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月下の剣舞

 一体のヴァルゴイアと、それと対峙する二人の人影に、ティアの足が止まった。


──あれは、ジークハルト殿下と、ユリウス様!


 濃紺の甲殻に覆われたヴァルゴイアは、ジークハルトの魔法攻撃をものともしない。ユリウスの剣も、その硬い皮膚にはまるで通じていなかった。


 二人は確実に追い詰められていた。


「殿下、お下がりを!」


 ユリウスが身を挺してジークハルトを庇う。戦いの様子は明らかに劣勢だった。このままでは、二人がやられるのは時間の問題。


 ティアは胸の奥が強く締めつけられるのを感じた。ふいに、頭の中に思い浮かぶのは、数時間前──自らの過去を仲間たちに告白したときのことだった。

 カイが言った言葉が今も鮮明に、耳に残っている。


『ティア。お前の過去は、お前のすべてじゃない。過去に何をしたかより、これからどうするかのほうが、よっぽど大事だ』


 あの言葉が、今もずっと自分を支えている。


──もう悔やんで立ちすくむのは終わりにしよう。


 目を閉じて、ティアは覚悟を定めた。こんな自分を受け入れてくれた仲間たちに、恥じるような生き方は絶対にしたくない。


 目を開けた瞬間、風を切って、彼女は屋根から飛び降りた。一直線に、ジークハルトとユリウス、そしてヴァルゴイアの間へと踊り出る。


「ジークハルト殿下、ユリウス様。この魔獣は私が引きつけます。どうかお二人は、避難を!」

「レティシア!?」

「レティシア嬢だと!?」


 ティアの突然の出現に、二人の目が見開かれる。


「何を考えている!女の君に何ができる!」

「むざむざ殺されに来たのか!?」


 ユリウスが憤りをあらわにするのも無理はなかった。彼らはティアの実力を知らない。自分たちでさえ太刀打ちできない魔獣を、ティアがどうにかできるとは思えなかったのだ。


 だがティアは怯まなかった。


「マリエル様や他の方々はご無事ですか?」


 彼女の問いに、ジークハルトが答える。


「マリエルたちは避難させた。我々は、外に残って戦っていた」

「そうですか……避難しているなら、よかった」


 ティアは短く息を吐き、ヴァルゴイアから目を離さず真剣な声で言った。


「この先に、大きな倉庫があります。そこに避難民たちが集まっているはず。どうか、王宮方面へ人々を誘導してください。殿下の指揮なら、皆も安心できるはずです」

「お前が囮となって死んでも、迷惑でしかないぞ」


 ジークハルトが、苦々しげに言う。

 それに対し、ティアは真っ直ぐに答えた。


「死ぬつもりはありません」


 その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

 次の瞬間、ヴァルゴイアが咆哮と共に攻撃を仕掛けてきた。三人は散開してその爪撃を避ける。


「早く行ってください!」


 ティアが叫ぶが、二人は退こうとしない。


「犯罪者に恩を着せられるなんて、ごめんだ」


 ユリウスが剣を構え、ヴァルゴイアに向き直る。


 ノワールと戦ったときのような“覚醒”は今のティアにはない。だが、それでも彼女はヴァルゴイアと互角に渡り合える力を持っていた。


 だが、互角であるということは、負ける可能性もあるということ──


 二人を守りながら戦える相手ではない。


 ヴァルゴイアの咆哮とともに攻撃が迫る。

 ティアは地を蹴り、跳ねるようにかわした。そのまま反転し、手にした短剣で関節部を狙う。だが、敵の皮膚はあまりに硬く、刃は浅くしか刺さらない。


 ジークハルトとユリウスはその場に踏みとどまり、今にも再び参戦しようとする。


「早く行ってください!邪魔だと言ってるんです!」


 思わず叫んでしまったティアは、すぐにその言葉に我に返り、はっとする。


「……申し訳、ありません……」


 だが、遅かった。


「愚弄するか」


 ジークハルトが怒気を込めて睨みつける。


