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重畳ですらなかった

「では、始めようかの」

「はい」


 ヒーレラの発言に答えるウルマスは、本作戦における報告を始めた。


 憲兵隊のみならず、冒険者、商業、林業ギルドを巻き込んだ大規模捕縛作戦の終結についてと、その後に関わる重要案件の事後報告を、パルムの代表者とも言える重役たちが集う会議室で伝えられた。


 しかし、憲兵隊長のウルマスから聞かされた詳細は一同の想定を遥かに超えるもので、笑顔を絶やすことはないと言われる商業ギルドマスターのクロヴァーラでさえ、非常に険しい表情をしながら絶句してしまう内容が含まれていた。


「……間違い、ないのね?」

「検証する必要はありますが、おおむね正しいと認識しています。

 残された物品と押収した書類だけでは専門的な知識を要しますので確たる証拠はまだ掴めていませんが、まず"シピラ"で間違いないと思われます。

 同時に、パルムに対して大規模攻撃される半歩手前だったことも付け加えます」

「……クズ共が……」


 怒りを抑えきれず、マルガレータは呟くように言葉をもらした。



 シピラ。

 幻覚作用が非常に強く、重度の後遺症を与える劇物だ。

 吸引した者の正常な判断力を著しく低下させ、強烈な強迫観念による影響で視界に映るものすべてに襲いかかる、世界でも禁止薬物に指定される劇薬である。


 つまるところ行動が少しでも遅れていれば、想定していなかった地獄のような事態がパルムを襲っていたことは間違いなかった。


「……なんて……恐ろしいものを……」


 冷汗をかきながら、顔面蒼白で言葉にするヒルダ。

 彼女は仕事柄、薬師とも接点を持つことが多く、薬物にも知識が豊富だ。

 この会議室にいる誰よりもシピラに関しては詳しい。


 どんな効果を持つのか。

 どれほどの範囲を覆うのか。

 薬物の影響も、対処法も知る彼女だからこそ震え上がる。


 治療薬など未だ確認されていない。

 もし発見できたら、それだけで世界中から賞賛される。

 そういったものを連中は何のためらいもなく使おうとしていた。

 この現状を知って恐れない者のほうが異常だと断言できた。


「幸い、直前で止めることは叶いましたが、連中の拠点には数名の実行部隊が待機しており、即時に拘束されています。

 すべては町に戻ることを良しとせず、即席でも調査隊を派遣するべきだと判断したハルトのお陰です。

 あくまでも可能性のひとつにすぎないため、少数精鋭での行動となりましたが、最悪の結果を阻止した形となります」


 彼の行動力なくしてパルムの平和はありえなかった。

 それを理解する一同だが、真っ先に言葉にしたのは町長であるヒーレラだった。


「本作戦の中核をなしただけではなく、非常に厄介で危険な魔物の討伐に加えパルムの危機すらも救ってもらえたのか……。

 ……本当に、ハルト殿には頭が上がらないな……」

「魔物に関しては、"ティーケリ"を単独撃破するに相違ない実力を示した。

 私も本作戦にハルトの起用を強く提言したが、それ以上の働きをしてもらえたようだな。

 感謝を言葉と報奨金でしか示せないのは歯痒いが、金で喜ぶような男でもない。

 何かパルムができることはないものか……」


 そう言葉にするマルガレータだが、何か特別な報酬を与えたところでハルトが喜ぶ姿は想像できなかった。


 実際、彼は報酬のために動いたわけではない。

 ハルトはパルム住民の安寧のためにと快諾してくれた。

 そんな彼にできることなど本当に何もないのかもしれないと一同は強く感じた。


「……ハルト殿には驚かされてばかりだからのぅ。

 さすが、マルガレータが一目置く御仁よの」

「まさか、ひと目で全身に雷が落ちるほどの凄まじい衝撃を感じさせる強者だとはさすがに想定外だったが、聞けば幼少期から武術を真剣に習っていたそうだ。

 それに裏付けされる精神力もしっかりと備わっていたが、ハルトの凄みはそれどころの話じゃないな。

 学んだ武術そのものが理解できないほどの威力を秘めていることは間違いない。

 肉体的、精神的な強さに加え、他を圧倒する技術力の高さ。

 結果的に見ても、ランクSどころの技量じゃ収まらないと断言できる。

 隔絶された強さとはいっても、セラフィーナよりも遥かに強いぞ、ハルトは。

 あの若さで到達できる領域とは思えないほどにな」


 マルガレータの言葉に唸る一同だが、町を救ってもらえた功績は計り知れない。

 街道の盗賊と町中に潜伏した盗賊、並びに指揮者を捕縛し、下手に手を出せないほど厄介な魔物をまとめて討伐した上、連中の拠点すら発見するに至った行動力と危機管理能力の高さには、もはや脱帽というほか表現のしようがなかった。


「……彼が町を訪れていなければ……彼が本作戦参加を辞退していれば……。

 そして彼が調査をするべきだと思わなければ、パルムは本当に崩壊していた。

 ……思えば、連中が思い描く狙いもそれだったようだからの。

 いくら指揮経験のある"盗賊に堕ちた者"だと推察していたところで、そこまで恐ろしい策略を目論んでいたとは想定の範囲を大きく逸脱しとる。

 ……情けない限りだが、もっと広い視野で思慮するべきだったの……」


 仮定の話をしたところで意味はない。

 だが、それでもそうなっていた可能性に震える一同だった。


 ひとたび放たれれば、そのすべてを崩壊させうる力を秘めている。

 "シピラ"とは、劇物と呼ばれることすら生ぬるいものとして扱われていた。


 それを阻止できたことは"重畳"ですらなかった。

 文字通りの意味でパルムの救世主となったことを、馴染みの店で戦友たちと楽しげに夕食を取っている彼自身は知る由もなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  こんな劇薬じみたクスリを使う積もりだったのなら、「本隊」はすぐにでも行動を起こす段階だったのかな。  相手の国を内側から腐らせるならそれこそイギリスが清にやったみたいに常習性が高く快楽に溺…
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