明確な理由なんて
静まり返る裏通りは、静寂に包まれていた。
すでに戦いの気配も収まった以上、この場に留まる必要もない。
ヴァルトさんからすれば、個人的に思うところも多いだろう。
それでも、このまま戦わずに通れるのなら、それに越したことはない。
これ以上の諍いは魔王を楽しませるだけだからな。
「ヴァルトさん、行こう」
「……あぁ」
「せ、先輩……」
戦意をなくした彼は、縋るように声をかけた。
やはり、副隊長の座には早過ぎたようだな。
一瞥もせずに彼を通り越したヴァルトさんは、背中越しに答えた。
「これ以上、お前と話すことはない。
二度と俺たちに剣を向けないことを願ってる」
そう言葉にした彼の表情はとても寂しそうだった。
随分と一緒にいたみたいだから、それも当然だ。
まさか敵として対峙するとは思っていなかった彼としては、まるで心を切りつけられたような強い衝撃を受けたんだろう。
しかし魔王からすれば、ヴァルトさんに精神的なダメージを負わせたところで大きな意味などないはずだ。
そういった愉快犯にすらならないような手出しを、今後もされると考えたほうがいい。
彼の気持ちを思うと、強い苛立ちが募る。
意味のない行動でこちらを嘲笑ってやがるのか。
それとも、何か意図があっての行為なのか?
……いや、そんなはずはない。
もしそうだとすれば、これまで一切手を出さなかったことが腑に落ちなくなる。
むしろ他国にいる間に狙ってきた方が、王都に入った後よりも警戒が甘かった。
……ないんだ、明確な理由なんて。
今回の一件でそれが浮き彫りになった気がした。
「……どこまで腐ってやがるんだ、魔王は……」
思わず声に出てしまった。
それだけ俺も苛立ちを抑えきれないのか。
「……落ち着きなさいな。
あなたの戦いはこれからでしょう?」
「……はい」
クリスティーネさんに諭されるような声色は、俺の心を平穏にした。
不思議な気持ちだな。
穏やかになれる波長なのか、それとも何か別の影響が俺の中で起きたのかは分からないが、少なくとも冷静さを取り戻させてもらえたようだ。
「ありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらず」
とても嬉しそうに彼女は答えた。
なるほどな。
レイラが慕う理由が良く分かる。
とても不思議な魅力をお持ちのようだ。
「……ね、素敵な方でしょ?」
「あぁ、そうだな」
本心から思った。
彼女の気配はどこかで感じたことがある。
……そういえば、祖母が似たような波長をしていた気がするな。
もう随分前に亡くなってるし、そうでなくとも確かめようのないことではあるんだが、少しだけ祖母と似ているのかもしれない。
妙な懐かしさをほのかに感じながら、ヴァルトさんの指定した店まで歩いた。
とはいえ、10分ほどで到着した。
これは揉めた場所から目と鼻の先になるんだが、あの様子じゃもう関わってくることもなさそうだし、大きな問題にはならないだろうな。
「ここだ。
酒場だが、店主は料理も作れるから腹が減ったら頼むといい」
「……おい、いいのかよ。
さっきの場所から全然離れてねぇし、裏通りに店があるんじゃまた騎士に囲まれるぞ」
「いや、問題ないだろう。
フェリクスは戦う気力をなくしてた。
それに真実を教えれば下手に首を突っ込みかねない。
技術も精神面も、この場には相応しくないからな」
だからこそ彼に話さず、ヴァルトさんは行動を起こしたんだ。
いち兵士や騎士が関わっても逆に利用されるだけだろう。
今度は命の選択を強制的に迫らせる手に出るかもしれない。
「……俺も、あんな感じだったのかな……」
「カナタ君はもっと酷かったですよ。
レイラがいれば悪い方へ流れたりすることもないとは思ってましたが」
「そうですね。
召喚された当初、ハルトさんに指をさして大笑いした貴方の姿は、本当に不安な気持ちにさせられました。
しかし勇者としての資質は確かにあると感じ、旅に同行するアイナに護ってあげて欲しいと伝えましたが、よもやここまで成長するとは、さすがに想定外ですよ」
やはり、あの時感じた危うさにふたりも気づいてたんだな。
不安に思わないのは指導者としても失格だと思えるし、俺の判断は間違いじゃなかったようだ。
「……すべてはハルト君のお陰です。
彼がいなければ、勇者育成計画も頓挫してました」
「カナタは私たちの言うことを聞いているようで、まったく聞き入れてはくれませんでしたからね。
あのままリヒテンベルグに到着していれば、どうなっていたことか……」
それは俺も何度考えたか分からない。
本当にぎりぎりだったのかもしれないな。
思えば一条とトルサで再会できずに旅立っていれば、別の道に大きくズレていた可能性も十分に考えられた。
……考えたところで、いまさら意味なんてないんだけどな。
「ともかく入ろうか」
「そうだな」
立ち話をしても仕方がないからな。
正直、このパーティーは目立ちすぎる。
アイナさんとレイラだけでも相当なのに、誰もが知るだろうふたりが武装したまま一緒にいれば騒ぎになりかねない。
王都の住民を不安にさせる行動は、なるべく慎むべきだ。
先導したヴァルトさんは扉に手をかけ、ゆっくりと引いた。
心地良いドアベルの音が耳に届き、ようやく落ち着けるなと彼の後に続きながら俺は思った。




