗う用、トイレ用と水は何かと入用なので量もかなり必要になる。流石にそれを毎日三階まで運ぶのはお年寄りには無理だ。




「他にもまだ回るところがあるから、見たいなら勝手について来てくれ。ああ、リースはここで待ってろよ」




 ディジャールさんの言葉にリースさんが抗議の声を上げた。




「ええ? 私も行きます!」




 しかしそれも即座に切り返される。




「大勢で押しかけたらお客に迷惑だろ」


「…………分かりました」




 仕事の邪魔になるのであれば仕方がないと諦めがついたらしい。


 こちらを見て「大丈夫ですか?」と言うので「ついて行くだけなので大丈夫ですよ」と答えた。その横でディジャールさんが面白いものを見つけたような顔で目を細めたのが少し気になった。


 水の入った二つの桶は頑丈そうな革のベルトとアーチ状の木枠で繋がっている。


 ディジャールさんはアーチ状の木枠の間に立ち、屈んで革のベルトを肩にかけ、桶に繋がるベルトの両端を持って真っ直ぐに立ち上がった。アーチ状の枠のお蔭で桶はあまり揺れていない。


 水売りの持つ桶を間近で見るのは初めてだが面白い。


 桶を肩に担いで歩き出すディジャールさんの足取りは軽く、桶の揺れの小ささからしても、この仕事を始めて長いのだろうことはすぐに見て取れた。


 邪魔にならぬようにその後ろをついて行く。


 …………ああ、リースさんが聞いた「大丈夫ですか?」は「ついて行けますか?」という意味だったのか。


 暫し歩いてそのことに気が付いた。


 伯爵と同じくらい背の高いディジャールさんと、この国では比較的小柄な部類に入るわたしとでは、まず歩幅からして違う。コンパスが違えば歩く早さも当然変わる。


 結果、ディジャールさんは走っていないのにわたしは小走りで追いかける形になる。


 先ほど面白そうな顔をしていたのはそういうことだったのか。


 元の世界にいた頃のわたしであればそう長時間はついて行けなかっただろう。運動嫌いではないけれども、普段の運動量が少なかったので体力もなく、持久力もない状態だった。


 だがこちらに来てからはとにかく自分の足頼りで動くので体力がついた。


 休日も足が棒になるくらい街を歩き回るし、運動もよくするようになった。


 お蔭でディジャールさんの速度について行くのは然程苦ではない。


 道行く人を避けながら目的地へ向かうディジャールさんの後を、見失わないよう付かず離れずの距離を保って小走りで追いかける。


 勝手について来いと言いながらも時折こちらを振り返るディジャールさんの仕草は本当に伯爵に似ていて、半日も離れていないのに寂しい気持ちが一瞬胸を過ぎった。


 その感情にフタをして長身の背を追う。


 三階建ての家に着くとディジャールさんが扉を叩いた。


 中から出て来た中年の男性が「今日は少し遅かったね」と扉を開けた。




「ちょっと俺の仕事を見たいって酔狂な奴が来てな」




 顎で示されて、男性へ向けて浅く会釈をする。


 水売りと少々身なりの良い少年――わたしは男装してるので――という奇妙な組み合わせに、男性は不思議そうな顔をしながらも「まあ、あんたが連れて来たんなら大丈夫だろう」と通してくれた。




「信用されているんですね」




 階段を上がりながら前を行くディジャールさんへ言う。




「そりゃあそうだ。水売りはこう見えて信用第一だからな。俺は川の水も屎尿(しにょう)混じりの汚い水も絶対に運ばない。絶対に井戸水だけ。そこが俺の売りだ」


「そんなものを売る人もいらっしゃるんですね……」


「楽して儲けられるならどうでもいいって奴は多いのさ。でもそんなものを売ればお客は体調崩すし、次はもう依頼されないだろ? 地道に信用を得て稼ぐ方がいいんだよ」


「そうですね、固定客がつけば収入も安定するでしょう」


「ああ、それが一番大きい」




 話しながらもヒョイヒョイと長身は階段を上がっていく。


 何気なく二段飛ばしで駆け上がっていくので追いかけるのが大変だ。


 三階まで上がると左右にある扉の右側をノックした。




「ばあさん、水持って来たぞ!」




 ディジャールさんが声を張り上げれば少しして扉が開く。


 中から出て来た老齢の女性が安心した面持ちでディジャールさんを招き入れた。


 後ろにいるわたしに不思議そうな顔をしたものの、階下と同じやり取りをして、やはりあっさりとわたしも入れてもらえたので驚いた。


 ディジャールさんは勝手知ったるといった様子で廊下を進み、キッチンまで入ると大きな水甕に桶の中身を移し始めた。あの大きさの甕だと何度か往復しないと満杯にならないだろう。


