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許されぬ過去

「顔を出すつもり、ねー」

「あとで合流する、ねー」


 エルフの双子、アルセイルとリュシオンが、からかうようにニヤニヤ笑いながら声を揃える。


「なんだよ。別にいいだろ」


 カイが肩をすくめ、目をそらしながらも不機嫌そうに言い返す。けれど、その口元はどこか落ち着かない。気のない素振りで取り繕ってはいるが、顔に出やすい性格なのだ。


 双子はそれを見逃さない。


「「べっつに~」」


 二人は声を合わせてはぐらかし、わざとらしく鼻歌でも歌い出しそうな調子で並んで歩き出す。

 そんなやり取りに割って入るように、レイが冷静に口を開いた。


「……で、今日はドワーフ国にあるダンジョンに行く予定だったんじゃないのか?」


 その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まる。

 数年前、王都から数キロ離れた場所に突如として出現したダンジョン。すでにボルグラム王の手によって一度は攻略されているが、内部にはまだ未回収の遺物や未知の機構が残されているとされている。


 ボルグラム王が手にしている戦斧も、そのダンジョンでの戦利品だという。斧というよりは、もはや秘宝と呼ぶにふさわしい逸品。


 本来、商隊の中でも戦闘能力の高い者たち──アルセイル、リュシオン、そして獣人たちを連れて、今日中にダンジョンを探索する予定だった。すでにボルグラム王からの正式な許可も得ている。


 だが、予定は変更され、ダンジョン探索は明日に延期となった。


「じゃ、行こうぜ。鍛冶屋に」


 そう言って、カイは先頭に立ち、仲間たちを連れて王都の職人街へ向かう。


 鍛冶屋街に足を踏み入れた瞬間、鉄と油の匂い、焼けた金属の熱気が肌を撫でた。リズミカルに響く槌音が、通りの空気に重く刻まれている。


 やがて目当ての鍛冶屋にたどり着くと、店の奥で無骨なドワーフの職人が槌を振るいながら彼らに気づいた。


「おう、来たか。武器ならもう出来上がってる。そこだ、壁に立てかけてある」


 力強く指差された先にあったのは、思わず息を呑むような、美しい武器だった。


 戦闘用の長槍。全体は細身ながら、力強さと洗練を両立したフォルム。鋭く尖った三角形の穂先には、金色の装飾があしらわれており、どこか神聖さを漂わせる。

 根元には歯車のような金属の意匠が施され、まるで魔導装置の一部か、古代の機械の心臓部のようにも見える。


 軸には黒と金を基調とした彫刻模様が繊細に走り、中心部には紫の宝石が深く埋め込まれていた。魔力の気配をかすかに放っており、ただの装飾ではないことが直感で分かる。

 槍の下部には刃状の突起があり、接近戦や逆手での打撃にも対応できる作りになっていた。


 槍を手にしたカイは、息を呑んでその質量と存在感に見入った。


「……すげぇ……」


 その一言に、込められた感動が全て詰まっていた。手にしっくりと馴染む感触。今までのどんな武器よりもしっくりくる。これは、まさに自分のための槍だ。


 その隣では、アルセイルとリュシオンも武器を手に取っていた。二人が依頼していた新調の弓も、見事な仕上がりだった。


 黒檀と銀の補強を施されたアルセイルの弓は、重厚で美しく、狩猟にも戦闘にも適した構造。弦には魔力を通す特殊な銀糸が用いられており、引き絞るたびにわずかに光が走る。


 一方のリュシオンの弓は白木を基調にした軽量の設計で、細身ながらも芯のある反発力を備えている。青い紋様が風を思わせるように流れ、弦の先からは小さく魔力が揺れていた。


「やっぱこの国、匠の国だな……」

「これで明日、ダンジョンもバッチリってわけね」


 双子は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。


「そろそろ行くぞ。広場に向かわないと、公演に間に合わない」


 レイが鍛冶屋の戸口から振り返り、短く言った。無駄のない言葉と、わずかに眉を上げた表情は、彼なりの「急げ」という合図だ。


「あ、もうそんな時間か」

「じゃ、支払い済ませてからね」


 カイと双子は揃って代金を支払い、ドワーフの職人に礼を告げる。

 「最高の仕事だった」と言えば、ドワーフは鼻を鳴らして照れ隠しのように笑い返した。


 一行が鍛冶屋を出ると、石畳の通りには大道芸の準備をする者たちが集まりつつあった。


「なあ、あれ……ティアたちとミゲルさんとこの踊り子たちじゃないか?」


 先に気づいたのはリュシオンだ。アルセイルもすぐに視線を鋭くし、頷く。


「門のほうで……揉めてる?」


 カイも思わず顔を上げ、人だかりの向こうに視線を凝らした。

 広場の入口付近で、数人が何か言い合っている。

 ティアと向かい立つジークハルトの姿を見て、カイは息を呑んだ。


──なんであいつが、まだここに!?


