封鎖された街、ドルマリス
門番との交渉が済み、商隊が街への通行を許可されると、仲間たちに緊張が走る。
ティアの一件があった直後でもあり、空気はどこか張り詰めていた。
門の前で、商隊の団長が一同を振り返る。
「……この先に入ったら、いつ戻れるかは分からない。中では勲熱病が広がっている」
どよめきが広がる。
団長はそれを制し、冷静に続けた。
「人から人への感染は確認されていない。だが確証はない。だから、どうしても不安な者は無理に中へ入らなくていい。ここで待つという選択もある」
仲間たちの表情が揺れる中、次第に自らの意志で「残る」「入る」と判断が分かれ始めた。
団長は旅芸人たちの方へ視線を向けた。
「……ここでお別れだ、ミゲル」
旅芸人たちの団長であるミゲルが目を見開く。
「おいおい、いきなり別れの挨拶かよ。もう少し情ってもんが──」
「王都まで同行する約束だったのは覚えてる。だが……悪い。儂らは、ドルマリスに残る。いつ外に出られるかもわからない街だ。お前たちまで巻き込むわけにはいかない。ここからは先に行ってくれ」
団長は真剣な表情でそう告げた。
だが、ミゲルはふっと笑った。
「断るよ」
「……は?」
団長が少し目を丸くする。
ミゲルはマントの裾を払って、にやりと笑った。
「病に沈んだ街だろ?だったらなおさら、俺たちの出番じゃないか」
「お前……」
「誰だって不安になる。暗い顔が増えりゃ、それだけ街の空気は重くなる。だったらさ──そんな時こそ、俺たち旅芸人が必要ってもんだろ?」
仲間たちも、口々に頷く。
「舞台があるなら行くのが旅芸人さ」
「泣いてる子供を笑わせるのが、俺たちの“仕事”だ」
「なに、勘違いするなよ?これは“善意”じゃない。俺たちが、そうしたいだけだ」
団長はしばらく無言のまま、彼らを見つめると、わずかに口元を緩めた。
「……好きにしろ」
「へいへい、それが一番性に合ってる」
ミゲルは団長の肩を軽く叩く。
「じゃあ一緒に行こうか。こっちも“出演料”の分くらい、ちゃんと働かせてもらうぜ?」
軽口の裏にある、確かな覚悟。それは、商隊の仲間たちにも静かに伝わっていた。
ドルマリスの門が、ゆっくりと開く。
重たい空気の向こうで、病に沈む街が彼らを待っている。
旅芸人と商隊の混成一行が、その先へと足を踏み入れた。
ドルマリスの門が重々しく閉じられる。
空気は湿っているのに、どこか乾いていた。
人影は少なく、家々の扉も窓も閉ざされている。
沈黙と薄闇が、街全体を押し包んでいた。
門の前で保護した母子は、商隊の馬車の一つに乗せられていた。
子供はすでに高熱でぐったりしており、母親も憔悴しきっている。
やがて、無骨な革鞄を携えた男が馬車に乗り込んでくる。
髭を蓄えた四十代後半の男。体躯はがっしりとし、無駄のない所作が目を引く。
名前は、バルニエ・クラース。
元は前線に従軍していた軍医で、いくつもの戦場を経験した医療のベテランだ。
バルニエは短く状況を確認すると、すぐに子供の胸元に手を当てて呼吸を診る。
その手つきは荒っぽいようで的確。確実に要点を押さえていた。
「……進行が早いな。熱と咳の深さ、瞳の濁り。三日目……いや、悪けりゃ四日目か。肺の奥まで入り込んでる」
低く唸りながら、腰の薬袋から一つの果実を取り出した。
霧のように輪郭が揺らぐ、不思議な果実、霧晶果だ。
「これを使う。……これは賭けだが、今の状態ならギリ間に合うだろう」
ティアたちが不安げに見守る中、バルニエは果実の皮をやさしく割る。
淡い光を放つ実が、皮の内から揺らめくように現れた。
彼はスプーンで中の実をすくい、子供の唇にそっと触れさせる。
一見曖昧だった果実が、口に含まれた瞬間、確かな質量を帯びた。
ふわりと、魔力を帯びた霧が立ちのぼり、子供の口から肺へと吸い込まれていく。
「……来た。浄化が始まってる。反応も素直だ。今のうちに体温を一定に保ち、余分な水分を排出させる。お前たち、手伝えるか?」
バルニエはそう言って、馬車の中にいるティアたちを見やった。
「動ける奴は、水の管理と加湿。体温変化を記録する用紙と筆記具。あと、代えの布が欲しい。できる範囲でいい」
ティアたちは素早く頷き、それぞれに役割を分担して動き出した。
エリーは水の管理、ノアは記録、ルゥナは代えの布を母親の鞄から見つけてくる。
それぞれが、今の自分にできることを見極めて、動いていた。
ふと、バルニエが呟いた。
「……昔の戦場を思い出すな。どこかの国の前線で、同じように肺を焼かれた子供を診た。名前も思い出せんが、あの子も生きた。だから、こいつもきっと大丈夫だ」
誰に向けたとも知れないその言葉が、馬車の空気をわずかに柔らかくした。
ティアは、そっと子供の額に手を添えた。
ほんの少しだけ、熱が下がった気がした。
馬車内での応急処置が一段落し、子供の呼吸も少し安定してきたころ。
バルニエが疲れたように息をついた。
「ここから先は経過観察だ。様子は見続けるが、回復に向かう兆しはある。お前たちは少し外の空気を見てこい」
促されるようにして、ティアたちは街へと足を踏み出した。
エリーとノア、そしてティアの三人。ルゥナは母子のそばに残ると言って馬車に残った。
ドルマリスの街並みは、どこか色を失っていた。
石造りの建物は確かに立ち並んでいるのに、活気がない。
人影もまばらで、時折閉ざされた窓の向こうに視線を感じるだけだった。
「静かすぎる」
エリーがぽつりと呟く。
歩く先で、ようやく開いている建物を見つけた。
広場の一角、教会を改装した避難所のようだった。
中には十数人ほどが集まり、布団に寝かされている人、壁際に座っている人が見える。
感染者ではないようだが、皆がどこか疲れた顔をしていた。
様子を見守っていた若い修道士が三人に気づき、慌てて立ち上がる。
「君たちは……外から?大丈夫ですか?」
「はい。応急処置の済んだ子供がいて、医師の診察も受けています。……ここは避難所ですか?」
ティアが問い返すと、修道士は小さく頷いた。
「本来はただの集会所でしたが、住民の避難場所として開放されました。感染の疑いがある人は隔離区域に送られます。ここには、家族と離れられなかった者や、持病を抱えていて病院に行けない者が多くて……」
修道士の言葉の端々に、疲労と葛藤が滲んでいた。
「手は足りてますか?」
ノアが控えめに訊ねると、修道士は苦笑して答える。
「足りていません。でも、今は仕方のないことです。誰もが精一杯で、誰も責められません」
言葉を失う三人に、修道士は「見ますか?」と静かに尋ねた。
ティアたちは頷く。
案内された裏手の一角には、感染の兆候がある人たちが集められていた。
咳き込む音。うめく声。
子供から老人まで、数はそれほど多くないものの、明らかに苦しんでいる者ばかりだった。
防護衣をまとった医師や修道女たちが、淡々と手当を続けている。
ただ、皆の顔には疲れが滲んでいた。
「これが……この街の今なんだね」
エリーの声がかすれる。
ティアは、何も言えずにその光景を見つめていた。
“ここで自分たちは何ができるのか”。
その問いが、重く、胸の中に降りてきていた。




