王都襲撃
炎の花が空に消えた頃、ティアの周囲に仲間たちの姿が集まり始めていた。
「ティア!」
一番に駆け寄ってきたのはカイだった。その顔には、安堵と同時に、戦場に身を置く者特有の緊張が刻まれている。
「無事でよかった……状況は?」
ティアが首を振るまでもなく、周囲を見渡せば答えは明らかだった。逃げ遅れた人々が路地にあふれ、あちこちから悲鳴や泣き声が絶えない。王都は、まさに混乱の渦中にあった。
続いて、仲間たちが次々と合流する。現状を整理するため、すぐに情報交換が始まった。
「東門を見てきた。門は破られてた。魔獣とモンスターが、今も押し寄せてきてる」
そう報告したのはレイだった。服には煤が付き、焦げた匂いが風に乗って漂う。彼の眼差しには、切迫した現場を見てきた者だけが持つ鋭さが宿っていた。
「俺たちは旅一座のみんなを避難させてきた」
息を切らしながら、リュシオンが言う。
「被害は出ていない。全員無事だ」
その隣でアルセイルも静かに頷き、補足した。
「団長や他の仲間たちも確認できた。貴族との商談に出ていたみたいだが、無事だ」
カイの報告に、ティアはわずかに息をついた。
「敵は東門から来てる。西区の鍛冶屋や製鉄所は今のところ被害なしだ」
それぞれが持ち寄った情報により、ようやく全体像が明らかになってきた。
──東門から敵が侵入。西区の武器供給地帯は無事。避難者は未だ点在しており、王都は混乱状態。
ならば、今打つべき手は一つ。避難者を北の王宮方面に集めつつ、西の備えを万全に整えること。
すぐさまカイが指示を飛ばす。
「ティア、避難者たちの誘導を頼む。王宮まで案内してくれ」
「任されたわ」
ティアが力強く頷く。
「レイは逃げ遅れた住人の救助と、避難誘導の援護を」
「了解」
レイが短く応じ、すでに足が動き出している。
「俺は兵が来るまで最前線で時間を稼ぐ」
カイの視線が、アルセイルとリュシオンに向けられる。
「アルセイル、リュシオン。西区の鍛冶屋と製鉄所へ行ってくれ。あそこが潰されたら、戦う術すら奪われる。だが住人の安全が最優先だ。無理はするな」
「わかった」
「任せて」
二人は同時に頷き、それぞれの任務へと駆け出していった。
仲間たちが散っていくなかで、カイの中には、どうしても拭いきれない違和感が残っていた。
──なぜ敵は、西門ではなく東門を狙った?
魔獣たちが人の多い方を狙っただけかもしれない。しかし、それだけでは片付けられない感覚があった。何かを、見落としている気がする。そんなざわめきが、胸の奥でくすぶり続けていた。
そのときだった。
耳をつんざくような怒号が、王都の空気を震わせた。
地の底から響き渡るような声。人の叫びでありながら、獣の咆哮を思わせる混濁と怒りを孕んだ叫びだった。
「……ヴァルゴイア!?」
レイが叫ぶ。
その瞬間、街のあちこち──王都の複数地点に、五体のヴァルゴイアが姿を現した。
黒く、巨大な異形。かつてティアたちが苦戦した魔界生息の魔獣であり、その出現に、場の空気が一変する。
カイの中で、点と点が線となって繋がった。
──種で群れることはあっても、異種の魔獣やモンスターが連携することはない。それが今、同時に王都へ現れた。偶然ではありえない。
誰かが、魔獣たちを操っている。
そしてそれはただの暴走ではなく、意図を持った侵攻である──。
カイは、以前遭遇した二人の魔族の姿を思い出していた。
もし、魔族の仕業であるなら、狙いは戦力の源である武器製造。ドワーフ族の営む西区の工房群が最も合理的な目標だ。
だが──ならば、なぜ東門からの侵攻なのか?
あえて鍛冶場を避け、住宅街を襲う意図とは……?