 ボルグラム王は確かに言っていた。ミレナ国との交渉は決裂し、使節団はまもなく帰国すると。

 それに、彼らが王都に到着してから一ヶ月は経つだろう。とっくに姿を消していたはずの存在。


 それなのに。奴はまだこの王都にいて、ティアの目の前に立っている。


──まさか、まだ残ってやがったのか!


 ドルマリスでの一件を思い出す。ティアがジークハルトを遠目に見かけただけで、呼吸を乱し、動けなくなったあの瞬間。

 あの時から、警戒はしていた。王都で鉢合わせる可能性も、念頭には置いていた。だが、王都に着いて数日。ミレナ国の使節団の姿がなかったから油断した。


「ティアッ──!」


 駆け出そうとしたそのとき、ジークハルトの声が響いた。


「──何故、生きている。本当にレティシアなのか?」


 あまりにも静かで、冷たい声だった。

 その言葉に、カイの足が止まる。

 ティアが、ひとつ深く息を吸い込み、優雅にドレスの裾を持ち上げ、丁寧なカーテシーした状態から、顔をゆっくりと上げる。


 苦しげな、しかし確かな瞳。

 そして、静かに答えた。


「……死にかけていたところ、旅商人の方々に救っていただきました」


 その瞬間、空気が変わった。広場のざわめきは静まり、言葉の意味を理解しようとするように、誰もがティアを見つめる。


 カイの拳が、強く握られた。

 槍の柄が、わずかに軋む。


 ジークハルトが、ゆっくりとティアに歩み寄った。


「悪運の強いやつだ。貴様がマリエルにしたこと、忘れたわけではあるまい」


 鋭く、冷徹な言葉。ティアの肩がピクリと跳ねる。

 胸の奥で心臓が荒々しく暴れ、まるでエンジンの轟音のように響いた。


 喉が渇く。指先が冷える。恐怖が、静かに全身を蝕んでいく。

 けれど、それでも立ち尽くしていられるのは──本当に怖いのは、別にあるからだ。


 ティアの正体が明かされること。

 いや、それよりも──“レティシア”という過去が、今の仲間たちに知られてしまうこと。

 それが、何よりも、何よりも恐ろしかった。


「はい……。マリエル嬢、行き過ぎた行為で貴女に怖い思いをさせてしまい、申し訳ございませんでしたわ」


 ティアは両の手を合わせ、深く頭を下げた。

 その瞬間だった。


「……っ!」


 ジークハルトがティアの髪を鷲掴みにした。

 周囲がどよめく。ティアの体がよろけ、悲鳴が上がる。


「マリエルは私の婚約者だ。……平民の立場を弁えていないのか」

「ジークハルト様!」


 マリエルが慌てて駆け寄る。


「……確かに、過去にレティシア様から酷い仕打ちを受けていましたが、それはもう……過去のことです。どうか、お手を……」


 その言葉に、ティアは唇をギュッと噛んだ。

 そして、震えながらも、地面に膝をつこうとしたその瞬間。


「ティア、遅くなってすまない」


 低く、けれどはっきりとした声が響いた。


「……どうした、顔色が悪いぞ。ドルマリスの民を救い、ドワーフ王にも気に入られ、相手をしていた疲れが出たのだろう」


 カイが人垣を割って現れた。

 ティアの手首をそっと取り、膝をつこうとするのを止める。そして、迷いなく彼女の顎に手を添え、そっと自分の方へ顔を向けさせた。


「カ、イ……?」


 突然の出来事に、ティアの瞳が揺れる。戸惑いと、微かな安堵が入り混じる。

 カイはそのまま、ひょいと彼女の体を抱き上げた。


「俺はティアを休ませてくる。リシェル、カナリア。すまないが、一座のみんなにも伝えておいてくれ」

「おっけー!」

「ティアがいないと寂しがると思うけど……仕方ないね」


 リシェルとカナリアが、にっこり笑って親指を立てる。


「ここ最近、働き詰めだったし。ゆっくり休んできなよ」


 二人は軽くウィンクを飛ばし、ティアの背を見送る。


 カイはそのままジークハルトの前を通り過ぎる時、無言で視線だけを交わした。


「……というわけで、ティアの知り合いの皆さんも。彼女はこちらで連れて行きますね」


 振り返りながら、穏やかな笑みを浮かべたカイが続ける。


「どうぞ、公演を楽しんで」

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