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崩れゆく銃声(つつおと)

 ティアの姿が、爆ぜた風の中に消える。

 ノワールが眉をひそめた、その刹那。


「っ、速い……!」


 短剣の一撃が右から迫る。ノワールが銃を振って受け止めるが、次の瞬間には左からもう一撃。


──さっきまでと、動きが……違う!


 ティアの動きは、先ほどまでのものとは明らかに異なっていた。しなやかさと鋭さが増し、一歩ごとに魔力が地を焼き、空間を斬る。


光刃舞踏(ルミナス・ヴァルス)!」


 ティアの叫びとともに、複数の魔法陣が空中に展開された。そこから光の剣が次々と生み出され、螺旋を描きながらノワールを包囲する。


「囲んだだと……!」


 ノワールが銃を振るい、弾幕を張って光の剣を撃ち落とす。光の剣がいくつか撃ち落とされるが、それは囮だった。隙を突いてティアの本命が迫っていた。


「っ……!」


 ノワールの視界の端に、一瞬だけ、ティアの姿が見えた。次の瞬間には、その刃が、防御の隙間を的確に貫いていた。


「がっ……!」


 銃を交差させた腕の内側。装甲の薄い関節部を、ティアの一撃が切り裂いた。

 血が飛び、ノワールが数歩後退する。


「チッ、いいの入れやがって」


 ノワールが吐き捨てるように笑う。その瞳から、軽薄さが消えていた。


「そこまでやるなら、こっちも遊びは終いだな。──“開けよ、黒の門”」


 その言葉と共に、ノワールの背後に巨大な漆黒の魔法陣が展開される。禍々しい呪紋が浮かび上がり、地を這うように魔力が溢れ出す。


「本気の俺を見せてやる。赫黒構造(アカクロ・ドライヴ)


 ノワールの両腕の銃が変形を始める。機械のような音と共に、銃身が開き、内部の魔核が露出する。魔力の奔流が空気を灼き、周囲が歪む。


「これは!」


 ティアが反射的に後退する。

 変化した銃は、もはやただの火器ではなかった。

 魔力を核にし、状況に応じて機構を変化させる 構造体兵装(ストラクチャー・ギア)。通常の武器とは一線を画す、戦闘特化の異能武装だった。

 ノワールの足元から黒煙が巻き上がる。


「なぁ。知ってるか?ダンジョンの奥には秘宝が眠っていると云われる由縁を」


 藪から棒に、ノワールが問いかける。


「魔界とこの世が繋がるとき、世界の歪みにダンジョンが出現する。秘宝は、そのダンジョンの最奥に一つだけ存在する──ってな」


 ノワールは、背後の魔法陣から吹き上がる魔力を背負いながら、ニヤリと笑った。


「俺とボスは、その“ダンジョン攻略者”だ」

「……なっ!?」


 ティアの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。


 ダンジョン──それは、世界の各地に突如として現れる迷宮。

 古来より「魔界と地上を繋ぐ門」として恐れられてきたが、魔族そのものが神話上の存在とされて久しい現代において、それはもはや迷信と化していた。


 「秘宝がある」「魔族を倒す力が眠っている」──そんな噂を真に受ける者など、今や一人としていない。


 なぜなら、ダンジョンから“生還した者”がいないからだ。

 攻略者が存在するなど、到底信じがたいことだった。

 だが、今。その“信じがたい者”が、目の前にいる。


「この赫黒構造(アカクロ・ドライヴ)はな……撃つたびに俺自身の生命を燃やすギアだ。だがその分、一発一発が魔術そのものと化す」


 変形した銃口に魔力が集中していく。圧が空間ごと沈めていくような感覚。


魔弾・零式(ゼロ・カリバー)


