俺の負けだな
こちらへ向かって駆けるふたりに、俺は警戒心を強めた。
わずかな隙を見せれば確実にそこを狙われる。
逆にそれを返すか?
……いや、そんな単純な策で勝てる相手じゃない。
さらにその先を見据えなければ負ける。
体勢をやや低くしながら、アイナさんとの距離を詰める。
レイラはその場から消えるように移動して俺の右側面へと回るが、今度はその気配を捉えていた。
足を止め、払うような横薙ぎの杖を避ける。
「……やっぱり通じない」
「一度見たからな――」
左こぶしを放つが、その場を移動したレイラに当たることはなかった。
反応が速い上に冷静な判断。
いちばん厄介な相手だ。
おまけに魔力で強化された杖は、まるで大砲のような火力を持ってるときた。
身体強化だけじゃなく武器も強くできるなんて、そんな使い方も可能なんだな。
それもすべては長年に渡る魔術研究の成果か。
アイナさんだけじゃなく、レイラも自己鍛錬に集中していたようだ。
でもなければ、これほどの強さに到達できるはずがない。
幸いなのは、200年という途方もない歳月が、圧倒的な実力として差が開いたわけじゃないことか。
恐らくは人が到達できる限界点なのかもしれない。
鍛錬すればするだけ力が増すんじゃ、それこそ人は神様に辿り着いてしまう。
そういった意味で言うなら、彼女たちは我流で強くなったはずだ。
そこに俺との差が――
「考えすぎですよ、ハルトさん」
振り下ろしから切り上げ、連続突きがアイナさんから繰り出される。
そのどれもが当たれば致命傷になる一撃に、当たったらどうするんだと強く抗議したくなるが、そんな余裕はなさそうだ。
一歩後ろに下がり、地面を踏みしめて迎撃に備える。
斜めに切り上げた彼女の右手を下から掬い上げるように左こぶしを当て、大きな隙を作った。
わずかな焦りを感じさせる気配。
ガラ空きの腹部に右ストレートを放つ直前、俺の真後ろに回ったレイラが杖を突き出した。
上半身で避けながら左手の甲を彼女に放つも、読んでいたようだ。
相当の速度だったはずだが、これでも避けるのかと驚きを隠せない。
体勢を立て直し、前方から迫るアイナ。
息をつく暇すら与えない彼女たちの猛攻に、押され始めてるな。
接近する彼女へ右こぶしを出すが、体を盾に隠しながら強引に詰め寄った。
鋭い速度で出される突きを回避し、左こぶしでカウンターを放つ。
その行動を読んでいた彼女は、盾ごと突進を繰り出した。
紙一重で回避に成功する。
だが今のは相当危なか――
瞬間、鋭い衝撃が俺の顎を跳ね上げた。
"杖の先端に直撃した"。
そう認識する直前の記憶が俺にはない。
短い時間ではあるが、意識を持っていかれたようだ。
しかし、絶好の機会と判断できる隙を、ふたりが狙うことはなかった。
無意識に体勢を整えたままアイナさんとレイラに意識を向けていたことに安堵するも、その場を離れた彼女たちの表情からおおよそ何が起こったのか、ようやく俺は理解できた。
「……すまない。
俺の負けだな」
「いいえ、私たちの負けです」
「……あのまま剣を振られてたら、あたしたちはまとめて両断されてた。
今は距離を取ってるけど、もしあの速度で剣を振り抜かれていれば、あたしたちが足に力を入れた瞬間に真っ二つだった。
完全にあたしたちの負け」
「……どういう……ことなんだ?
鳴宮からふたりが離れただけじゃないのか?」
一条が理解できないのも当然だろう。
今は随分と鍛錬を続けていたし、かつての感覚が蘇りつつあるが、リヒテンベルグに来る前のサウルさんだったら分からなかったかもしれない。
それは張り詰めた空気を放ち続ける彼の様子からも窺えた。
「まさか、気配を偽って攻めてくるなんてな。
戦闘の最中にそんなことをするとは、さすがに思ってなかったよ」
「……それくらい無理をしないとハルト君に攻撃は当たらない。
だから最初からアイナには気づかれない程度に陽動をお願いしてた」
「あまりお役には立てませんでしたけどね」
「……そんなことない。
ハルト君の意識を一瞬だけでも逸らせたのは最高の支援」
顎を跳ね上げられるなんて、どれくらいぶりだろうか。
久しくなかった体験に驚かされたが、それ以前の話だな。
あの一撃で、意識を一瞬とはいえ完全に持っていかれた。
問題は、その直後に俺が起こした対処だ。
思いがけなかったこと、なんてのは言い訳にすらならない。
「……本当にすまない。
……俺はふたりを、もう少しで切り捨てるところだった」
「……気にしなくていい。
ハルト君を本気にさせたのはあたしたち。
しっかり剣を止めてくれたし、いい運動にもなった」
「いやいやいや!?
3人で納得してねぇで、俺にも分かるように話してくれよ!」
一条に説明するにも、なんて話せばこいつに伝わるんだろうな。
俺が言葉を選んでいると、ふたりは代わりに説明してくれた。
「……カナタの理解力が及ばないことを、あたしたちはしてた。
ハルト君の顎下に一撃を当てた瞬間、意識を断ったのが負けに繋がった」
「ハルトさんは意識を失った直後、反射的に剣を放とうとしたんです。
それを理解してるからこそ、私たちの負けだと言葉にしたんですよ」
「……もうちょっとで切られてたって、鳴宮の意識は飛んでたんだろ?
なんでそんなことできんだよ……っていうか、普通できねぇだろ……」
「……言いたいことも理解できるけど、そうじゃないの。
達人と実力者から認められた武芸者は、無意識でも攻撃ができる。
ただ、ハルト君の場合は相手を倒そうと剣を振るったんじゃなくて、いわゆる"自己防衛本能"と呼ばれるものが働いた。
自分の身を護るために剣を振るい、結果的にあたしたちを倒そうと頭が命令を出したの」
レイラはかなり優しい単語を使って説明をしているが、さすがに一条には理解できなかったようだ。
「……なんか、すっげぇ力が発動したってことだな!」
「……違うけど、それでいい。
ともかく、ハルト君の勝ち」
「いや、あれは俺の負けだろ。
模擬戦で刃を当てようとしたんだ」
「無意識での本能的な行動をしてはいけない、なんてルールは決めていませんし、何よりも先ほどの一撃で格付けがはっきりと決まりました。
私たちふたりがかりなら、とは思っていたのですが……」
「……あたしたちはハルト君に勝てない。
本気で戦ったら、一瞬で両断される技量の差があった。
少しでも勝てると思ってたなんて、身の程知らずだった」
「そ、そんなにつえぇのかよ、鳴宮は……」
「……うん。
底知れないものを出会った瞬間から感じていたけど、今回の模擬戦で確実にあたしたちよりも上なのがはっきりと分かった。
……というか、理解させられた」
買いかぶりすぎだ、とは言葉にできない。
確かに俺は力を抑えてるし、それを模擬戦で使うつもりもない。
あれは鍛錬の域を越えた、手加減のできない領域だからな。
意識を飛ばされた時点で俺の負けではあるんだが、それを話したところで納得するようなふたりでもない。
……負けた気持ちのまま勝利者になったのが、ふたりを無意識でぶった切ろうとした俺への戒めになるか。




