本末転倒だ
北に位置する、町の中央から外れた場所にその建物はあった。
とても小さな小屋のようにも見えるが、大切なのは内部なのだとエルネスタさんは答えた。
「ここを降りた先が、水鏡の間となっています」
どうやら室内に下へ向かう階段が造られているようだ。
扉の先にすぐ用意されてるとはさすがに思ってなかったが、女神様との交信から連想した場所とは若干違った。
水鏡と言えば、日本にも伝承や物語は数えきれないほど多く登場する。
実際女神様との交信に使われるのは鏡ではなく、水を薄く張ったもののようだ。
波紋が起きないために地下へ造られ、さらには振動除けの内部構造となっているらしいが、最も重要なのはそれらではなく、女神様からの波長を受け取りやすくするための環境なのだと彼女は話した。
「"魔晶核結石"を水鏡の水底に敷き詰めてあります。
本来であればもっと効率の良い素材が世界にはあると聞きましたが、残念ながら闇の壁を越えて採掘するわけにもいかず、代用品として使っているのです」
女神との交信には、高純度魔石の中でもさらに高品質の石が必要らしい。
それは世界でも魔石の原石が採掘される魔鉱山の最奥まで向かわなければ手に入らず、一般的には出回るようなものでもないようだ。
相当の力が秘められた魔石なんだろうことは、素人の俺でも想像に難くない。
稀少価値の高いものであれば買い揃えることも可能だが、残念ながら市場に出回らない素材を手に入れることは難しく、諦めたのだとエルネスタさんは話した。
「特殊な魔石を揃えることさえできれば、新月を待たずとも交信できるようになるのだと女神様は仰っておりました」
「そいつを俺らで手に入れることも可能なのか?」
そう言葉にした一条だが、エルネスタさんはゆっくりと首を横に振った。
「女神様は、勇者様がこの町を出られることを望まれておりません。
それにたとえ勇者様であろうと、交信に必要となる高純度の魔石を入手することは困難ですので、どうかご自身のための準備を優先して欲しいと女神様からはお言葉を賜っております」
それもそうだろうな。
集中した鍛錬よりも女神様との交信目的で魔石探しなんて、本末転倒だ。
優先順位が違うのは当たり前だが、そもそも新月を待てば交信できるんだから、わざわざ入手困難な素材を探しに行くなんて認められるはずもない。
それにこの町にいれば、たとえ魔王から仕掛けられたとしても影響は少ない。
そのための強力な"光の結界"で覆われているのだから、危険を冒してまで町を離れる必要なんて皆無だ。
内心ではそれをしっかり理解してたとしても、そう言葉にしたくなるのはいかにもこいつらしいが、勇者である以上、本来の目的から離れすぎる行動は避けるべきだからな。
以前の一条なら強い口調で"俺らが取りに行こうぜ!"、なんて言ってたと思えるんだが、こいつも少しは自覚が出てきたってことか。
「あら、カナタも成長したんですね。
そこはもっと行動力を感じさせる言葉が出てくると思ったのですが」
「……カナタ、言わなくても分かる子になりつつある。
わがまま言わないのは、とてもいい子」
「ぐぬぬ……」
子供……いや、孫扱いか。
まぁ、あれだけの歳月を過ごしてきた彼女たちからすれば、俺も一条も変わりないとは思うが。
ともかくこいつにとって、彼女たちの扱いは思うところが多いんだろうな。
これだけ大切に想われてると分かった上で口をつぐんだことは成長を見せたと言えると思うが、今必要なのは精神的な強さよりも体力だ。
1年でどれだけ高められるかは一条次第だが、最低でも30分は動けるようにしてもらわなければ魔王と戦うのは危険だ。
それも模擬戦での30分間を維持できるんじゃなく、魔王と対峙した状態で戦えなければ意味がない。
実戦と模擬戦はまったく違う。
精神的な重圧は心だけじゃなく、体への負担が思っていた以上にかかる。
そういった意味では、実戦経験を一般的な魔物相手に積むだけじゃ培われないから、できれば将来的には凶悪な魔物との戦いができれば越したことはないんだが、探したところで出遭えるものでもない。
何かいい策を考えなければ最悪の事態を招きかねないが、だからといってすぐに解決できるような簡単な問題でもない以上、俺たちが本気で相手にするくらいしかできないだろう。
アイナさんとレイラや俺を筆頭に、サウルさんとヴェルナさんにも協力してもらえばある程度の実戦経験は積める。
しかし結局のところ、模擬戦の域を越えることは絶対にない。
「難しいこと考えてるな、ハルト」
「……いつも顔に出てるんだな、俺は」
「まぁな。
当然アタシだけじゃなく、ここにいる全員が気づいてるが」
「俺は分かんねぇぞ?」
「あぁ、悪い。
カナタは数に入れてなかった」
「ヴェルナも俺の扱いヒドくね!?」
笑いながら、俺たちは足を進める。
目的の場所までそう遠くない距離を。
* *
「こちらになります」
そう言葉にして足を止めた場所は、白を基調に造られた地下室。
張られた水が波紋も立てず、文字通り鏡のように透き通る大きな水鏡だった。