 ノワールが引き金を引いた。

 黒と紅が混じる一撃が、重力そのものを引き裂くように放たれる。軌道上のすべてを歪めるほどの圧縮魔力。それは、単なる弾ではなかった。

 魔法陣を複数通過し、追尾・加速・貫通の三重構成魔弾と化していた。


「来るっ!」


 ティアが咄嗟に結界を再展開するが、魔弾はそれをいとも容易く貫いた。

 防御する間もなく、その余波が彼女を弾き飛ばす。

 爆風。衝撃。地面が砕け、光が弾ける。


「きゃあぁッ!!」

「ティアッ!!」


 レイの叫びが響いた。

 だが、その中で立ち上がる人影があった。

 ぼろぼろになった服、血をにじませた腕。だが、瞳はまだ、燃えていた。


「……こんなもんじゃ、終わらない……!」


 ティアが、よろめきながらも立ち上がった。

 その背後に、再び光の魔法陣が形成される。

 ティアの背後に、まるで花が咲くように複数の魔法陣が展開されていく。だが、それはさっきまでの光の陣とはどこか違っていた。

 中心には淡い青色の円環が浮かび、その内側で回転する符号がまるで生きているように動いている。


「……初めて見せるわ、この魔法は」


 ティアの手元に、短剣が舞い戻る。光を纏い、より鋭く、より重厚に変質していく。魔力の密度が、空気を震わせる。


光と記憶の交差点(クロスシア)


 展開された魔法陣が光を放ち、周囲の空間を変える。


 空間魔法。ティアの新たな技は、敵の動きと位置を“記録”し、“再現”する魔法陣を設置することで、戦場を己に有利なフィールドへと作り変えるものだった。


 ノワールの眉が跳ね上がる。


「……記録魔法かよ。厄介だな、チッ!」


 彼が引き金を引く。魔弾が放たれたその瞬間、空中に浮かんだ魔法陣が発光する。

 記録された“過去のティア”が出現し、回避行動をとる。


「残像だと!?」


 ノワールの魔弾が空を裂き、偽のティアを貫くが、そこに本物のティアはいない。


 その一瞬の隙を突くように、声が響く。


「っせぇんだよ……ッ!女一人に戦わせて、ただ見てるだけなんてできるかよ!」


 レイが立ち上がった。


 背中の怪我からまだ血が滲むが、その表情に迷いはない。拳を握り、地面に触れると、今度はレイの足元に魔法陣が展開される。


「行くぞ、ティア!雷鉄縛(サンダー・シャックル)!!」


 地を這うように青白い雷が奔り、瞬時に鎖のような形をとってノワールの四肢を縛りつける。

 バチバチと音を立て、雷の鎖は魔力を喰らうように喰い込んでいく。


「っ……が、ああッ!?」


 ノワールが苦悶の声を上げた刹那。

 “本物の”ティアが虚像の影から姿を現す。

 その手に握られた短剣は、すでに戦場の光と記憶を刻み込み、変質した魔力を纏っていた。


 彼女は無言で駆ける。その瞳に、迷いは一切ない。

 雷に囚われたノワールへ、一条の光が一直線に伸びた。


「これで終わりよ!」


 ティアの跳躍と同時に、背後の魔法陣が再び花のように咲き、短剣へと光の奔流を流し込む。

 彼女の一閃が、まるで光そのものとなって、ノワールの脇腹を斬り裂いた。


「ぐああッ!!」


 深く抉られた傷口から、血が迸る。

 雷の鎖がその直後、限界を迎えたように爆ぜる。

 放たれたノワールが膝をつき、荒く息を吐いた。


 だが──


「舐めるなよ……ガキどもが……!」


 その瞳が、じわじわと赤黒く染まっていく。

 地に溢れる魔力が、異質な波動を孕み始めた。


「“開けよ──第二門”」


 再び、ノワールの背後に魔法陣が浮かぶ。だが今度は、彼の身体そのものが変質を始めた。

 黒い外殻が皮膚の下から滲み出るように覆い、肌を装甲のように包み込む。

 片腕に融合した銃は、異形の巨大砲へと変貌を遂げ、もう一丁の銃は黒く脈動する片翼へと姿を変えていた。禍々しい魔力を纏ったそれは、まるでエネルギーでできた鳥の翼のように歪んだ光を引きずっている。


