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才能のひとつ

 国境検問所を越えたのは、随分と昔だったように思えた。

 それだけ濃密な時間をこの世界で過ごしたってことなんだろうけど、それを喜んでいいのかは分からないほど鍛錬に集中していたからな。


 何とも感慨深いな、なんて表現がいちばんしっくりくるが、だからといってこの場所に思い入れがあるわけでもない。

 しいて言えば、ストレムブラード王国で使われている通貨のリネーを全額キュロに戻したくらいか。


 穏やかで温かみのある日々を送れた王国ではあったが、残念ながらここからは違う気配を感じさせる町と人々ばかりなんだろうな。


「ま、普通っちゃ普通だよな、その感覚はよ」

「だな。

 むしろ俺たちにはこっちの空気を懐かしく感じるぜ」

「冒険者としての暮らしも長かったからなぁ、この国は。

 アイナとレイラも、アタシらと似たような気持ちだろ?」


 ちらりと視線を向けると、苦笑いをしながらふたりは答えた。


「そうですね。

 私もレイラもこの国で生まれ育っていますから、いま感じている風もどことなく懐かしさを覚えます」

「……でも、ストレムブラード王国は本当に過ごしやすかった」

「そう言ってもらえると嬉しいねぇ。

 ワシの祖国を好きになってもらえるなら、こんなに嬉しいことはないよ」


 御者のラウレンツさんは、満面の笑みで話した。


 ヴァレニウスは本当にいい町だったと心から思う。

 きっと同じような空気に包まれた町ばかりなんだろうな。


「じいちゃんはヴァレニウスの出身なのか?」

「いいや、4つも南にあるラインフェルトの出身だよ」

「ストレムブラードの王都に近いじゃないか。

 かなりデカめの都市だって聞いてるぞ」

「だから離れたんだよ。

 人が多ければ、それだけ賑やかになるからね。

 適度に活気があって、それでいて少し歩けば静かな場所が多いヴァレニウスは、余生を過ごすには最高の町だ」

「……余生とか言うなよ……。

 まだまだ現役だろ、じいちゃんは」


 こういった話になると気持ちが沈みがちになるよな、一条は。

 まぁ、それも仕方ないと思えるから突っ込むことはできないが。


 しかし、ラウレンツさんは言葉を返した。

 一条にとってその答えは、心に突き刺さるものがあったようだ。


「もう体が言うことを利かなくなってきてね。

 今回の旅を最後の仕事にしようと思ってるんだよ。

 妻とも話し合って、あとは湖を見ながらのんびりしようってね」

「……じいちゃん……」


 馬車の旅は思っている以上に体への負担が大きい。

 まして魔物や盗賊が闊歩するこの世界では、さらに精神的な負担となる。

 重く圧し掛かるような重圧は、心の強い人でもいつかは耐えきれないほどの重荷になりかねないし、いつ命を摘み取られるかも分からない仕事に就き続けるのも難しい。


 引き際を間違えれば命を落とすのは、冒険者と似ているからな。

 そういった意味で言えば、これまでの歳月を無事でいられたのがとてもすごいことなんだろうと思えた。


「……この道35年。

 引退するには十分な長さだよ」

「でもよ、俺たちはヴァレニウスに戻らねぇぞ。

 帰る時はどうすんだよ、じいちゃん。

 まさか独りで帰るなんてことはねぇよな?」


 それこそまさかだよ。

 彼は笑いながら答えた。


 当たり前と言えばそうだが、この世界での一人旅なんて腕によほどの自信がなければ不可能だと、ラウレンツさんは続けて話した。


「2日ほど休息を取って、乗合馬車で帰るよ」

「そっか。

 そうだよな」

「心配ありがとうよ」

「いいんだ。

 ただのお節介だよ。

 それよりもさ、今日のメシは何を作るんだ?」

「あぁ、そうだね。

 今日は――」


 楽しそうに話すふたりを見ていると、本当の家族に見える時がある。

 そう思えるのも一条の才能のひとつなんだろうなと、最近になって気付いた。


 人懐っこさにも通ずるとは思うが、こいつは誰とでも親身に触れ合えるんだ。

 もちろん悪人は例外だし、ムカつくやつは遠慮することなくぶっ飛ばしてきたみたいだが、今の一条を見ているとそんなのはごくごく一部なんだと確信する。


「いいやつだよな。

 最初は何だこいつって思ったけどよ。

 アタシは嫌いじゃねぇよ」

「……ん。

 割と面倒見もいい。

 とても失礼な言動も多いけど、裏を返せば人と対等に接してるとも言える」

「そういうところですよね、私たちが惹かれたのも」

「……否定はしない。

 カナタの優しさに気付いてなければ、旅に同行することはなかった」


 なんだかんだ、大人の女性には好印象を抱かれるんだよな。

 それもひとつの魅力だとは思うんだが、こういうタイプとは初めて会う。

 まさか、そんなやつと旅をするとは思ってなかったな。


「なんだ、アタシらがカナタに惹かれることが寂しいのか、ハルト」

「そう見えるか?」

「いいや。

 お前はどんな女にもなびかない誠実さと一途さを持ってるからな」

「……ハルト君は本当に魅力的な男性。

 だけど、好きになるとこちらが後悔する」

「たとえアタシらが好きになっても、絶対に実らねぇからな。

 これもひとつの"高嶺の花"ってやつになるのかね」


 ……良く分からない評価を得た俺は、どう反応すればいいんだろうか。


 ともかく、誠実であり続けたいとは常日頃から思ってる。

 少なくともふたりを好きになってどちらも嫁に、なんて図太さは持ち合わせていないし、仮に日本へ帰る道が絶たれていたとしてもその道は選ばなかったのは確実だな。


「ぅおい!?

 ふたりは俺の嫁だかんな!

 手ぇ出すんじゃねぇぞ鳴宮!」

「そういうところだぞ」

「そういうところですよ」

「……そういうところ」

「な、なんだよ、3人して……」


 同時に突っ込まれる一条に俺とサウルさんは呆れ、ラウレンツさんは笑いながら話した。


「カナタ君は、もう少しだけ女性に対する配慮を学んだ方が良さそうだね」

「なんだよ、じいちゃんまで……」

「大切な人を幸せにしたいなら嫉妬するのではなく、信じてあげなさい」

「どういう、こと、だよ?」


 大きな疑問符を頭の上に浮かべながら、一条は間の抜けた顔をし続ける。

 俺たちはそんな男へ呆れた視線を向けて大きなため息をつき、ラウレンツさんは楽しげに笑いながら妻との出会いを一条に話し始めた。


 ……平和だな。

 そう思える日々の中、俺たちは街道を進む。

 体を跳ね上げるような強い揺れを時折感じながら。



 ここはラウヴォラ王国の最西端。

 長い長い旅を終え、俺たちはようやくこの国に戻ってきた。

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