元気そうで何よりだ
「……とうとう、ここまで戻って来ちまったな……」
「……あぁ、そうだな」
感慨深いというよりも、緊張感を強く含ませた気配で一条は答えた。
目と鼻の先まで戻ってきたんだから、そう感じるのも当然か。
気負い過ぎてる様子はないし、この状態なら大丈夫だろう。
"トルサ"
およそ3000人が暮らす、とても小さな町だ。
日本で言えば村と呼ぶのが適切と思える規模の総人口だが、人々の往来には活気があり、また鉱山町でもあることから力強い熱気を感じさせる印象が強かった。
実際、ここから王都までは3時間ほど歩けば着いてしまう。
周囲の魔物も弱い者が多く、街道は頻繁に王国騎士団が間引いてることもあって、とても穏やかな暮らしができる場所とも住民からは認識されている。
しかし林から森へと向かうと、盗賊団が根城にしてるとの噂がある。
この世界に来たばかりの俺がヴァルトさんから情報を聞いていなければ、不用意に森へ向かってた可能性も考えられた。
もっとも、盗賊が出るのは随分と前の話だし、森の奥地まで行くとティーケリがいたはずだ。
それなりに街道から離れていない場所に潜んでいるのは間違いなさそうだな。
さすがに今現在は捕縛されているかもしれないが。
「ひとまず街門を通って、厩舎に向かおう。
馬に無理はさせてねぇが、馬車に括りつけたままじゃ可哀想だからな」
手綱を握りながらサウルさんは話した。
今回はハールスから向かうこともあって御者を引き受けてくれた。
元々本職でもあるし、何よりも馬を引きたいんだと彼は言葉にした。
もしかしたら馬を走らせながら、これまでのことを振り返っていたのかもしれないな。
こんな話をすれば、サウルさんは『そんなんじゃねぇよ』と笑い飛ばすだろうけど、きっと寂しそうな瞳で遠くを見ていたんじゃないかとも思えた。
人には人それぞれの、"大切なもの"がある。
いくら覚悟を持ったとしても、やはり旅の終わりが近づけば違った感情が溢れてくるものかもしれないし、それを無視して進めば後悔に繋がるような気がするから、できるだけ自分がしたいこと、やりたいことを優先するべきなんだろうな。
「……やっぱいいな、馬ってのは。
素直に言うことを聞くやつもいれば、マイペースなやつもいる。
こうして訓練された馬でも、走らせてみなきゃ分からねぇのが魅力だよなぁ」
「そうなのか?
いつも通りに大人しく見えっけど?」
「全然違うぞ。
こいつは"食いしん坊"だな。
旅の最中、わりと草に視線が移ってた。
かといって食ってばかりでもねぇんだが、魔物に敏感で怖がりなところもある。
片付けるとそれをしっかり理解してるから、安心したように落ち着くぞ」
「へぇ、そんなことまで分かるのか。
さすが本職ってところか?」
「こいつは分かりやすい性格だからな。
手綱から感じる微妙な振動の変化や耳の動き、視線の方向や息遣いなんかで大体わかるもんなんだよ」
楽しそうに笑いながら話すサウルさんだが、少しだけ寂しい気配を纏っていた。
パルムからハールスまでの街道もお願いするべきだったか。
そんなふうに考えてしまう気配だった。
「……変な気、使わせちまって悪ぃな」
「んなこと気にすんなよ。
それに馬好きってのは、"いいひと"の証拠だからな。
こいつもサウルの気持ちを良く分かってんだろ」
「馬好きはいい人なのか?
初耳だな、アタシは」
「なんだよ、知らねぇのか?
鳴宮なら分かんだろ?」
「一条が言わんとしてることなら分かるつもりだが、正しい知識かどうかは分からないぞ」
「十分だ。
教えてやれよ、ヴェルナに」
そこは自分で言うべきじゃないか?
……まぁ、いいか。
いつものことだからな。
「馬は人の感情に敏感だと聞く。
"馬が合わない"なんて言葉もあるように、人が馬を気に入っても振り落とすことがあるらしい」
「……つまり、馬に好かれてなければ馬車を動かせないってことなの?」
「そう聞いたことがあるだけで、実際にどうなのかは分からないぞ。
ただ、しっかりと馬の挙動を理解してるサウルさんは馬からも信頼されてるみたいだし、この子にとっても楽しい旅だったんじゃないかな」
そう思えるのは俺だけかもしれないし、実際に間違っていることだって考えられるが、今もゆっくりと歩み続ける子から発せられた気配はとても穏やかなものだ。
きっとそう感じてるんじゃないかと俺には思えたよ。
「……だったら、いいな……」
ぽつりと呟いたサウルさん。
その言葉はとても小さく、車輪の回る音で消えてしまいそうだった。
ここから王都まで、およそ3時間。
だがそれは、徒歩での話になる。
まだ決めていないが、馬車で行けば1時間とかからないだろう。
体力的にも3時間歩くのはあまり良くないし、馬を使うことはほぼほぼ確定だ。
でも、たった1時間の旅を楽しむ余裕はないはずだ。
ある意味で死地に向かうわけだからな、俺たちは。
どうなるのかも見当がつかないし、最悪の場合は街門で戦闘になる可能性だって十分に考えられる。
そうなれば馬も狙われかねないから、決めあぐねているのが本音だな。
東側に造られた街門まで回ると、若い男性憲兵がふたり対応した。
さすがに彼はここに立ち続けて業務をしてるわけじゃないだろうから、当然と言えば当然だが。
「ハールスからかい?」
「あぁ、そうだ」
「冒険者だけなんて、珍し……って、えぇ!?
ま、まさか、王国騎士団の副団長様ですか!?」
「"元"、ですよ。
騎士団に支給された武装はしていないのに、よくご存じでしたね」
「以前、王都で一度お見掛けしまして!」
……200年前の話になるのなら、さすがにアイナさんも憶えていないか。
というよりのこの男性、一目惚れでもしたんじゃないかってくらい瞳を輝かせて彼女を見ているな……。
あまりそういった視線を向けると、嫉妬深いやつが……って、遅かったな。
今にも噛みつきそうな気配がダダ洩れてやがる……。
さっさと要件を伝えたほうが良さそうだな。
「すまないが、アーロンさんは詰め所にいるか?」
「へ?
隊長とお知り合い――」
「――あぁ、そうだ。
通常業務に戻っていいぞラーシュ、カイ」
「「了解です!」」
敬礼をして業務に戻るふたり。
とはいっても俺たちしかいないからな、ここには。
本当にのんびりとした町だと改めて思えた。
「ただいま、アーロンさん」
「久しぶりだな、ハルト。
元気そうで何よりだ」
そう言葉にした彼の瞳は悲しそうな、それでいて安堵したような複雑な色をしていた。




