暴力の終着点
膝をついたまま、カイは荒い息を吐いた。
胸が焼けるように痛む。視界は赤黒く染まり、もはや立ち上がる気力も尽きかけていた。
「おいおい、終わりかァ?まだ暴れ足りねぇってのによォ……」
バルザが笑う。
土煙が巻く。槍を支えに立つカイの足元が、ふらついた。
魔法は黒鎧に遮られ、火も雷も氷も無力。
筋力と防御力、そして破壊力……どれも、桁違いだった。
「くっ……はぁ、はぁ……」
肩で息をする。目の焦点が揺らぐ。
視界が滲む。音が遠のいていく。
たった二撃喰らっただけでこの威力。
「カイ!!!死ぬんじゃねぇぞ、バカ野郎ッ!」
その時。声と共に、一閃の風がバルザとカイの間に割って入った。
「……ったく。手を出すなって言ったのお前だよな?」
低く唸るような声が響く。
鋭い金の瞳、灰色の毛並み。風に逆立つ毛皮を纏い、狼の獣人──ゼルクが姿を現す。
「だが、もう見ていられねぇ。手を出させてもらうぜ」
その隣に、筋肉質な体格に黒い縞を刻む虎の獣人──ライガ。
その眼には、静かな怒りと、誇りが宿っていた。
「これは……俺たちの因縁でもあるんだ。カイ、一人で背負わせねぇよ」
そして最後に、地響きを立てながら歩み寄る巨大な熊の獣人──グラド。
斧を担ぎ、鋼のような体を前に出す。
「ただ黙って見てるだけなんて……できるかよ。俺たちは、仲間だろ!!」
カイの目が、かすかに見開かれる。
「ゼルク……ライガ……グラド……お前たち……!」
「お前の戦いは、俺たちの戦いでもある。背負ってるもんは、同じだろが」
獣人三人が、カイの前に並び立つ。
その背に宿る覚悟が、沈みかけた希望に再び火を灯す。
「ほう……雑魚が一匹増えたかと思えば、三匹まとめて群れてきやがったか」
バルザが舌打ちとともに笑った。
その手には、なお重さを誇る斧が握られている。
「あいにくだが、まとめて潰してやるよ。喧嘩ってのは、数じゃねぇ──圧倒的な力だろうが!!」
「その“力”を超えるのが、連携ってもんだ!!」
ライガが先んじて地を蹴った。虎の瞬発力が、稲妻のように戦場を走る。
バルザの死角へ──
同時にグラドが正面から突撃。
巨斧と巨斧がぶつかり合う。重さと重さの真っ向勝負。
「おりゃああああああああ!!」
激突の衝撃が地面を揺らし、土煙を上げる。
その隙を縫い、ゼルクが背後に回り込む。狼の俊敏さが殺気と共に疾走する。
「牙突牙牙!!」
低く跳躍し、鋭く伸びた双爪を矢継ぎ早に突き出す。
まるで怒涛の牙が幾重にも襲いかかるように、鋼の継ぎ目を狙い、火花を散らす。
バルザの巨躯が僅かに揺れた。その瞬間を、ライガは逃さなかった。
「今だッ!!」
虎の瞬発力が地を蹴り、低い姿勢のまま側面から一閃。
爪が金属の装甲を滑り、裂けるような音が響いた。
「チッ……!」
バルザが舌打ちし、黒斧を振るう。その軌道に割って入るように、グラドが両腕で受け止めた。
「ぐ、ぬぉおおおっ!!」
衝撃がグラドの足元を裂き、地面に大きな亀裂を生む。
筋肉が悲鳴を上げる。だがそれでも、グラドは歯を食いしばって耐えた。
「今のうちに叩けッ、ゼルクッ!」
「任せろ!」
ゼルクが再び跳びかかり、今度は喉元を狙う。
しかし、バルザの口元がつり上がった。
「甘ぇよ」
力任せにグラドを弾き飛ばし、半身でゼルクを捉える。
直後、肘打ちがゼルクの腹を直撃。空中で体が折れ、そのまま地面に叩きつけられた。
「ゼルクッ!!」
ライガが叫ぶが、それも遅い。
バルザがすでに反転し、ライガへと飛びかかる。
「次はてめぇだァッ!!」
戦斧が唸り、重力を無視した一撃が振り下ろされる。
「──っ!」
間に合わない。回避も防御もできない。
ライガが死を覚悟したその瞬間──
ガァンッ!!!
