112 陽動
「まあ、そういうことであれば。とりあえず君には眠っていて貰うとしようか。取引をする気は更々ないようだからね」
メタはそう残念そうに言うと、マグが閉じ込められた容器に近づいてきた。
享楽の街・遊興都市プレアから取り寄せたというこの装置。
中に入った者に任意の夢を見させる機能を持つらしいそれは、恐らくフルダイブタイプのVRマシンに近いものなのだろう。
作られた世界を完全に現実だと錯覚させる点で、用途からして大きく異なるが。
それ故にマグは、起動させんと手をかざしたメタに思わず体を強張らせた。
正にその瞬間。
「な――」
視界が光で覆い尽くされ、夢の世界に閉じ込められてしまったのかと一瞬思う。
しかし、そう認識できる己と驚きの声を上げたメタに、それは違うと理解する。
ならば、この光は一体何なのか。
どことなく見覚えがあるそれは……。
「お父さん!」
その正体に思い至る前に、ドリィの切迫した声が耳に届いた。
どうやら彼女のレーザービームライトだったらしい。
「オネット、お願い!」
「分かってるデスよ!」
そのドリィの言葉にオネットが応じた瞬間、容器の中を満たしていた液体が一気に排出されて透明な蓋がゆっくりと開き始める。
かと思えば、鈍い音と共に視界から一気に蓋が消え去った。
自動開閉の速度がもどかしかったのだろう。
焦れて強引に引きはがしたようだ。
「旦那様っ!」
その悲痛な声とは裏腹に、体を丁寧に起こされる。
誰がそうしているのかは姿を見ずとも分かる。
「アテラ……よかった」
キリの体を操るメタに頭部の【アクセラレーター】を破壊された上に、首と四肢を切り落とされて機能停止していた彼女だった。
痛々しく破損してしまっていた部分は全て完全に修復され、それどころか各所に拡張パーツらしきものが追加されている。
「申し訳ありません。肝心な時に旦那様を守ることもできず」
「いや、こうして無事でいてくれて、助けに来てくれただけで十分だ」
彼女に支えられ、容器から外に出る。
すると、前後挟み込むように小さな体がぶつかってきた。
「おとー様!」「パパ」
フィアとククラの二人。
寂しさを表すように頬を強く押しつけてくる。
「はいはい。再会を喜ぶのは後」
「まだ、脅威は残ってるデスよ」
ドリィとオネットに注意されるが、フィアはしっかりとシールドを張っている。
ククラもまた何かを処理しているようで瞳の奥を激しく点滅させている。
一番戦闘態勢から遠いのは自分だと自覚し、マグは辺りを見回した。
メタの姿はない。
ドリィのレーザービームライトによって消滅してしまったようだ。しかし……。
『いやいや、まさか地面の下から不意打ちをされるとは思わなかったよ』
やはりと言うべきか。
その体は端末に過ぎず、本体ではなかったようだ。
どこからともなくメタの声が聞こえてくる。
『街の各地に現れた無数の反応は、全て陽動だったようだね。もしかして街の地下深くを掘り進めてきたのかい?』
「そうよ。アタシの力でね」
排斥の判断軸・消去の断片。
その力は防御系統の断片を以ってしか防ぐことはできない。
やろうと思えば、地中を移動することなど容易い。
勿論、フィアのシールドで通り道が崩れないようにしてこそ最速、確実にここまで移動してくることができたのだろうが。
『ご苦労なことだね。わざわざ私の懐に入り込むなんて』
そんなドリィの答えに、メタは馬鹿にした様子でもなく告げる。
正にその瞬間。白い部屋が激しく振動を始めた。
かと思えば、認識が歪んでいく。
徐々に部屋が空間に溶け込んでいくかのように消え去っていき、更には足下の床までもが消失したにもかかわらず、落下するような感覚は全くない。
足場はしっかりと存在している。
どうやら目に映らなくなっただけのようだ。
「これは、キリの断片の力デス?」
『そうだね』
オネットの問いかけに対し、簡潔に肯定するメタ。
しかし、排斥の判断軸・隠形の断片の効果があるのは、自らの肉体と精々接触しているものだけのはず。それはキリにも確認している。
にもかかわらず、この不可思議な現象。
それが意味するところは……。
「まさか」
『そう。この建物全体が私ということさ』