 水を移し終えたディジャールさんが空になった桶を担ぐ。




「じゃあ後二回来るから。そこの坊主、ちょっと預かっててくれ」




 思わずわたしは「え?」と声が漏れた。


 女性はのんびりと頷く。




「ええ、いいわよ。お水、よろしくね」


「ああ」




 片手を上げて「じゃ、アンタはばあさんの相手よろしく」と出て行ってしまう。


 初対面の相手をお客の家に置いていくなんてあり?


 唖然とするわたしを余所に女性は「ここに座ってね」なんて椅子を示す。


 とりあえず言われるがままに座り、女性が淹れてくれた紅茶を飲むことになった。


 ……いや、意味が分からないんだけど。




「ええと、お茶菓子はどこにあったかしら……」




 女性が棚を開けて探し出したのでわたしは声をかけた。




「あ、頂き物でよければクッキーがあります。それでよければ」


「あら、じゃあいただこうかしら」




 差し出された皿にクッキーを出せば、女性が「ドライフルーツ入りね。私、これ好きなのよ」と両手を合わせて嬉しそうに笑う。


 席に女性が座ったのでわたしは出された紅茶に口をつけた。


 椅子のない場所に一つだけ紅茶の入ったティーカップが置いてある。




「見学と聞いたけれど、どうして見に来たの?」




 質問され、カップをソーサーに戻す。




「実はわたしのお仕えする主人が『小鳥の止まり木』に支援をしようと考えておりまして、今日はどのような活動をしているのか確認するよう言われて来たのです」


「ああ、だからなのね。……さっきの彼、ディジャールさんは異国の方でしょう? 最初、この国に来た時に働き口がなくて困っていたところを『小鳥の止まり木』のリースさんっていう方が見つけてね、今の水売りと住む場所を紹介してくれたそうなのよ。前にそう言ってたわ」




 得心のいった様子で何度か頷く女性にわたしもなるほどと思う。


 リースさんとディジャールさんが親しげだったのはそういうことか。




「へえ、異国の方にも支援をしてるというのは初めて聞きました」




 他にも似たような慈善団体はあるが、自国民優先と公言するところは多い。


 この国で集めた金品をこの国の者に与えるという仕組みは分かる。


 しかし、他国の人間だからと相手を選んで行う施しが本当に慈善活動と言えるのかと疑問もある。




「そうね。こう言っては良くないかもしれないけれど、他所の国から来た人というとなかなか受け入れられないことが多いもの。彼は見た目が怖いから余計にね」


「確かにちょっと目付きが鋭いですよね」


「ふふ、でもとっても良い人よ。こうして毎日水を運びながらお客さんが元気かどうか見て回っているの。前に風邪を引いて具合が悪くなったことがあって、彼が近所の薬師を呼んでくれたり、食料品を買ってきてくれたりして凄く助かったわ。今でも『どうせ下へ行くから』ってゴミを出してくれるのよ」




 女性がクッキーを一口食べて「あら、美味しい!」とふんわり笑う。


 話を聞くだけで、ディジャールさんにどれだけ信頼を寄せているかが分かる。


 玄関の方で音がして足音が近付いて来る。


 振り向けばディジャールさんが丁度キッチンへ入って来た。




「何だ、もう仲良くなったのか?」




 テーブルを横切り、ディジャールさんが甕に水を注ぐ。




「ええ、この子がクッキーをくれたからお茶にしてるのよ。これは貴方の分」


「そりゃあどうも」




 置きっ放しになっていたティーカップを女性が手で示す。


 水を注ぎ終えたディジャールさんがそれを勢いよく(あお)った。


 そうか、すぐ飲めるように冷ましていたんだ。


 ついでとばかりに女性がクッキーを一枚摘まんでディジャールさんに食べさせる。


 両手に桶を持って、ディジャールさんは口をもごもごさせながら部屋を出て行った。


 玄関の扉の閉まる音がして、足音が遠のくと女性が笑う。




「彼を見てると息子を思い出してつい構いたくなっちゃうのよ」




 そう言った女性の顔はまさしく母親のそれだった。



 

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