金属の音が空間を裂く。斧の軌道を、一本の槍の柄が受け止めていた。
「……遅れて、悪かったな……!」
そこに立っていたのは、カイだった。満身創痍の姿で、なおも立ち上がった不屈の意志。
「カイ!」
「お前!」
ゼルクとライガが驚きに声を漏らす。
「三人が……時間、稼いでくれたおかげで……少しはマシになった。……助かったよ、本当に」
荒い息の中、笑みを浮かべるカイに、バルザがニヤリと口角を上げた。
「……痩せ我慢すんなよ。まだ全身ズタボロだろ。骨も何本かいってんじゃねぇのか?」
嘲る声が響く。しかしカイの表情は変わらない。
「その通りだ。正直……立ってるだけで……やっとだ。だけどな──」
カイが一歩、バルザに踏み出す。
「仲間を守るためなら、何度でも立ち上がる。俺は、そういう“力”を信じてるんだ!」
叫びと共に、槍が唸りを上げる。
一閃。
二閃。
迷いなき猛撃が、容赦なくバルザを襲う。
「なにっ……!?ダメージが蓄積されてるはずなのに、どこにそんな力が──!」
驚愕に目を見開くバルザに、カイが力強く叫ぶ。
「“仲間のため”なら、いくらでも強くなれる!!」
その言葉に、バルザは鼻で笑った。
「くだらねぇ。そんな感情論で、俺に勝てるとでも思ってんのかよ?仲間仲間ってよォ……弱者が群れるための戯言だろうが!」
バルザが黒斧を大きく振りかぶる。振り下ろされる殺気の塊に、カイは臆することなく応じる。
「人は弱い。だからこそ、支え合って力を合わせるんだ。それの何が悪い!!」
「ハッ、滑稽だな。俺は弱者とは違う……強者は群れねぇ!信じるのは己の力のみ!それ即ち──真の強者は、常に孤独なりッ!!」
怒号と共に、バルザの黒斧が唸りを上げる。
しかしカイは身を捻ってそれを受け流しつつ、鋭い目で周囲に倒れたバルザの部下たちに視線を向ける。
「……群れないって言うけどよ。そこに倒れてる奴らは、“仲間”じゃないのか?」
その問いに、バルザはゲスな笑みを浮かべる。
「アイツらぁ?ただの使い捨ての駒だよォ。俺の首を狙ってくる雑魚を一人ずつ相手すんのは、正直、面倒でな。雑魚処理には丁度いいってだけよォ!」
バルザの笑みは、まるで人の命を笑い飛ばす悪鬼そのものだった。
「……人の命を、なんだと思ってやがる」
カイの眼差しが鋭くなる。
その瞳に宿るのは、抑えがたい怒り。心の底から湧き上がる、真っ直ぐな激情だった。
「知ったこっちゃねぇな。取るに足らねぇ雑魚の命なんざ、石ころと変わらねぇよ!雑魚は雑魚らしく、せめて強者の足元で役に立って死にやがれ!!」
バルザの挑発的な笑みが再び広がる。
だが、それを前にしても、カイは一歩も退かない。
「俺は、お前のような奴に絶対負けない!」
「ほざけ!!」
カイの槍が、疾風のように宙を裂く。
「っらぁ!!」
バルザが斧を振り上げるが、その動きにカイの足が先んじる。
大地を蹴ったその瞬間、彼の姿が消えたかのように視界から逸れる。
「はや……っ!」
バルザが声を漏らす間もなく、鋭い一撃が脇腹に突き刺さる。斬撃ではなく、まるで槍の柄が打ち込まれたような衝撃。瞬間、重い息が漏れる。
「ガッ……!」
斧で薙ぐが、すでにカイの姿は別の場所にあった。正面、側面、背後──次々と間合いを変えながら槍の連撃を浴びせていく。
「ちょこまかと……ッ!鬱陶しいんだよォォォ!!」
怒声と共に斧を振るうも、空を切る音が虚しく響くだけだった。
力こそすべてと信じてきた男にとって、届かぬ速さは最大の苛立ちだった。
「速いだけじゃねえ……この一撃一撃、妙に重てぇッ!」
カイの攻撃は決して軽くない。鍛え上げられた体幹と技術が乗った槍撃は、疾さと力を兼ね備えていた。ついに、槍の一打が斧の刃を捉える。
ガキィンッ!