「……東にこそ、狙うべき“何か”があるのか……?」
推測は確信に変わりつつあった。
そのとき、ヴァルゴイアの出現に足を止めていたアルセイルとリュシオンが、警戒の色を強めて振り返った。
カイは即座に叫ぶ。
「アルセイル、リュシオン!急いで西区へ!この襲撃は囮かもしれない!」
二人は頷き、再び走り出す。
カイはティアのほうを振り返り、真剣な目で問いかけた。
「戦えるか、ティア?」
ティアは小さく鼻で笑う。
「愚問ね。あの時より、私はずっと強くなってるわ」
それは強がりでも誇張でもない。ヴァルゴイアやノワールとの過去の戦いを経て成長した彼女の自信であり、カイ自身もそれをよく知っている。
カイは力強く頷いた。
「……よし、行くぞ」
こうして、カイ、レイ、ティアの三人はそれぞれ散り、王都に現れたヴァルゴイア討伐へと動き出した。
カイが選んだ戦場は、中央広場にほど近い石畳の交差点。そこには一体のヴァルゴイアと、それを護るかのように数体の魔獣がうろついていた。喉を鳴らし、牙をむき出しにした獣たちが、今にもカイに飛びかからんとしている。
幸いにも、周囲に逃げ遅れた市民の姿はない。避難誘導が間に合ったのだろう。
カイは、手にした槍を軽く回してから構えた。
鍛冶師から渡されたばかりの特注の一本。
「試すには申し分ない相手だな……」
ヴァルゴイアが重低音のような唸り声を上げる。直後、号令に従うかのように傍らの魔獣たちが一斉に飛びかかってきた。
カイの足が、一瞬にして消える。
続けざまに、火花が散った。槍の一撃が獣の頭蓋を貫き、もう一撃が咽喉を裂く。
獣の体が弾かれたように宙を舞い、石畳に叩きつけられて動かなくなる。
一体、また一体。
カイの動きは流れる水のように滑らかで無駄がなく、鋭く速い。槍はまるで意思を持つかのように獣たちの急所を正確に穿ち、戦場はあっという間に静寂を取り戻していった。
「……さて、本命だ」
最後に残ったヴァルゴイアが、まるで感情を持ったかのように咆哮した。甲高く、怒りと敵意を孕んだ声が、空気を震わせる。
カイは一歩、また一歩と間合いを詰める。
ヴァルゴイアの甲殻は、魔力だけでなく物理的な衝撃にも極めて強い。真正面からではまず通らないことは、これまでの戦いでわかっている。
「なら……どう攻めるか、だ」
ヴァルゴイアの前脚が振り下ろされる。
カイはそのタイミングを読みきり、滑り込むように前進。
そして、全身の力を込めて地面を蹴った。
「──穿てッ!!」
槍がしなり、重力すら逆らうかのようにヴァルゴイアの腹部の関節へ突き刺さる。
バギィッ!と音を立てて甲殻が割れた。魔獣の体がのけぞる。そこに、迷いなくもう一撃。喉元への刺突が走る。
その二撃目が、ついにヴァルゴイアの急所を貫いた。
呻き声をあげて、その巨体が倒れ込むように崩れ落ちた。
カイは息を整えながら、槍をひと振りして血を払い、呟いた。
「……一本、上出来だ」
そして、東の空に揺らめく炎を捉え、すぐに次の標的を見定めた。
瓦屋根を蹴って跳び移りながら、カイは再び戦場の渦中へと身を投じていく。
#
王都東区、倒壊した塔の陰に身を隠しながら、レイは魔力の流れを読む。
ヴァルゴイアの姿は目前にある。だがその周囲には、他の魔獣は見当たらない。まるでレイ一人を待ち構えていたかのような構図だった。
「魔力耐性があるって話だけど、それも限度がある。だったら──」
レイは詠唱を始めた。
低く、しかし正確に。火の精霊を呼び起こすかのように、熱と破壊の力を練り上げる。
周囲の空気が震え、気温が急上昇する。瓦礫に積もった埃が熱気で舞い上がった。
ヴァルゴイアが動いた。咆哮と共に突進する。
レイの目が細くなる。
「爆雷穿界陣ッ!!」
詠唱が終わると同時に、彼は地面に拳を叩きつけた。
大地が鳴動する。
魔法陣が足元に展開され、無数の火矢が地面から噴き上がった。
中心にヴァルゴイアがいた。
避ける間もなく直撃。甲殻が焼け裂け、魔力の限界を超えた熱量が内部へと侵入していく。
爆音と共に、ヴァルゴイアの身体が爆ぜた。
レイは深く息を吐いて、満足げに笑みを浮かべる。
「……耐性があっても、限界はある。そうだろ?」
だが、その背後。
レイの魔力に反応したのか、別のヴァルゴイアが音もなく迫っていた。
それに気づいたレイは、静かに肩越しに振り返る。表情に、焦りはない。
一方その頃、王都南東部。ティアは屋根を伝い、もう一体のヴァルゴイアの元へと向かっていた。
だが、視線の先に映った光景に、彼女の足が思わず止まる。
ヴァルゴイアと、二人の人間が対峙していた。
その二人は、ジークハルトと、彼の護衛騎士ユリウスの姿だった──




