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漂流の果てに

 ティアとルゥナは今、年若い娘と二人で暮らす父娘の家に身を寄せていた。

 夜道を彷徨っていたところを、この家の主・宗烈(そうれつ)に助けられたのだ。


「……あの、本当にお邪魔ではありませんか?」


 遠慮がちにティアが尋ねる。


 連れてこられた家は、厚く積まれた茅葺き屋根と土壁で作られた小さな古民家だった。

 戸口をくぐると土間があり、奥には板張りの広間。その中央には囲炉裏が切られ、炭火の上で鉄鍋がコトコトと煮立ち、香ばしい湯気を立ちのぼらせていた。囲炉裏の周りには串に刺された川魚が並び、沢庵などの漬け物が添えられている。

 質素ながらも心尽くしの夕餉であることが、二人にもすぐに伝わった。


 裕福とはとても言えない暮らしぶりだ。突然の来客に無理をしているのではないかと、ティアは胸が痛んだ。


「ははは。気にせんと。遠慮なんて要らんよ。夜は魔獣が出るけん、外を歩く方がよっぽど危なか。今宵くらいは安心してここで休んでいかんね」


 宗烈は囲炉裏の炎に照らされた顔で、快活に笑った。


「ねえ、貴方……もしかして、巫女様じゃなかと?それとも巫女様の血縁者とか?」


 娘の澄音(すみね)が、椀に汁をよそいながら目を輝かせて尋ねてきた。


「私は澄幻国の外から来ました。ですから、巫女様という方とは無関係です。宗烈さんにも出会った時に間違われましたが……そんなに似ているのですか?」


 ティアが首を傾げると、澄音は勢いよく身を乗り出してきた。


「ええ!それはもう!」


 両手を頬に添え、夢見るような表情で続ける。


「私は遠目からしか拝めんかったけど……銀糸みたいに美しい髪で、凛としたお姿はまさに神秘そのもの……!」


 うっとりと語る娘を見て、宗烈が苦笑交じりに言った。


「すまんね。澄音は龍供祭(りゅうくさい)で水龍様を倒した巫女様を見てからというもの、すっかり憧れてしまっとるんよ」

「龍供祭?」


 ルゥナが首を傾げる。


 その問いかけに、宗烈と澄音の顔から笑みがふっと色を失った。囲炉裏の火がぱちりと弾け、二人の影が揺れる。


「……やっぱり、よそから来た人は知らんのやね。この澄幻国は幾つもの郡に分かれちょる。ここは龍泉郡(りゅうせんぐん)──水龍様と共にあった土地やった」


 宗烈の声は、さっきまでの快活さを潜めて、どこか重く沈んでいた。


「龍泉郡の水源はな、水龍様が住む湖から村々へと流れ出ちょる。……水龍様は冬眠に入る前の秋と、目覚めてからの春、その二度だけ水面に姿を現す。そん時は決まって腹を空かせとって、近くの村を襲う。それば止めるために……昔から、各村は毎度ひとり、生贄を差し出さにゃならんやった」


 その言葉に、ティアとルゥナは思わず息を呑んだ。

 生贄の儀式──この世界では珍しいことではない。しかし、それが「各村ごと」となると話は違う。龍泉郡には六つの村があるという。つまり、毎年、最低でも十二人もの命が水龍に捧げられていた計算になる。


