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新しい仲間

 ティアたちは森の奥に隠していた馬と荷物を回収すると、すぐに北西へと進路を取った。追っ手がかかる可能性を考慮し、商隊へ戻ることは避けた。


 進み始めて間もなく、ゼルクが低く唸る。


「……来てる。かなり近い」


 ティアは咄嗟に荷袋から、団長から託されたケープを取り出した。それは“存在を認識されにくくする”特殊な布で、周囲の気配を紛らわせる効果を持っている。


「これを──!」


 一同は急いでそのケープを身にまとい、気配を極限まで抑えながら、木々の間をすり抜けるように進んだ。


 魔族の襲撃によって撒き散らされた異質な気配と、複雑な地形、そしてこのケープの効果が重なったことで、追っ手の気配は徐々に遠ざかっていった。


 それでも、完全に安心するには早い。ティアたちは途中で馬三頭を東の方角へ放った。足取りを錯乱させ、追っ手の目をそちらへ向けさせるための囮だった。


 ティアとレイは獣化したゼルクとライガの背に跨がり、グラドは依然として意識を失ったカイを背負って進む。怪我人が多いこともあり、進みは遅々としていたが、それでも一行はひたすら北西を目指した。


 二日間、ほとんど休むことなく走り続け、ようやく小さな農村にたどり着いた。追っ手の気配はすでに消えていた。


 ──逃げ切ったのだ。


 事情を伏せたうえで、村の人々に匿ってもらい、ティアたちはそこで身を休めることにした。体を癒やし、傷を癒やし、久しぶりに食事と安らぎを得て、ようやく心も落ち着きを取り戻していった。


 その夜。

 心身ともに疲弊しきっていたティアは、まるで泥のように眠りに落ちた。


 ──遠くから、歌が聞こえる。


 それは子守唄のような、優しくもどこか不穏な旋律だった。


 初めて聞くはずなのに、なぜか懐かしい。

 暗闇の中、銀色の髪をした女性がひとり、背を向けて静かに歌っている。


 ──私……?


