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身に余るほどの

 中央区から10分ほど離れた場所に、彼女の家はある。


 元々高齢で議会場まで足を運ぶことすら相当の負担になっていたエルネスタさんだが、それでも弱音のひとつも彼女は零したことがないらしい。

 凛とした覇気のある彼女の美しい姿勢や言動に、憧れる女性も多いと聞く。


 そんな彼女が倒れたのは、ほんの3日前のことだ。

 初めは足に力が入らなくなった程度だったそうだが、その翌日には自由に歩くことすら難しくなっていたようだ。


 実際、病気で倒れたわけではなく、歩行が困難になっただけではある。

 しかしこの世界には松葉杖程度の補助具しかなく、車いすのようなものはない。

 現在は最高議長である彼女が不在のまま、議題に上がった文書をベッドで確認する日々が続いていると聞いた。


 玄関の扉を軽くノックすると、身の回りの世話をしているヘレナさんではなく、元老院のひとりであるジークリットさんが扉を開けた。


「これはハルト様」

「ジークリットさんもいらしてたんですね」

「色々と目を通してもらわなければならない書類がありまして。

 エルネスタのお見舞いにいらしてくださったのですね」

「えぇ。

 お加減はいかがですか?」

「ありがたいことに、変わりなく元気に過ごしていますよ。

 私も元老院としての業務が多いので、中々来る機会がないのですが……」


 そう言いつつも時間を作って頻繁に会いに来ている。

 彼女たちは年こそ離れているが、友人関係にあると聞いた。


 ともあれ、容体は悪くなっていないようだな。


「少し安心しました。

 それと、これを預かってます」


 俺は果物の入っている籠を手渡した。


「まぁ!

 立派なクナープがこんなにもたくさん!

 エーディトのお店の果物ですね」

「エルネスタさんの行きつけのお店だと聞きました。

 通りを歩いていたら、"ぜひ持って行って欲しい"と渡されまして」

「ありがたくいただきますね。

 どうぞ、お入りくださいハルト様。

 エルネスタも喜びますよ」


 ジークリットさんに導かれるように、俺はエルネスタさんの寝室へと向かった。


 少し気になるのは、彼女の現状だ。

 女神様によって病気は完治してるはずだから、問題は別にある。

 だがエルネスタさんの抱えてるものは、それ以上に厄介なものだろう。


 *  *   


「まぁ、これはハルト様。

 ご心配をおかけして申し訳ありません」

「どうぞお気になさらず。

 お体の具合はいかがですか?」

「情けないことに、足が言うことを聞かなくて。

 せいぜい5分間、立てる程度なんですよ」

「無理ならさず、ゆっくり静養してください」

「ありがとうございます」


 そう言葉にしたエルネスタさんは、以前よりも小さく見えた。


 随分と弱々しく見えるのも、理由はひとつなんだろう。

 そして一条も、それを察しているんだと思えた。


「……あいつは、知っている(・・・・・)んですか?」

「……やはり、ハルト様にも分かりますか?」

「えぇ。

 俺は気配で様々なことを知れますから。

 現状、あまり芳しくないように見えます」


 女神様にも治せなかった病気などではない。

 エルネスタさんが抱えているものは、そういった類のものじゃない。

 だとすれば、答えはたったひとつに絞られる。


「……82年。

 長いようで、あっという間でした」

「やはり、ご自身でも?」

「えぇ、理解してるつもりです。

 私の体のことですから」


 笑顔で答えるエルネスタさんが、俺には儚げに見えた。


 リヒテンベルグの平均寿命は65歳と言われている。

 それを考えれば確かに長寿と言えるだろうし、本来であれば彼女は重い病で他界しててもおかしくはなかった。


 彼女はすべてを理解した上で答えていた。

 だが、あいつがそれを知らなかったとも思えない。

 そういうことには過敏に反応するやつだからな。

 きっとエルネスタさんの状態を察して、毎日来てたんだな。


「恐らく、ひと月持つかどうかでしょうね。

 もう一度だけ女神様とお会いしたかったですが、この体ではきっと耐えられないでしょう」


 それだけの衝撃があったから、体に障る可能性が高い。

 今のエルネスタさんでは"管理世界"へ向かうことは難しいだろう。


「……あいつは……一条は、なんて言ってたんですか?」

「"ばあちゃんには平和になった世界で、幸せに暮らしてもらいたいんだ。

 だから、もう少しだけ頑張ってくれないか"、と」


 ……悲痛な顔で訴えるあいつの姿が目に浮かんだ。

 エルネスタさんのことを慕っていたからな。


「私のことを本当の祖母のように慕っていただけるだけで、身に余るほどの幸せ者です」


 女神様は"先見の力"を持つ。

 だから彼女の容態も見えていたはずだ。

 それでも寿命を延ばすことは難しいんだと思えた。

 本来、全うするはずの命を永らえることは、魂に負担をかけるのかもしれない。


 俺に分かることを、エルネスタさんが気付けないわけもないからな。

 全てを理解した上で、彼女はこれまで過ごしてきたんだろう。


「重い病気を治していただけても、寿命が延びたわけではありません。

 だからこそ、もう少しだけ時間を与えてくださったのだと思っています。

 心穏やかに眠れるのであれば、それに越したことはありませんからね」


 そう言葉にしたエルネスタさんに、俺は言葉を返せずにいた。


 部屋の窓から見える青空がひどく物悲しく見えた。

 きっと一条もこんな気持ちだったのかもしれないな。

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