その先なんて関係ない
変化が目に見えて感じられるようになったのは、女神アリアレルア様との邂逅からひと月と2週間ほどが経った日のことだ。
その日もいつもと同じように訓練所へ来た一条は、覇気を感じさせる強い気配で溢れていることに気が付いた。
いつも以上に気合が乗っていたことは、ひと目見ればわかる。
だがそれとは違う何かが、溢れ出す覇気の根源となっているのは間違いない。
強い違和感を覚える一条の気配は勇者特有のものなのだろうと感じた。
女神様からの恩恵がようやく花開いたってことなのかもしれないな。
そのトリガーは、"一定の強さに到達すること"か。
推察でしかないが、身体能力の強化が順調だったことで一条に急激な変化をもたらした。
ポジティブに捉えれば、より集中して修練ができる。
これまでと同じように休憩を頻繁に挟むこともなくなるから、効率的でもある。
しかし悪く言えば、極端に身体能力が向上しすぎているとも言えた。
これじゃ本当にゲームの中で経験値を積んでレベルが上がったみたいに思える。
それでも魔王討伐に失敗は許されない以上、四の五の言っていられない。
勇者が強くなるなら、それに越したことはないのは間違いないだろう。
「今日は何か身体が軽いぜ!
昨日までの俺とは別人だと思えよ!」
「そうだろうな」
……まったく。
こっちの苦労も知らず、のんきなもんだ。
案の定、俺との距離を詰めた瞬間、体の制御が利かずに壁へ激突した。
カエルを踏み潰したかのような声が訓練場に響き渡るが、そんなことよりも今の一条をどう修正するべきかを真剣に考えた。
なぜこんなことになったのかは理解してる。
素人が急激に強くなれば、体の使い方が分からずにこうなるのも当然だ。
ゲームやアニメじゃないんだ。
少年漫画の主人公みたいに覚醒した力を一瞬で使いこなせるわけがない。
本気で頭を抱えたくなるところだが、良く言えば今後必要とする徹底的な体力作りの目途が立ったとも言える。
持久力を確認した上で、今後は剣術と体術に焦点を合わせるべきか。
「そろそろ戻ってこい。
二度寝してる時間はないぞ」
「…………」
……目を回してやがる。
いっそバケツに汲んだ水を顔にかけて起こすか。
それっぽいものを目で探していると、エルネスタさんがやってきた。
「ハルトさん、少しよろしいでしょうか?」
「えぇ、かまいませんよ。
言伝をいただければ、こちらから出向きますが」
それとなく無理をしないで下さいと伝えたが、どうやら彼女は少し興奮気味のようだった。
「一刻も早くお伝えしたいと思いまして」
その嬉しそうな表情から、おおよそを理解した。
2週間前に女神様の下へ向かった時に話していた件についてだろうな。
「完成したんですか?」
「女神様のお言葉通り、最高品質の剣が打ち終わったのです。
ですがそちらは今後魔力を込めて唯一無二の武器にしますので、お渡しするのは完成してからになります」
それも予定通りだ。
だとすると、その剣とは別の話か。
魔王討伐の旅に出る直前に渡されても使いこなせないからな。
これまで打ち続けた剣の再利用についてエルネスタさんは伝えに来たんだろう。
「ともかく、ご同行ください。
きっとハルトさんもお気に召すと思います」
「わかりました」
「そんじゃ、カナタが目覚めたら素振りでもさせとくぜ」
「助かるよ。
ヴェルナさんもサウルさんも早朝からぶっ続けだから、少し休んでくれ」
「もうそんな時間か?
時間経つの早ぇな」
少し根を詰めすぎだと念を押してもいいほどに集中してたからな。
お陰で"明鏡止水"も1分ほどなら戦闘でも使えるようになった。
常に使い続けることこそ難しいが、一瞬で背後に回れるほどの速度を叩き出せるのは非常に有用だ。
それこそ盗賊相手なら十分すぎるほどの性能がある。
危険種でもなければ魔物に使う必要もない過ぎた力なのは間違いないが、それでも安全策はいくらあってもいいからな。
今のサウルさんとヴェルナさんなら、ランクS冒険者数人と戦っても負けることはないだろう。
「……すげぇな。
力を使わなくなった瞬間、汗が噴き出してきたぞ」
「初めはそういうものだよ。
そのうち体が馴染むように"明鏡止水"を使えるようになる。
いつになるかは個人差があるけど、ふたりの技量から考えるとひと月もかからずに到達できると思うよ」
「マジかよ。
もっと苦労するもんだと思ってたが……」
「だな。
アタシも相当頑張らねぇと体得できない技術だと思ってた」
「それはふたりの技量が一般的な冒険者とは比べられないほど高かったからだよ。
並の冒険者なら、今でも力を発現すらできてなかったと思う。
特にヴェルナさんの実力はランクS並だから、持ち前の勘の良さと相まって"明鏡止水"との相性がとても良さそうだ」
「そういや、サウルとも随分離れた気がするな」
「サウルさんは逆に一葉流の技が得意だと思うよ。
そろそろ"力"の使い方を教えてもいいくらいだし、戻ってきたらその修練に入ろうか」
俺の言葉に喜ぶサウルさんだが、本音を言えば一条たちが来るのを待ってる間にその領域まで到達していた。
彼らはしっかりと教えてくれる武芸者に師事したこともあって、下地がほぼ完成してたからな。
何よりも、ひたむきに強さを求める姿勢は彼らをより高みに押し上げてる。
たとえ才能があったとしても、強くなるにはそれだけじゃ足りない。
そこに努力があってもまだ足りないんだ。
"強くなりたい"と心から思える確固たる意志がなければ、その先に到達できないからな。
彼らの強さは元々完成されつつあった。
それ以上を求めるとなれば、別の力が必要になる。
そのための一葉流武術だ。
父が継いだ流派は、ただの剣術道場を開くためのものじゃない。
心身を鍛えるという意味で看板を掲げているし、門下生も学ぶのは護身術に必要となる体術になる。
一葉流が本来持つ武術。
数百年間、脈々と受け継がれた技術を継承するのはごくわずかだ。
それを彼らへ教えることに後悔は微塵もない。
本来であれば、俺たちが日本に帰還したあとの世界で身を護るための術として使ってもらうつもりだった。
しかし、そうはいかなかったのが残念ではあるが。
「……でもよ、いいのか?
俺たちに教えたところで魔王討伐に参加できねぇ。
それどころか、俺たちは魔王が消えればいなくなるんだぞ」
「前にも言ったろ?
そういう問題じゃないんだ。
俺がふたりに身を護る術として教えたかったんだよ」
その先なんて関係ない。
俺はただ、ふたりと何かを共有したかったんだ。
それが俺の学んでいた武術だったってだけの話なんだよ。




