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魔界の影と旅の目的

 石造りの大広間には、長大な晩餐卓が据えられ、山盛りの肉料理、焼きたてのパン、香草のスープ、そして琥珀色の酒が惜しげもなく並べられていた。燭台の炎が金の食器にきらめき、賑やかな声と笑いが天井にこだましている。


 その中で、ボルグラム王は座を離れて壇上に立ち、重々しく杯を掲げた。


「ドルマリスは、我がドワーフ国の交易都市にして玄関口。その民を救ってくれたこと、心より感謝する!」


 その声に、大広間が静まり返る。


「これは、ささやかなお礼だ。今日は堅苦しい話は抜きだ。存分に食え、飲め、語れ!ドルマリスを救った英雄たちに、乾杯!」


 王の高らかな音頭に、場が一斉に沸き立つ。


「乾杯!」


 湧き上がる声と共に、杯が打ち鳴らされ、こぼれ落ちた酒が卓を濡らす。次の瞬間には、皆が目の前の料理に手を伸ばし、思い思いに食事を楽しみはじめた。


 楽士たちが音楽を奏で、踊り子たちが現れて優雅な踊りを披露する。会場はまるで祝祭そのもののように華やぎ、誰もが英雄たちの労を称えていた。


 そんな中、ボルグラム王は杯を片手に、悠然と団長の元へ歩み寄った。


「クラースよ、楽しんでおるか?」


 団長は席から立ち上がり、一礼をもって応じる。


「陛下のお心遣い、ありがたく頂いております」


 王は目を細め、懐かしさと誇りを込めた眼差しで彼を見つめながら、語りかけた。


「噂は聞いておるぞ。珍品である霧晶果を使い、あの厄介な燻熱病を食い止めたとか。しかも治療だけに留まらず、霧煙炉なる装置を設計し、衛生のための石鹸までも作ったそうだな」


 団長がわずかに目を伏せる。その隙に、王はさらに続ける。


「他にも、蒼涙草と霧晶果の産地である村では、かつて枯れ果てていた土地にダムを築き、水を通し、民を生かしたと聞く。お前の働きは、いずれ大陸中に知れ渡ることだろう」


 言葉には驚きと、心からの称賛が込められていた。辺りの耳目が再び、団長たちの元に集まりはじめる。

 王の賛辞に、団長は謙遜の色を浮かべて頭を下げた。


「過分なお言葉、痛み入ります。されど、それらは儂ひとりの力ではございません」

「ほう?」

「仲間の知恵と働きがあってこそ、成し得たこと。儂は皆の意見を聞き、進むべき道を選ばせてもらったにすぎません。ダムの建設も、燻熱病の治療法を見つけたのも、霧煙炉の構想も、発案者はティアという娘でございます」


 そう言って、団長は背後に座る少女を振り返り、手を差し出すようにして紹介した。


「陛下。彼女こそ、我が隊の誇りティアでございます」


 突然の紹介に、ティアは盛大にむせた。


「だ、団長!私はただ思いつきを口にしただけにすぎません!みんなの知恵と手助けがあったからこそ、形になっただけで……!」


 その素直な言葉に、場の空気が一瞬だけしんと静まり、次の瞬間、ボルグラム王が腹の底から笑った。


「はっはっは! よき娘だな!」


 王は興味深げにティアを見つめたまま、酒杯を掲げると、冗談めかした口調で続けた。


「余の十二番目の息子とそう歳も違わん。どうだ、嫁に来んか?ドワーフ国の姫として遇してやるぞ!」


 冗談のようで、冗談に聞こえない言葉に場がざわついた。


「ま、まさか王家に!?」

「い、いきなり嫁って……!」


 その瞬間、小さな獣人の少女が立ち上がった。


「だめっ!ティアはルゥナのだもん!」


 席から飛び出してティアの腕にしがみつくルゥナ。尻尾を逆立て、きりっとした顔で王に向かって睨む。


「ほんとに、だめなんだからっ!」


 次いでカイが立ち上がり、落ち着いた声で続ける。


「彼女は、俺たちにとって大切な仲間です。……そう簡単に嫁に出すわけにはいきません」


 その言葉に仲間たちも口々に同意する。


「そうだそうだ!」

「ティアは俺たちの大事な家族だからな」

「嫁に出すには早すぎる!」


 王はそれを見て、大声で笑いながら腕を組んだ。


「よしよし、その気概よ。仲間にそう言われる娘なら、なおのこと気に入ったぞ!」


 場の空気が一気に和み、音楽とともに宴は再開される。酒が進み、笑い声が響く中、ティアもようやく落ち着いて席に戻り、仲間たちと笑い合う。


 晩餐会は、緊張を解いた者たちの心が自然と溶け合い、まさしく祝宴となっていった。


 ──だが、気がつけば、宴の中心にいたはずの面々が、ふと姿を消していた。


「団長は?」

「カイとレイもいない……?」

「王様も、どこ行ったんだ?」


 周囲に訊ねても、誰も所在を知らない。


 そして──場面は、静かな石造りの別室へと移る。


 そこにいたのは、クラース、ボルグラム王、カイ、そしてレイの四人だった。

 重厚な扉が音もなく閉じられ、先ほどまでの賑やかな宴の喧騒がまるで嘘のように遠ざかる。石壁に据えられた松明の灯りだけが、彼らの影を静かに揺らしていた。


 カイは静かに一礼し、真剣な面持ちで口を開く。


「まずは、時間をいただき感謝いたします、ボルグラム王陛下。……俺は、カイル・エヴァン・ローデリック。フォルセリア帝国の第三王子です」


 王の眉がわずかに動く。だが、言葉を遮ることなく耳を傾けていた。


「今は皇族としての立場よりも、世界の現状を見聞きし、自らの目で確かめるために旅をしています。……ですが、ただの気まぐれではありません」


 カイの声は静かだが、芯が通っていた。


「兄たち──第一王子や第二王子とも密に連絡を取り合いながら、異界との歪みや不穏な兆しを探る任を担っています。帝国としても、決して無関心ではいられない状況なのです」