金属が軋む音と共に、バルザの斧の柄がヒビ割れた。
「あ?」
次の瞬間、カイの槍が斧の中心を貫いた。
ガシャァン!
刃が砕け、柄が折れ、バルザの主力武器が無残に地に落ちる。
「テメェェ!いい気になりやがって!」
激情が暴発する。
呼吸が荒くなり、黒鎧が軋む音と共にバルザの体に沈み込む。
「見せてやるよ。俺の“本当の力”ってヤツをなぁ!!獄装解放!!」
胸元の刻印が脈打ち、黒鎧が肉へと喰らいつく。
装甲が皮膚のように密着し、筋肉の膨張をさらに加速させていく。
肉体と黒鎧が融合するごとく変貌し、バルザの体格は異形と化していた。
「これが……“暴力”そのものだ!」
彼は、一歩、そしてまた一歩とカイに向かって踏み出す。
次の瞬間。バルザがその右腕を肩口まで振りかぶるように持ち上げた。
まるで獣の爪を構えるように、指を広げる。
それは、五指を湾曲させた“熊手”の構え。
指の一本一本に凶気が宿り、空間が歪むほどの気圧を生む。
「この一撃、まともに喰らやァ……消し炭だぜ……!」
掌から放たれたのは、ただの手突きに見えた。だが、次の瞬間──
「轟刃掌牙!!」
ゴォォォオッ!!!
鋭く突き出された掌から、見えない刃のような衝撃波が直進する。
突き出した“熊手”の形がそのまま風圧となり、地面を削り裂く。
大地が引きちぎられ、空気が轟音と共に引き裂かれた。
「っ……!」
カイが跳び退いた刹那、彼の背後にあった岩が一瞬で木っ端微塵に吹き飛んだ。
衝撃波が通った跡は、まるで爪で引き裂かれたかのような五本の溝を残す。
「これが、獄装解放の力だ。逃げられるもんなら逃げてみな……速さも技も、暴力の前じゃひれ伏すしかねぇんだよォ!!」
バルザが獣のような声で咆哮した。
カイが渾身の力を込め、全身の筋肉をしならせて槍を突き出す。
一直線に走る銀の軌跡が、真っすぐにバルザの胸元を穿たんと迫る。
だが、バルザは微動だにせず、ただ無造作に掌を前へ突き出した。
刹那、耳をつんざく金属音とともに、槍の刃先がまるで紙細工のように砕け散る。
火花が弾け、破片が地に落ちるより早く、カイは愕然とする。
「……止められた……!」
バルザの手は傷一つ負っていない。全力で突いた一撃を、あまりに容易く受け止められた事実に、カイの背筋が冷える。
「終わりだァアッ!!」
バルザの逆腕が風を裂いて振り下ろされる。
その破壊の一撃は、大地を砕き、空気ごと押し潰す暴力だった。
だが、土壇場でカイの身体がそれを捉え、身を捻ってかわす。紙一重。
鼻先を掠めた風圧だけで頬が裂ける。
──くそっ……速さが、通じねぇ……!
バルザの速度は覚醒と共に増し、もはやカイの回避すら容易ではない。
バルザが一歩踏み出すたび、地面が音を立てて割れる。
巨体が押し寄せる度に、風がうねり、空気が震えた。
連撃。回避。再び振るわれる暴力。
カイはかろうじて身を引くが、そのたびに体が軋み、痛みに蝕まれていく。
刃を失った槍で防ぎきれるはずもなく、柄ごと砕かれるのは時間の問題だった。
「どこ行こうがムダなんだよォッ!!」
バルザが吠え、さらに地面を踏み砕きながら迫る。
その一歩ごとに、地鳴りが響いた。
咄嗟に距離を取ったカイは、傷だらけの体に無理やり力を込め、魔法を放つ。
「──燃えろ、 陽焔崩!!」
眼前に広がる炎の奔流。だが──
バルザは、ただ無表情に歩みを止めることなく突き進んできた。
「……ッ!?」
炎が、届かない。いや、確かに命中している。
だが、黒鎧がまるで呑み込むかのように、魔力を吸収して無力化しているのだ。
ゼルクたち三人は、攻撃の隙を見出せず、ただその場に立ち尽くしていた。
「くそっ...…!」
万策尽きた──そんな言葉が頭をよぎった刹那、
バルザの拳が唸りを上げて迫る。
風を裂く音が、死の合図のように響いた。
狙いはカイの胸元、心臓だ。
──避けられない……!