 背格好はティアとよく似ていた。だが、彼女が口ずさむその歌は、ティアの記憶にはない旋律だった。


 月が揺れる 銀の湖

 影は眠り 風は止む

 子守唄のように 響け

 深き森の 境界まで


 名もなき夜の 帳を裂き

 声がひとつ 空に舞う

 やさしき手が 導くは

 異邦より来た 黒き光


 不意に、女の横顔が一瞬だけ見えた。


 その顔は笑っていた。

 どこか嬉しそうで──けれど同時に、おぞましさを含んだ不気味な笑みだった。


 その瞬間、黒い蝶が周囲に舞い始める。

 女の足元には魔法陣が浮かび、そこから赤い瞳をした魔族たちが次々と姿を現した。


 黒い蝶がティアの視界を覆っていく。


「──待って!!」


 ティアは咄嗟に女へと手を伸ばした。

 だが蝶の群れがそれを遮り、女の姿が見えなくなった瞬間、ティアは目を覚ました。


 寝苦しさの原因は、ティアに寄り添って眠っていたルゥナだった。獣化した姿のまま、安心しきった顔で、すやすやと寝息を立てている。


「……魔族に会ったから、あんな夢見たのかしら」


 ティアは小さく息を吐き、ルゥナの頭をひと撫でする。

 その温もりに、心がふっと和らいでいった。


 この日を境に、あの夢を見ることは二度となかった。


 一週間が経った頃、カイも自力で歩けるまでに回復していた。


 出立の日、村の好意で馬を三頭買い戻すことができた。すべての準備を整え、ティアたちは再び商隊との合流を目指して村を後にする。


 さらに一週間。旅の疲れを噛み締めつつも前へと進み──

 ついに、彼らは懐かしい仲間たちのもとへと帰還したのだった。


 商隊の野営地に足を踏み入れた瞬間、懐かしい声が響いた。


「ティアっ!」


 振り向くと、エリーとノアがこちらに向かって駆けてくる。二人の頬には涙が伝い、声は震えていた。


「よかった……無事で……!」

「心配したんだからねッ……!」


 勢いよく抱きつかれ、ティアは困ったように笑いながらも、その腕をしっかりと受け止めた。


 そのとき、ノアの視線がふとティアの隣にいた、小さな影へと移る。


 ルゥナだった。


 まだ少し所在なさげに、ティアの影に隠れるようにして立っていた。だが、エリーとノアはその姿を見るや否や、目を細め、優しく微笑んだ。


「おかえり、ルゥナ」

「ルゥナも無事で良かったよ」


 詮索も警戒もない、ただまっすぐな祝福の言葉。二人は自然な仕草で、戸惑うルゥナをそっと抱きしめる。


 ルゥナは一瞬、驚いたように目を見開き……やがて、ぽつりと呟いた。


「……ただいま、エリー、ノア」


 その声は、かすれていたが、確かだった。目尻にたまった涙が、頬を伝ってそっと落ちる。

 それを見たノアとエリーは、そっと彼女の背を撫でた。


 その後、商隊の仲間たちも次々と集まってきた。長きに渡って姿の見えなかったティアたちに、誰もが安堵と喜びの表情を浮かべていた。


「心配したんだぞ!」

「遅いくらいだ、まったく……でも、本当によかった」


 事情は誰もが察していた。カイがまだ包帯を巻いているのを見て、言葉を呑む者もいたが、誰一人として問い詰めることはなかった。

 それぞれの言葉で、ただ「おかえり」と出迎えてくれる。それだけで、十分だった。


 ティア、ルゥナ、カイ、レイ、ゼルク、ライガ、そしてグラドの七人は、団長のもとへ向かい、深く頭を下げて報告する。


「……戻りました」


 ティアの声に、団長はただ一度、静かに頷くだけだった。


 それで十分だった。


 その場を離れるとすぐ、仲間たちがカイやグラドの肩に腕を回し、声を張り上げる。


「──そうと決まれば、今日は新しい仲間たちの歓迎会だ!」


 商隊の空気が一気に明るくなる。鍋が用意され、火が灯され、にわかに宴の準備が始まった。


 「仲間たち?」と、ティアが首を傾げると、


「ルゥナちゃんの他にも、新しい仲間ができたんだよ」


 と、誰かがにこやかに答えた。

 ほどなくして現れたのは、小さな旅芸人の一団だった。


 華やかな衣装に身を包み、軽やかな足取りで現れた彼らは、挨拶も手短に自己紹介を始めた。少人数ながら、それぞれが腕に覚えのある者ばかりで、現在はドワーフの国を目指して旅しているという。道中の安全確保のため、商隊に合流することになったのだという。


 その夜、にぎやかな宴が始まった。


 旅芸人たちは焚き火の周囲に即席の舞台を設けると、次々と芸を披露し始めた。

 魔法の光を剣先に宿して舞う剣士たち。その軌跡は蛍のように瞬き、観客の目を奪った。

 優雅に舞う踊り子たちは、炎のような紅のドレスを揺らしながら、指先からきらめく光を撒いた。まるで星屑が舞っているかのようだった。


 空中に布を張り巡らせて舞うアクロバット、火の輪を飛び越える奇術、重力を無視したような軽やかな動き。

 それはまるで、移動する小さな劇場。一夜限りの魔法のサーカスだった。


 ルゥナもその輪の中にいた。

 最初は緊張して焚き火の外れに座っていたが、仲間たちは一人、また一人と彼女に声をかけた。


「名前、ルゥナちゃんって言うんだよね?よろしくね!」

「ルゥナちゃん、あっちでお菓子焼いてるよ。好きなのあるかな?」

「うわっ……しっぽ、ふわっふわ……!ちょっと触ってもいい?」


 獣人の子供という珍しさに加え、そのあどけなさと愛らしさに、仲間たちはすっかりメロメロだった。


「……な、なんでそんなに近いの……」


 ルゥナがたじろぎながらも、顔を真っ赤にしていると、それを見たティアがくすりと笑う。

 あの無垢な少女が、少しずつ、人の輪に溶け込んでいく。


 炎のゆらめきと音楽の調べが夜の空へと溶けてゆく。


 楽しい夜は、こうして穏やかに、だが確かに、新しい絆を育みながら、過ぎていった。

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