「──黒皇形態(ブラック・ソヴリン)。この形態になるのは初めてだ」


 ノワールが変わってしまった己の姿を見下ろしながら、静かに呟く。その声音には、焦燥も迷いもなく、ただ圧倒的な“完成”の気配だけがあった。


 王族すら超える魔力の奔流。あまりの濃度に空間が軋む。ティアとレイの背筋に冷たい戦慄が走る。まるで……目の前の男が、魔族そのものになったかのような錯覚。


 二人は一瞬視線を交わし、すぐに構えた。


 沈黙が支配する。呼吸一つすら許されぬ空白の瞬間。そして次の刹那──すべてが爆ぜた。


 ノワールの砲口が光を纏い、灼熱の波動が解き放たれる。ティアの光刃が旋回し、レイの雷撃が空を裂く。結界が再び構築され、魔力が絡み合う。


 三者の力が、真のぶつかり合いを迎える。

 だが、誰一人として引くことはなかった。

 この戦いの果てに何が残るのか。それは、まだ誰にもわからない。


 空が揺れる。


 黒き翼を広げたノワールが、爆発的な速度で迫る。片腕と一体化した巨大砲が地鳴りのように唸り、翼のように変質したもう一丁の銃が赤黒く明滅する。魔力と機構が融合したその形態は、もはや兵器ではない。生きている。彼の意志と怒りを体現する、異形の魔装。


「終わらせてやるよ。お前らの安っぽい絆ごっこなんてなぁッ!」


 ノワールが砲口を構える。赤黒い魔力が収束し、空間が捩れ始める。


「来るよ……レイ!」

「ああ、分かってる!」


 ティアとレイが同時に魔力を解放する。ティアの刃が、レイの雷撃が、交差するように煌めき魔法陣が重なる。


閃雷交刃(ラディアンス・クロス)!!」


 二人の魔力が融合する。

 ティアの光刃が解き放たれた瞬間、それにレイの雷撃が合流し、巨大な“十字の刃”と化してノワールへ向かって飛ぶ。空間を焼き、魔力の嵐を引き裂きながら進むその一撃は、まさに合わせ技の極致だった。