「貴様のそういう、自分は何でもできるといった態度が気に食わない。昔から変わらない、可愛げのない女だ」


 その一言に、ティアの動きが止まる。心のどこかで、まだ引きずっていた過去の影がよぎった。


 その一瞬を、ヴァルゴイアは見逃さなかった。

 体をひねり、尾を振るう。太い尾がティアの胴を捉え、彼女の身体は空を舞い、近くの建物の壁に叩きつけられた。


 瓦礫が舞い、煙が上がる。


「レティシア!」


 ジークハルトが思わず声を漏らし、ユリウスも眉を寄せる。

 だが、ティアは乾いた笑みを浮かべながら、瓦礫の中からゆっくりと起き上がった。身体は痛むが、それでもまだ戦える。


「……大丈夫です」


 その声に、二人は言葉を失う。


 次の瞬間、ヴァルゴイアが口を大きく開き、光を集め始める。


「……ッ!」


 ティアは立ち上がるや否や、全速力で駆けた。

 その巨大な顎から放たれようとしているのは、エネルギーの塊。明らかに致命的な一撃。


「やらせません!」


 ジークハルトたちへ放たれるはずだった一撃を逸らすべく、ヴァルゴイアの頬めがけて拳を振るった。

 衝撃音と共に、敵の首が大きく横を向く。

 エネルギー弾は空を裂き、数キロ先へと消えていった。

 地平線の先で爆音が響き、視界の彼方に巨大な閃光が走る。そこには、もはや何も残っていなかった。


「……かっ、たぁー……」


 硬すぎる表皮に、ティアは思わず素の声を漏らした。


 ジークハルトとユリウスの脳裏に、あの一撃が自分たちに向かっていたらどうなっていたかという恐怖が過り、二人の背に、冷たい汗が伝う。


 だが同時に、ティアの動きに目を奪われた。


 速い──。護衛騎士であるユリウスでさえ、目で追うのがやっとだった。


「お怪我は、ありませんか」


 ティアが振り返り、問いかける。


 二人が言葉を返す間もなく、ヴァルゴイアが再び咆哮を上げた。今度は明確に、ティアを標的として見据えている。


──こちらを、脅威と認識したか。


 ジークハルトとユリウスが無視されることで、動きやすくなったのはむしろ好都合だった。


 時はいつの間にか夕刻を過ぎていた。陽は沈み、月が空高く昇っていた。月明かりが、静かに戦場を照らしている。


 その月明かりの下、ヴァルゴイアと対峙するティアの姿があった。


 銀色の髪が月の光に照らされ、宙を舞うたびにキラキラと輝く。軽やかに舞い、短剣を振るう姿は、まるで夜に咲く一輪の花のよう。いや、まるで剣舞を踊る舞姫のようだった。


 ジークハルトとユリウスは、そんな彼女の姿に思わず見惚れていた。


 自分たちが知っていたレティシアとは、違う。今、彼らの目の前にいるのは、過去に囚われた少女ではなく、今を戦う一人の戦士だった。


 激しい攻防が続く。ティアは隙を突き、短剣をヴァルゴイアの関節部へと突き立てた。金属のような皮膚の隙間に刃が沈み込み、ヴァルゴイアが雄叫びを上げる。

 関節や皮膚の継ぎ目など、刺さりやすい箇所に次々と刃を突き立てていく。だがどれも致命傷には届かない。


「ぐおおおおおおっ!!」


 ヴァルゴイアは痛みに雄叫びを上げ、ティアを踏み潰そうと足を振り下ろす。

 その巨体の下を紙一重で躱しながら、ティアは呼吸を整えた。


──まだ、やれる。


 あと一歩間違えれば、命を落としかねない。

 それでもティアは、諦めなかった。


 最終的に、敵の動きを読み切ったティアは、大きく踏み込み、跳躍。ヴァルゴイアの頭部に飛び乗り、関節の根元を深く貫く。


 叫びを上げ、巨体がのけぞった瞬間──ティアはその頭上から地面へと着地。

 そのまま、崩れ落ちるようにヴァルゴイアの身体が崩壊し、地響きを立てて倒れ伏した。


「……ふうっ……終わった……」


 ティアは膝をつき、荒く息を吐いた。


 振り返ると、ジークハルトとユリウスが、黙ってティアを見つめていた。


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