「……私が七つの時や。母が生贄に選ばれて、水龍様に喰われてしもうたんよ」


 澄音の声は震えていた。下唇を強く噛み、眉根を寄せる。その幼い日の記憶はいまだ鮮烈に胸を締め付けているのだろう。


「郡主様はな、それを“祭”に仕立てて、他の郡から客を呼び寄せて見世物にしとったんよ。血と涙の上で金儲けをしよった」


 澄音の吐き出す言葉には、悲しみと悔しさが滲んでいた。


「けんど──三年前の龍供祭に、巫女様が現れた」


 宗烈が言うと、澄音はパッと顔を上げ、目を輝かせた。


「そう!巫女様は生贄にされた人たちを救い出して、水龍様と戦ったと!噂を聞いて私たちも急いで駆けつけたけど、目の当たりにしたのは信じられん光景やった……」


 彼女は興奮気味に続ける。


「巫女様は私とそう年の変わらん若い女の子やったのに、真っ黒な従者をひとり連れて──たった二人で水龍様を打ち倒してしまったとよ!」

「……当時は皆、水が枯れ果てるんじゃないかと怯えたもんや。水龍様がおらんようになれば、湖は干上がるんじゃないかってな。けど……今も変わらず水は湧いちょる」


 宗烈が補うように言った。


「今も中には巫女様を良く言わん奴もおる。けど、大半の郡民は感謝しとるよ。もう、大切な人を生贄に差し出さずに済むんやから」


 澄音は少し寂しそうに、けれど嬉しさを隠せない笑みを浮かべた。


「……って、ご飯の前に、こげん重か話ばしてごめんね。ほら、食べよ食べよ!」


 慌てて明るく言う澄音に、ティアは穏やかに微笑んだ。


「その巫女様という方は……龍泉郡の救世主なのですね。そんな御方と似ているだなんて、私にはおこがましいですが……少し嬉しいです」


 そう言って笑うティアを見て、宗烈と澄音は一瞬目を見張り──泣きそうな笑顔で頷いた。


 やがて、囲炉裏を囲んで食事を口に運びながら、宗烈がふと尋ねる。


「ところでお二人は……なして、あげん夜に山道を歩きよったと?外から来たってことは、船か馬車で来たんやろう?」


 ティアとルゥナは、ごくん、と口の中の物を飲み込んで顔を見合せた。


「それが……お恥ずかしい話なんですけど、滝を昇る亀から落ちてしまいまして……」


 ティアが頬を赤らめて打ち明けると、宗烈と澄音は同時に目を丸くした。


「亀って……もしかして、亀駕籠(かめかご)のこと!?」

「はぁ~……あれから落ちて無事やったとは奇跡やなぁ」


 澄音は驚き、宗烈も感心したように目を見張った。


「亀駕籠から落ちてこの龍泉郡に流れ着いた……てことは、上級国民の郡か、主郡に向かっとったんかい?」

「そう……ですね。確か、主郡に行く前に栄陽郡(えいようぐん)に寄る予定だったような……」

「栄陽郡!?」


 ティアの言葉に、澄音は身を乗り出して声を上げた。


「栄陽郡っていったら、主郡の次に栄えてる郡よ! 富豪も多いし、貿易港があるから他国の人がいっぱい行き交ってるって!はぁ~、よかねぇ……私も一度でいいから行ってみたか~」

「それなら、澄音も一緒に行く?」


 ルゥナが笑って誘うと、澄音は慌ててブンブンと首を振った。


「と、とんでもなか!私みたいな田舎娘が行ける場所やなかし……それに、上級国民の方々みたいに綺麗なべべも持っとらんけん……」


 そう言って、自分のくすんだ小袖を見下ろし、困ったように微笑む。


「それなら、私の衣服と交換してみない?文化交流ってすごく面白いと思うし、澄幻国の衣服は他国ではすごく珍しいんだよ。私も一度着てみたい」

「えっ……?いや、でも……こんな村娘の小汚い小袖なんかより、栄陽郡に行けば、もっと綺麗な着物が──」

「価値は、見た目の豪華さや高価さだけで決まるものじゃないんだよ」


 ティアは澄音の言葉を遮り、真剣な眼差しで微笑んだ。


「私たちの団長が言ってたんだ。自分にとっては価値がないものでも、他の人にとってはとても大切で、かけがえのないものになるって」


 ティアは澄音の着物にそっと視線を落とす。


「私にとっては、豪華な着物は商隊が持ち込むのを見慣れてるけど……小袖は初めて。澄音さんの着物は動きやすそうだし、軽くて、私はむしろ着てみたいな」

「ティアちゃん……」


 澄音の瞳がうるりと潤んだ。そんな娘の様子を、宗烈は静かに、しかしどこか誇らしげに眺めていた。


 その時──


 ドンドンドンッ!


 重く乾いた音が、戸を激しく叩きつけた。


「家の者、おるか!」


 外から響いたのは男の低く荒い声だった。


「はい。如何されましたか、どちら様で……」


 宗烈が立ち上がり、声を張る。澄音に目配せをすると、娘は慌てて床板を外し、そこから下へと続く暗がりを開けた。


「ティアちゃん、ルゥナちゃん……悪かとばってん、しばらくここに隠れとって」


 二人は頷き、茶碗を手にしたまま板の下へと身を滑り込ませた。床下はひんやりとした土の匂いが漂い、息を潜めるにはうってつけだった。


 引き戸が勢いよく開かれ、数名の足音が土間を踏み鳴らす。


「夜分に役人衆が……一体どうされました」


 宗烈が頭を下げながら問うと、先頭の男は鼻で笑い、室内を見渡した。


「娘は……いるな」


 その言葉に、澄音の肩がびくりと震えた。


「娘が……どうかされましたでしょか」


 宗烈が必死に平静を装い問い返す。床下のティアとルゥナの耳には、声の響きだけが届く。緊張で心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。


 やがて役人は冷然とした声で告げる。


「喜ぶがよい。この家の娘が、今度新たに築かれる龍泉城の“人柱”に選ばれた」

「……え?」


 澄音と宗烈は、その言葉の意味をすぐには飲み込めず、呆然と役人を見返した。


「ど、どういうことですか!?人柱だと……娘が!?そんな、急に……!」


 宗烈は我に返るや、掴みかかるように役人の衣を握りしめた。


「離せッ!」


 役人は乱暴に宗烈を突き飛ばすと、蔑むように言い放った。


「すでに決まったことだ。三日後、年若い娘を各村から集め、城の礎に捧げる。城主様に命を捧げられるのだ、誉れと思え!」

「誉れ……?ふざけるな!うちの女房は水龍様の生贄にされて、今度は娘まで……!そげなもん、どげん理屈で納得できるか!!」


 宗烈の叫びは、怒りと絶望で震えていた。澄音は涙を溢れさせ、言葉もなく父の背にすがりついた。

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