 その言葉に、王の眼光がわずかに鋭さを増したように見えた。

 しばしの沈黙の後、ボルグラム王が口を開いた。


「……つい先日、ミレナ王国の使節が訪れた。武器製作の大口の依頼だった」


 その声は、先ほどまでの快活さとは打って変わって冷厳で、鉄を打つ槌のような重みを帯びていた。


「戦の気配を、我らが嗅ぎ取れぬとでも思ったか?異界だの歪みだの、体のいい理由を並べて、帝国もまた……戦争の火種を抱えているのではないか?」


 その問いには、言葉以上の圧があった。重く、真意を試すような響き。

 カイは驚きを隠せず、眉をひそめたが、すぐさま首を振った。


「そんなつもりはありません、陛下。少なくとも、フォルセリアは戦争を望んでなどいない。俺の旅の目的も、戦を起こすためではないんです」


 王の眼光は鋭いままだ。だが、カイは一歩も引かず、言葉を紡ぐ。


「フォルセリアは、魔法に長けた国です。ゆえに、世界の異変にも早く気づきました。……ここ数年、各地に突如出現するダンジョンが増えている。最初は偶然かと思っていた。でも、違った。どれも“向こう側”──魔族がいる異界との境界が、歪んでいるとしか思えない」


 今度はボルグラム王がわずかに眉をひそめ、表情を引き締めた。


「すでに、俺は魔界の魔獣“ヴァルゴイア”と交戦しました。それだけじゃない。数ヶ月前に魔族そのものとも、接触しています」


 静寂が満ちる。重く沈む空気の中で、カイははっきりと宣言する。


「彼らが、この世界に現れたら……人類は、国同士の争いどころでは済まなくなる。忘れ去られた過去、あるいはそれ以上の“災厄”が再び訪れるでしょう」


 団長がゆっくりと目を閉じ、王の隣で静かに頷いた。


「だからこそ、お願いしたいのです、陛下。武器の製作を、備えの強化を、そして……ドワーフたちの技術と叡智を貸していただけないでしょうか」


 カイは言葉を区切り、深く息を吐いた。


「取り越し苦労なら、それに越したことはありません。……ですが、後手に回れば、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。そうなってからでは、どれだけ力があっても間に合わないんです」


 王は無言のまま、鋭いまなざしでカイを見据えていた。重い沈黙は、まるで時を止めるかのように長く続いた。


 だがその眼差しの奥には、軽率な拒絶や怒りではなく、真実を見極めようとする、王としての誠実な意志が宿っていた。

 沈黙のなかで、ボルグラム王はゆっくりと椅子の背に体を預けた。

 髭を撫でるように手を添え、重い吐息を一つ。

 そして、低く、地の底から響くような声で語り始めた。


「……我らドワーフは、地を掘り、鉄を鍛え、火と共に生きてきた種族だ。地震の前触れ、鉱脈の脈動、空気の揺らぎ。そういったわずかな歪みには、昔から敏感でな」


 王の視線が、炎を照り返すカイの瞳に向けられる。


「確かに感じている。世界の“底”が、何かおかしい。空気の張り、土の反響、目に見えぬものが揺れている……そう報告してくる者が、少なからずいるのだ。おぬしの話は、決して荒唐無稽ではない」


 王の声色が、わずかに和らいだ。だが、威厳は失われていない。


「だがな、カイル王子。兵を動かすとは、刃を抜くに等しい。ましてや、武器を鍛える我らが“戦”を意識すれば、それが他国への“宣戦布告”に聞こえることもある」


 一転して、鋭い言葉が飛ぶ。


「世界を救うために動くといえば聞こえはいいが……その動きが、誰かにとっての恐怖となり、不安となり、逆に戦を早めることもある。……その覚悟はあるか?」


 静寂が落ちる。揺れる炎が石壁に影を走らせる中、カイは静かに頷いた。


「はい。覚悟しています。それでも、黙っていて何も備えず、後手に回ることこそが、一番の脅威だと思っています」


 ボルグラム王はその答えを、しばし沈黙のまま見つめていた。やがて、深く息を吐き、重々しく口を開いた。


「……全面的に信じたわけではない。だが、見過ごせぬ火がくすぶっているというのなら、王として黙っているわけにもいかぬ。何より……おぬしの目に偽りはなかった」


 わずかに笑うような、しかしそれもすぐに引っ込めた表情で、王は椅子の肘掛けに手を置いた。


「ドワーフは、剣を抜くよりも鍛える方が得意な種族だ。だが、それが戦を遠ざける手段でもあるなら、やぶさかではない。我らの技と備え、最低限の準備は進めておこう」


 カイの肩がわずかに緩む。だが、それでも頭は深く垂れたままだった。


「……感謝いたします、陛下」


 ボルグラム王は、厳しくもどこか温かさを感じさせる目でその姿を見つめる。


「礼など要らん。まだ我らが仲間になったわけではない。……だが、もしおぬしの言葉が真実であるのなら、その時はドワーフの名にかけて、力を貸そう」


 王の視線が、松明の灯りに揺れる剣のような影をカイの背に落とす。


「──今はまだ、静かに鍛えておく時だ。備えよ。火はいつでも、誰にでも牙を剥く」

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