筋肉が硬直し、思考が追いつかない。
だが次の瞬間、
バルザの拳が──止まった。
否、止まったのではない。
カイが本能的に、わずかに残った槍の柄を突き上げていた。
命の火花を反射神経に変えて、その軌道を“ほんの少しだけ”ずらしたのだ。
かすった拳風だけで、カイの肩が悲鳴を上げた。
それでも、致命傷ではない。
頬を裂いた風圧に血が滲む。
だが、それでも生きている。
燃えるような痛みの中、カイの目が大きく見開かれる。
その視界の端に、槍に巻かれた願糸が揺れていた。
ティアが、自分の無事を願って結んでくれたものだ。
彼女の顔が、ふっと脳裏に浮かぶ。
困っている人がいれば手を伸ばし、誰かのために全力で走る。
頑固で、お節介で、でも心から人を信じている。
続いて、レイの無骨な笑顔。
獣人の三人組の飾らぬ信頼。
そして、商隊の主人夫妻や、旅の中で出会った仲間たちの姿が次々と浮かぶ。
この命は、自分ひとりのものじゃない。
守りたい人が、想いを託してくれた人たちがいる。
負けるわけにはいかない。
カイは、ゆっくりと目を閉じた。
深く、深く息を吸い──静かに、目を開く。
「……俺は、負けない!!」
その声は、魂の叫びだった。
折れかけた意志が、再び燃え上がる。
カイは、折れた槍を逆手に持ち替えた。
穂先の砕けた側を握り、今度は石突。柄の底を前に突き出して構える。
それは、もう武器ではなかった。
ただの棒に等しい。
それでも、最後の一手を託すに足る“意思の塊”だった。
「おらぁああああっ!!」
バルザが吠え、またも腕を振り上げる。
踏み込むたびに地が砕け、空気が震える。
圧倒的な力の奔流に対して、カイはひたすら身を捻り、腕を振り抜き、踏み込みをかわす。
すれ違いざま、槍の柄を振る。
ガンッ──鋼鉄を叩くような音が鳴る。
今度はバルザの右肩。
回り込んで、背中。
さらに脇腹。
重い金属の反響が連続し、打ち込まれた衝撃が、徐々に一箇所へと集まっていく。
ただの殴打ではない。
これは、全身の動きを利用し、全ての力を“芯”へと集束させる体術──
【震芯突】
蓄えた衝撃を一箇所にぶつけるための、連打。
その終着点は──
「これで……終わりだぁあああっ!!」
カイの踏み込みが地を裂いた。
最後の一撃を、鎧の上からバルザの鳩尾へと叩き込む。
ドッ──!!
重く、鈍い音が響いた。
瞬間、バルザの体がビクリと跳ね、動きが止まる。
黒鎧の表面に、ピシリと音を立てて亀裂が走った。
「ぐ……ッ、が……っ!」
その巨体が、ゆっくりと膝をつく。
押し込まれた力が、内から芯を砕いたのだ。
全身の筋肉が、麻痺したように言うことをきかなくなる。
「ぐ、ぅ……ば、ばかな……この俺が……っ、俺が……こんな奴に……!」
血走った目を見開いたまま、バルザが呻く。
その声は、怒りとも絶望ともつかぬ、魂の底からの叫びだった。
「認めんぞ……俺が……負けるなんて……!」
だが、もはやその身体は限界を超えていた。
呻きながら首を振り、なおも抗おうとするも、全身の力が抜けていく。
そして──
「が、あ……ァ──」
バルザの眼が、虚ろに見開かれたまま、白く反転する。
巨躯が崩れ落ちる。地を割るような音と共に、その姿は土煙の中に沈んだ。
──勝った。
呼吸が乱れ、体が震える。だが、立っていたのはカイだった。




