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活気のない村

 野営地に戻ると、商隊の主人と女主人が安堵の表情でカイたちを出迎えた。


「本当に……助けてくれてありがとう。君たちがいなければ、どうなっていたことか……」


 主人が深く頭を下げる傍ら、女主人は真っ先にティアのもとへ駆け寄り、彼女の腕を取った。


「怪我してるじゃないか!こっちへ、すぐに手当てを……!」


 ティアは少し戸惑いながらも、女主人の手に引かれて簡易テントへと入っていく。

 袖をまくり上げ、傷口に指先が触れた瞬間、女主人が小さく息をのんだ。


「え?……もう塞がってる?」

「……え?」


 ティアは思わず自分の腕を見下ろした。

 数時間前に斬られたはずの傷は、すでに血が止まり、薄く線のような痕跡を残すだけになっていた。痛みも、ほとんどない。


 ──どうして?


 幼い頃から屋敷の中で育ったティアにとって、怪我をすること自体が珍しかった。

 だからこそ、こんなにも早く治っていることに、かえって不安を覚えた。


「ふふ、若いって、すごいのね」


 女主人は感心したように笑い、丁寧に包帯を巻いてくれたが、ティアの心には奇妙なざわめきだけが残った。


 翌朝。


「ティア!包帯、替えましょうか?」


 女主人がにこやかに声をかけてきたが、ティアは慌てて首を振った。


「……自分で、やりますので」


 人気のないテントの隅でそっと身をかがめ、包帯をほどいていく。

 だが、その下に現れた肌はまるで、初めから傷などなかったかのように滑らかだった。


「……うそ……」


 目を疑った。傷跡すら残っていない。肌の色も均一で、怪我の形跡はどこにも見当たらない。

 回復薬の効果だとしても、こんな回復は聞いたことがない。

 理由は分からない。でも、誰かに知られてはいけない気がする。


 「これは、普通じゃない……」


 恐怖とも戸惑いともつかぬ感情が、喉元までこみ上げてくる。

 ティアは黙って包帯を巻き直すと、それを隠すように袖をしっかりと下ろした。



 #


 それから数日後。一行は目的地である山間の村へとたどり着いた。

 しかし、そこに活気はなかった。

 人々の顔は土色にくすみ、言葉を交わす声も小さい。

 子どもたちは道ばたに座り込み、ぼんやりと地面を見つめている。


 聞けば、この数ヶ月、雨が一滴も降らず、村の唯一の井戸はすでに枯れてしまったという。

 わずかな水を得るために、数日がかりで山奥の泉まで通う者もいるが、高齢者や幼子にはとても無理な話だった。


 何度も役場や領主に救援を求めたが、返ってきたのは冷たい言葉と追い返しだけ。

 「辺境の小村に構っていられない」と突き放され、行政はまるで存在しないかのようだった。

 依頼を出そうにも、金がない。特産品も産業もなく、村人たちはただ飢えと乾きに耐える日々を送っていた。


 その夜、焚き火の傍らで、ティアは地面に棒を使って線を引いていた。


「アースダム……それに、導水路……Leatリートって呼ばれてたはず……」


 前世で見たドキュメンタリー映像の記憶が蘇る。

 日本人の技術者が干ばつに苦しむ地で、現地の人と協力して土を積み、小さなダムと導水路を築いた。

 それだけで、村に水が戻り、作物が育ち、生活が甦ったのだ。

 ティアは唇を引き結んだ。


 ──私にも、できるかもしれない。


 幸い、この世界には魔法がある。

 水や土を操る魔法が使える者がいれば、時間も労力も大きく短縮できる。

 本来なら何ヶ月もかかる建設が、数日、あるいは数週間でできる可能性もある。


 けれど、一人では無理だ。

 村の人々、商隊の人たちの協力があってこそ、実現できる計画だった。


 焚き火の火がぱち、と小さく爆ぜる音を聞きながら、ティアは地面に引いた線をじっと見つめた。


「何を描いてるんだ?」


 背後から不意に声がして、ティアは顔を上げた。

 カイが焚き火の向かい側から身を乗り出し、彼女の描いた地面の線を覗き込んでいる。


「あっ……これは……」


 戸惑いながらも、ティアは描いた図と周囲の地形を照らし合わせながら口を開いた。


「ダム……というか、土を積んで水をせき止める壁と、水を引くための水路。それから……ここに水を溜めておける場所も作りたいの。雨が降らなくても、水が残せるように……」


 言いながら、やはり自信がなかった。

 彼女は元の世界でも、ダムの専門家でも建築士でもなかった。ただの一般人。

 映像や断片的な知識を頼りに描いたものに過ぎない。


「でも、あんまり上手く描けなくて……やっぱり、こんな話……」

「それ、面白いじゃないか」


 カイが笑いながら腰を下ろした。それを合図に、他の商隊の仲間たちも焚き火の周りに集まり始める。


「水をためる仕組み、か。ああ、魔道具の【流し壺】なら、一定量の水を一方向に流せるぜ。村にあるのと同じ型なら、まだ使えるかもな」

「高低差をつければ、水の流れは魔法なしでもいけるんじゃない?あたし、昔畑に水引いたことあるし」

「けど、図がないと村の人にも説明しづらいな……」


 次々と飛び出す意見。思いがけず皆が興味を持ってくれたことに、ティアは目を丸くした。

 そのとき、一人の男がふっと笑って手を挙げる。


「だったら俺に任せてくれ。こういうの、ちょっと得意なんだ」


 彫り師の男──商隊の一員で、魔道具に装飾を施す職人だった。

 彼の腕には見事な刺繍のような紋様が刻まれており、それは道具を通して魔力の流れを調整するための彫魔(しゅうま)という技術だという。


 男はティアの描いた拙い線を見て、懐から紙と炭筆を取り出した。


「ここが高台なんだな?じゃあ、水をこう流して……土手をこの辺に──」


 炭筆が滑るように動く。数分もしないうちに、彼は仮設ダムと導水路の詳細な図を描き出していた。


「……すごい……」

「やるなぁ、彫り師のくせに絵描きみたいじゃん!」

「うるせぇ、どっちも手先の仕事だよ」


 笑い合う声。ティアは、その輪の中にいる自分を少し不思議な気持ちで見ていた。

 最初は自分ひとりの思いつきだった。誰にも言わずにいようかとさえ思った。

 それが今では──


「……私、みんなを巻き込んでしまって……。こんな大変なこと、何日かかるかもわからないし……ごめんなさい」


 ティアの小さな声に、男たちが一斉に顔を上げた。

 カイが、にっと笑って肩を叩く。


「何言ってんだ。面白そうじゃねぇか、村を救うなんてよ」

「暇だったしなぁ。足止めも悪くない」

「こんなこと、滅多にできる経験じゃない。オレ、魔道具の記録に残すぞ」


 誰も文句を言わないどころか、どこか楽しそうに準備を始めていく姿を見て、ティアの胸の奥に温かいものが広がった。


 翌日から、一行はさっそく行動を開始した。


 地形の確認。必要な土や資材の運搬。村人との打ち合わせ。

 魔法が使える者は、水の流れを操って水路の試作を始め、彫り師は設計図をさらに精密に描き上げていく。


 これはもう、ひとつの「プロジェクト」だった。

 ティアの心には、言葉にならない充足感があった。

 たとえ偶然でも、たとえ不完全な知識でも「誰かを救いたい」という想いは、ちゃんと届いていた。

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