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やるべきことはひとつなんだ

 それから3週間と5日後の早朝。

 エルネスタさんは、眠るように息を引き取った。


 彼女を看取ったのは、他の誰でもない一条だ。

 危篤と聞き俺たちも駆け付けたが、間に合わなかった。


 あの時の一条は背中越しからもはっきりと窺えるほど精神的にぐしゃぐしゃで、心の支えのひとつを失ったようにも思えた。

 彼女のことを、心から慕っていたからな。



 その日の昼に葬儀を執り行った。

 弔問に訪れた多くの参列者が、陽の当たる教会裏手に眠る彼女へ花を捧げた。


 人が亡くなると、故人がどれだけ慕われていたのかを知ることができると聞く。

 本当にその通りだと確信するほどエルネスタさんは多くの町民に愛されていた。


 最後の参列者が花を捧げ終えてその場を離れたのは、日も完全に暮れ、美しく輝く星々が夜空を彩る頃合いだった。


 立ちすくむように墓碑の前で佇む一条は一度もこちらに振り向くことはなかったが、その背中からは深い悲しみ以外の感情を読み取れることはなく、ただひたすらに涙を流し続けていたんじゃないかと思えた。


 そんな一条にたったの一言も声をかけられらなかった俺たちはその場を離れ、遅めの夕食を取った。


 亡くなった方が食べられなかったものや、故人が好きだったものを食べる独自の風習がこのリヒテンベルグにはあるらしいが、どことなく仏教にも通ずるその教えに不思議な共感を覚えながら、俺たちはほとんど無言のまま出された料理に手を付けた。


 正直に言えば、その味はまったく憶えてない。

 ただ、ひどく薄い味だったような気がした。


 彼女は俺たちにとっても大きな存在だった。

 俺がこの町に初めて来た時、真っ先に迎えてくれたのもエルネスタさんだ。

 驚愕以外なにも感じなかった俺へ懇切丁寧な説明と今後の話をしてくれた彼女の姿はとても印象的で、生涯忘れられそうもないその凛とした美しさは、俺の心にもはっきりと残り続けると思えた。


「……綺麗な笑顔だったな。

 ……後悔なんて微塵もない、そんな表情だった……」


 自室でひとり、俺は呟く。


 ある宗派の教えでは、すべてのしがらみから解放され、美しく穏やかな世界で暮らせるのだと聞いた。


 それが正しいのか、俺には分からない。

 きっとそれは、俺も彼女と同じように天寿を全うすることでしか確かめられないんだろう。


 ……それでも。

 俺たちは明日も明後日も、その先も生き続けなければならない。

 少なくともこの世界においてやるべきことが明確にある以上、ここで立ち止まるわけにはいかないんだ。


 どんなに辛くても、どんなに悲しくても。

 前を向いて、歩いて行かなければならない。



 ……お前も、分かってるよな?

 俺たちに必要なことが、明確に。


 それはきっと、エルネスタさんの"願い"でもある。

 一方的に搾取する存在から囚われた魂と世界を開放する。

 そう言葉にすれば聞こえはいいが、結局やるべきことはひとつなんだ。


 分かってるよな、一条。

 お前なら、いや、お前だからこそ深く理解してるはずだ。


 だから俺は何ひとつ心配なんてしていない。

 不屈の精神を持つ勇者の一条がここで立ち止まってたら、彼女はきっと申し訳なく思うだろう。


 とても、優しい方……だったからな……。



 *  *   



 翌日、俺は日も出ない早朝に目が覚め、導かれるように彼女の下へ向かった。


 そこにはひとり墓碑の前に立ち続ける男の姿があった。

 どうやらあいつは一晩中、ここにいたようだな。


 草を踏みしめる音か、それとも気配か。

 一条は振り返ることなく言葉にした。


「……少し、話をさせろ。

 俺はさ、ばあちゃん子だったんだ。

 物心ついた頃から放任主義の両親じゃなく、面倒を看てくれたばあちゃんが大好きで、ずっとばあちゃんの傍にいたんだよ。

 今思えば、すげぇ綺麗なばあちゃんでさ、どことなく似てたんだ。

 性格は結構強気だったし、怒る時はしっかり怒る人だったけど、どことなく似てたんだよ」


 朝日が射し込み、教会裏全体が光に包まれる。

 一条は陽光を浴びながらも墓碑を見つめ、言葉を続けた。


「……ばあちゃんが死んだ時も、こんな気持ちだったよ。

 普段は風邪ひとつしない、すげぇ元気な人なのによ。

 よく分かんねぇ難しい名前の病気で逝っちまった。

 でもよ、この町でエルネスタのばあちゃんに会った時、思ったんだよ。

 なんかどことなく、俺のばあちゃんに似てんなって。

 だから今度こそ、ばあちゃんには幸せになってもらいたかった。

 魔王のいない平和な世界で、幸せに暮らしてもらいたかったんだ」


 その気持ちも良く分かる。

 危険な存在がいる世界で幸せを感じられるはずもない。

 いつ滅ぶかも分からない状況に怯えない人なんて、いるわけがないからな。


 小鳥のさえずりが聞こえ、徐々に町の活気を感じ始めた頃、一条は空を見上げながら言葉にした。


「……ばあちゃん、ごめんな。

 でもさ、俺、やっと分かった気がするんだ。

 きっと分かってたようで、何にも分かってなかったのかもしれないな」


 その緩やかに感じられる言葉の裏に、明確な決意を感じた。

 これまでなかった明らかな感情の変化に俺は戸惑う。

 正直、驚愕の一言だった。


「……なぁ、鳴宮。

 これからちょっと付き合えよ」

「一応聞くが、何をする気だ?」


 俺の言葉に振り返った一条は、昨日までの甘さが消えた男の顔をしていた。

 ぞくりとするような強い気配を感じる中、一言だけで答えた。


「試したいことがあるんだ」

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