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干涸らびた村に、命の流れを

 魔獣討伐は、誰一人命を落とすことなく終わった。

 ただ一人、ヴァルゴイアの尾を受けたカイが重傷を負い、肋骨を数本折ることになったが、命に別状はなかった。医療術師の治療を受けて命に別状はなかったが、動くことは許されず、カイは苦虫を噛み潰したような顔で、じっと療養に耐えていた。


 そして翌朝。陽が昇ると同時に、水源開発の作業が始まった。


 目的は、村から離れた山間の泉から、安定して水を引くためのダムと導水路を建設すること。

 険しい道を越えなければたどり着けない場所にあるその泉は、これまで村人が利用するには遠すぎた。だが、清らかで豊かなその水を見て、ティアは確信していた。


 ──この水が村に届けば、きっと暮らしは変わる。


 アースダムの建設には、魔道具「流し壺」や「水標柱」が使われ、過剰な水圧を自動で調整できるよう設計された。

 さらに、石や土の素材にはティアが再生魔法をかけており、時間とともに自然に劣化しても自力で修復される構造となっている。長期の維持が可能で、定期的な補修も最小限で済む。


 本来であれば数か月を要するはずだった工事は、商隊の技術と魔法の力によって、わずか十日ほどで完了した。


 導水路は地形に沿って巧みに設計され、泉からの清水がゆるやかに流れていく。水の勢いを損なうことなく、同時に土砂を巻き込まず、きれいな水を安定して村へ届ける構造だ。

 水は最終的に貯水地に集められ、そこから村全体へと供給される。これにより、畑への灌漑(かんがい)も、飲み水も、すべてが格段に安定することとなった。


 当初は遠巻きに作業を見ていた村人たちだったが、黙々と働く商隊の姿に、やがて一人、また一人と手を貸し始める。


「……なんも言わずにここまでやるなんて、あの人らは何者なんだ」

「こんな水が引けるなら……もう、干ばつの年も怖くない」


 若者たちはスコップを手に取り、女性たちは食事を作り、子どもたちも水を運ぶ。

 村全体が、一つの目的に向かって動き出していた。

 それを見て、ティアはそっと呟いた。


「よかった。やっぱり、できるんだ」


 その声は小さかったが、確かな希望と手応えに満ちていた。


 水源の整備が一段落し、夕暮れの光が山の稜線を染める頃。ティアは、療養中のカイのもとを訪れた。

 木造の仮設小屋の一角。診療所の中、カイはようやくベッドから起き上がり、少し痛む胸を抑えながら座っていた。

 外では、ダムの完成に向けて忙しく動き回る人々の姿が見える。しかし、その光景には目もくれず、カイはどこか遠くを見つめていた。


 ティアは扉の前でしばらく迷ってから、静かに声をかけた。


「……カイ。入って、いい?」

「……ああ」


 カイは視線を戻すことなく、静かに応じた。


 ティアはそっと中に入り、ベッドの傍に腰を下ろした。しばらく無言が続く。だが、言葉にしなければならないことは、胸の奥にあった。


「……ごめん。あのとき、私がもっと注意していれば、カイが傷つくことはなかったのに」


 その言葉に、カイは初めてティアを見た。だが、その顔に怒りはなかった。ただ、ほんの少しだけ目を伏せ、苦い息を吐く。


「違う。ティアのせいじゃない。……怒ってたのは、俺自身にだ」


 彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「ヴァルゴイアを、他の魔獣と大差ないと甘く見た。俺の判断ミスが、この結果を招いた。それが、悔しくて、情けなくて」


 拳を握り締めながら、唇を噛む。

 その姿に、ティアは目を見開きかけたが、何も言わずに見守った。カイは続ける。


「なのに、お前まで気に病んでるのを見て……余計に、みっともない気がした。……俺が勝手に不機嫌になって、勝手に黙ってただけだ」


 ティアは目を丸くして、何かを言おうとしたが、口をつぐんだ。そして、少しだけ微笑んだ。


「そっか。じゃあ、仲直りしてくれる?」


 カイは一瞬だけ目を逸らしたが、すぐに照れくさそうに頷く。


「ああ。もうとっくに怒っちゃいない」


 その言葉に、ティアの肩の力がふっと抜けた。


「……ありがとう、カイ」


 ティアの声は、安心と喜びの滲んだ柔らかいものだった。

 カイもまた、微かに笑みを浮かべる。


「ダムの完成、見たよ。あれは、本当にすごい。今こうして水が村に届いて、皆が笑ってる。お前がやったことは、間違ってなかった」


 そして、まっすぐな眼差しで言った。


「ティア……お前、やっぱすげぇよ」


 その時、診療所の扉がノックもなく開かれた。


「カイル殿下、体調はいかが──」


 入ってきたのは、商隊の護衛を務める青年レイだった。言葉の途中で足を止め、その場に凍りつく。

 レイの視線の先には、ベッドの傍に座るティアの姿。


「……カイル、殿下?」


 ティアが固い声で呟く。

 その呼び名を耳にして、彼女はゆっくりとカイの方を振り返った。目を見開き、信じられないというように。


 カイは数秒の沈黙ののち、ひとつ深く息を吐き、目を伏せた。


「……バラすなって言っただろ、レイ」


 低く呟いたその声には、呆れと諦めが混ざっていた。


「す、すみません!つい……癖で……!」


 レイは青ざめた顔で弁明しながら、バツが悪そうに後ずさる。普段の気さくさは影も形もなく、完全に動揺していた。


「……まあ、仕方ない。だが、頼むから、今後は気をつけてくれよ」


 カイはため息まじりに言うと、ゆっくりとティアの方へ顔を向けた。その目は、もう隠し通せないと悟った静かな覚悟を湛えていた。


「本当の名前は、カイル・エヴァン・ローデリック。フォルセリア帝国の第三王子だ」


 ティアは一瞬、息を呑んだ。

 フォルセリア──それは、ティアの故郷・ミレナ王国の隣にある大国の名だった。


「……王子、だったの?」

「ああ。でも、王位継承権は低いし、政治とか縁のない立場だ。政略結婚も兄貴たちの仕事。だから、自由に生きていいって許されてる」

「じゃあ、商隊にいたのは?」

「旅がしたかったんだ。世界がどう動いてるのか、この目で見ておきたくてな。身分を隠して、旅商人に紛れるのが、一番自由に歩ける方法だった」


 そう言って、カイは少し気恥ずかしそうに肩をすくめる。


「知ってるのは、レイと、商隊の主人夫妻だけだ。できれば、ティアにも黙っていたかったんだけどな」


 レイは、平伏しかけていた姿勢を直し、真っ直ぐティアに向かって深々と頭を下げる。


「申し訳ありません。殿下のご意思を尊重し、身分を伏せておりました。どうか……このことは、ご内密に」


 ティアはしばらく沈黙し、カイの顔をじっと見つめた。

 そして、ふっと小さく息をつく。


「びっくりしたけど。でも、今ここにいる“カイ”が、あなただってことには変わりないから」


 その言葉には、静かな肯定と、ティア自身の事情がにじんでいた。

 ティアもまた、本当の出自や名前を名乗っていない。

 この商隊には、それぞれに過去や秘密を抱えた者たちがいる。だからこそ、誰もそれを詮索しようとはしない。


 カイの顔に、安堵と感謝の入り混じった表情が浮かぶ。


「ありがとう、ティア」

「……そっか。じゃあ、このことも……私だけの秘密だね」


 ティアが柔らかく微笑むと、カイルもまた、照れくさそうに笑い返した。

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