「ッ……舐めるなァアア!!」


 ノワールが砲をぶっ放す。

 放たれるのは漆黒の螺旋弾(ブラック・アーク)。重力と熱量、そして彼自身の命を削る魔力が込められた必殺の一撃。


 空で、二つの力が激突する。


 閃光、衝撃、爆音。空間そのものが引き裂かれるかのような咆哮が戦場を覆い尽くす。


 ティアとレイは、力の全てを使い果たすように魔力を注ぎ込み、その先でノワールの砲が、軋むように割れ始める。


「……なんでだよ……なんで、てめぇらみたいなガキが、俺をッ!!」


 爆発。


 砲が砕け、漆黒の翼が霧散し、ノワールの身体が重力に引かれて崩れ落ちた。

 煙の中に、重く荒い息遣いだけが残る。

 ティアも、レイも、膝をついていた。もう立ち上がれる体力も魔力もない。


 しかし──


 ノワールは、起き上がってきた。


「……ははっ、終わったと思ったか?」


 血まみれで、骨も折れ、意識が朦朧としているはずの彼が、それでも立ち上がろうとする。


「お前たちの“仲間”ってやつが、どれだけ脆いもんか、俺は知ってんだよ……」


 その目は、虚ろな怒りと哀しみに染まっていた。


「……あなた……昔、誰かに……」


 ティアが呟く。

 ノワールはそれに応えなかった。ただ、残った一丁の銃を手にして、ゆっくりとティアへと向かおうとする。


「これ以上戦っても……虚しいだけよ」


 ティアの声は、怒りよりも哀しみに似ていた。

 戦いの中で、彼女は確かに感じ取っていた。ノワールの攻撃の底にある、心の空洞を。


「あなたは何を失ったの?何に裏切られたの?」


 その問いに、ノワールは小さく笑った。だがその笑みは歪んでいて、どこか苦しげだった。


「失った?違ぇよ……信じたものが、最初から偽りだったんだよ」


 彼の視線は、過去の闇を見つめていた。


 ──数年前。

 ノワールが住む街の近くに、突如として現れたダンジョン。

 当時のノワールは、五人でパーティを組み、ギルドに所属して冒険者をしていた。

 それなりに腕も立ち、仲も良かった。互いに信頼し、背中を預け合っていた──そう、思っていた。


 初めてのダンジョン攻略。未知への興奮と高揚が、五人の絆をより強く結んだかに思えた。

 決して簡単な冒険ではなかったが、協力し合いながら、誰一人欠けることなく、ついに最奥の宝物庫へと辿り着いた。


 そこには、二丁の拳銃がドーム状の結界に守られるようにして並んでいた。

 そして、近くに設置された石碑には、無慈悲な文字が刻まれていた。


『この秘宝を手にする資格は、最後に残った者ただ一人に与えられる』


 その言葉を見たとき、空気が変わった。

 互いの顔を見合わせる五人。疑念が芽生え、連携は乱れた。


 その直後、宝物庫にラスボスが現れた。

 本来ならば、全員で連携し立ち向かうべき敵だった。


 だが、その時すでに絆は壊れかけていた。

 動きは噛み合わず、互いを信じきれない。

 そして、仲間の一人が──突然、別の一人を殺した。


 そこからは地獄だった。


「……自分が生き残りさえすればいい……」


 その思考が連鎖し、裏切りが次々に起きた。

 信じ合っていた仲間たちは、疑心と欲望に呑まれ、殺し合った。


 最後に残ったのは──ノワールだった。


 彼は、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 血に濡れた足元に転がる、かつての仲間たちの亡骸。

 彼の手には、二丁の拳銃が握られていた。


 その後、ラスボスを倒し、ダンジョンを踏破して帰還したノワールに、かつての希望や信頼という言葉は、もはや意味を成さなかった。


「信じたものは、全部嘘だった。仲間も、絆も、助け合いも──幻想だった」


 数年後。

 同じくダンジョン攻略者だったバルザと出会い、彼と手を組む。

 信頼ではない。利用し合う関係。それだけが、彼にとっての“最善”だった。


「だから俺は、もう何も信じねぇって……決めたんだよ」


 その目には、怒りと共に、深い絶望が宿っていた。

 ノワールの銃口は、ティアの胸元をまっすぐに捉えていた。

 だが、その指は、いつまで経っても引かれない。

 ティアは怯えず、ただ静かに彼を見つめる。


「……あなたが見た地獄は、本当につらかった。でも、それでも……」


 ティアは血の滲む膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。


「それでも、私は信じたい。絆も、仲間も、信じる心も──全部、意味があるって」


 その声音は、優しく、しかし確かな芯を持っていた。


 ノワールの手が震える。

 銃を持つ手の力が、ほんの僅かに緩む。


「……甘ぇな、お前は」


 そう呟いたノワールの顔に、どこか苦笑に近い表情が浮かぶ。

 だがそれもすぐに消え、代わりに呟くように、ぽつりと吐き捨てた。


「……お前たちは、信じたものに……裏切られなけりゃ……いいな……」


 その言葉と同時に、彼の膝が折れる。

 銃が地面に落ち、乾いた音を立てた。

 そしてノワール自身も、ゆっくりと崩れ落ちるように地に伏した。


「ノワール!」


 ティアが駆け寄る。続いてレイも、荒い呼吸のまま駆け寄った。


 ノワールの胸は、微かに上下していた。

 致命傷ではない。だが意識は既に遠のきかけている。


「生きてる」


 レイが安堵の息を漏らした。

 だがティアは、ノワールの顔から目を逸らさずに言った。


「本当は、今でも信じたかったんじゃない?誰かを」


 返事はなかった。だが、ノワールの眉が、ほんの僅かに動いたように見えた。


 戦いは終わった。

 だが、ノワールの心に空いた穴は、まだ癒えたわけではない。


 それでも、ティアの言葉は確かに届いていた。

 希望という名の、かすかな灯火として──。

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