どう足掻いたところで
一条の笑いが落ち着いた頃、ハンネスさんは静かに語り始めた。
口調こそいつも通りの穏やかで優しいものではあったが、含まれた想いは非常に強い感情が込められていた。
「魔王と恐れられた存在が登場したのは数百年も前になるが、そのすべてが想像上の話であり、絶対悪として善なる勇者に滅ぼされるための存在に過ぎなかった」
しかし200年前、それは突如としてやって来たと彼は続けた。
「……当時の英傑たちは予期しておったのだろう。
思えば"魔導国家リヒテンベルグ"では、未来予知すらも可能とする能力者がごく稀に生まれ出でると聞く。
恐らくはそれらの力で未来を予見し、迅速な行動に移したのだ」
だが、世界を揺るがす"大災厄"は直後に起こった。
英傑たちの敗北と時を同じくして、世界に闇が覆った。
「……瞬く間の出来事での、対処も何もできようはずもない最悪の事態じゃった。
世界は深い闇に覆われ、同時に全人類の命を魔王に掌握されてしまった。
ワシもその感覚をまるで昨日のことのように憶えておる。
魂まで凍り付くような圧倒的恐怖心。
言葉で例えることも難しいほどの事態が起こった。
当時はその程度の認識しかできんかったよ。
それはもう、人にどうこうできる問題ではないのだと悟った」
かつて世界を救おうと立ち上がった英傑たち。
"10英雄"と呼ばれた勇者たちは、この世界の誰もが認めるほどの圧倒的な実力者で、彼ら以外には絶対に成し得ないだろうと送り出した者たちなのだと、彼は言葉を続けた。
「……口惜しい。
その一言に尽きる。
最高の実力者たちを向かわせてもなお、魔王は闇で世界を覆い尽くした。
人間である我らにはどう足掻いたところで勝ち目はないと思い知った。
……いや、思い知らされたと言ったほうが正しいかの……」
「……じいちゃん……」
10英雄の話が書籍に残っているのは、ハンネスさんたちのように記憶を失わなかった者が後世に残したのだと彼は推察した。
「そうすることで未来は変わるかもしれない。
たとえ砂粒ほど小さな希望だったとしても、縋るしかなかったんじゃろう……」
それが"異世界人の召喚"に繋がるんだな。
この世界の住人に魔王の討伐は不可能だと判断したリヒテンベルグの民が、残された最後の希望として考え出したのが異世界人に未来を託すことだったのか。
だが、事は思うようにいかなかったのだと、ハンネスさんは推察した。
「……王国から"勇者召喚の儀"に関する令旨が届き始めたのは、今より18年ほど前になる。
実力の伴わない者、性格に難のある者、自らの力を過信し世界に牙を剥く者。
1年ごとに一度行われた勇者を異界から呼び寄せようとする儀式のすべてが、ことごとく失敗に終わったのだと、ワシは思っとるよ。
当然、この町にも何名かそれらしき者はやって来たが、そう時間をかけずして彼らは倒れたと耳にした。
……この世界は異世界人の彼らにとって、生きることすら難しいのだろう。
魔物はもちろん、命を命と思わぬ痴れ者や盗賊どもが闊歩しとるからの」
ハンネスさんの語った内容は、リヒテンベルグでは聞かなかった。
あの町で勇者を召喚するための儀式が行われたのは"二度のみ"と聞いている。
20年前の召喚で魔王に割り込まれ、ラウヴォラ王国に強制召喚させられた件で、彼らは魔王の目的の一部を理解した。
勇者を使い、固有の力である"光の魔力"で防護壁を無力化すること。
何も知らない異世界人を誑かし、最終的にその命までも奪おうと画策したのだと彼らは知った。
召喚の儀を行えば魔王の手駒として利用され、いずれはリヒテンベルグに辿り着いてしまう。
そうなれば、あとはもう最悪の事態しか想像できない。
自分の手も汚さず、人間の手によって世界を滅ぼさんとする魔王に対処する術を彼らは失ったんだ。
だが、そう時間をかけずして変化が訪れる。
女神アリアレルア様が手を差し伸べてくれた。
「……なんと……いう……ことじゃ……。
この世界に、女神様は……実在、するのか……」
「はい。
20年前の勇者召喚の直後から、あの方は世界を管理する場所でずっと見守られています。
残念ながらこの世界に影響を与えてしまうため、力を揮えずにいることを申し訳なく思っていました」
「…………なんと……」
目を丸くし、小刻みに体を震わせたハンネスさんの瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。
「……この世界には、まだ……希望が残されて……いるのか……」
「そうだぜじいちゃん!
勇者は魔王をぶった斬るもんだって、初めて会った時に言ったろ!?
俺は歴代最高の"金色"だ!
鳴宮やみんなの協力もあって、俺は強くなった!
俺たちがこの世界をいいようにしてるクズヤロウを必ずぶった斬ってやんよ!」
覇気のある気配を纏いながら一条は言葉にする。
それがどれだけ力強く、頼もしいのか。
以前のこいつを知っている彼らだからこそ、その想いと意志の強さを深く理解できたんだろうな。
一条の言葉にただただ目を丸くした彼らは固まり続ける。
そうしてしばらく考えていただろうハンネスさんは、静かに答えた。
それは、俺たちが想像していたものとは随分と違う言葉だった。




