第一章 クロドと少女 2
夕方。やっと見つけた鉄パイプやその他のガラクタを赤足の後部に積んでいると、細い道を挟んだ反対側にアラウンの兵士が現れた。近くにいた中年の女に声をかけ、何かを聞いているようだ。
アラウンは全ての商会を取り仕切り、全ての町の行政や資金運用を管理する組織。権力による横暴も多く、このダリアでは特にそれが顕著だった。
「――そうか、では目撃したらアラウンの支社まで連絡を入れろ。頼んだぞ」
防御用スーツに身を包み、特殊なバイザーヘルメットを被った警備兵が、有無を言わさぬ態度で命令し去っていく。彼が何を尋ねていたのか気になったクロドは、荷を詰め込むのを止め、その中年女性へ近づいた。
「なあ、何を聞かれたんだ?」
「ん? 何か、人を探しているらしいんだよ」
この町では珍しく、初対面の女性はまるで息子に接するように、快くクロドの質問に答えてくれた。
「アラウンの離反者がこのダリアに逃げ込んだんだってさ。何でも危険人物らしくてね。見つけたら教えるようにって脅されたよ」
「離反者? へえ、何をしでかしたんだ?」
「さあね。そこまでは知らないさ。あたしはただ姿を見ていないか聞かれただけだから」
「まあ確かに、身を潜めるならうってつけだからな。この町は」
ダリアはただのスラム街ではない。町を守る壁がないため球獣は入り放題だし、山賊や盗賊の集団が根城として利用している区画もある。殺しだって日常茶飯事にそこらへんで起きている。普通の人間ならば、ただ道を歩いているだけで命の危険が付きまとう場所なのだ。
クロドは彼女に礼を言ってその場から離れると、残りの採取物を全て後ろに積み、赤足のアクセルを握る。
積荷がしっかりと固定されていることを確認すると、誰にも聞こえないような声でひっそりと呟いた。
「……離反者、か」
スラム街ダリアの道路の多くには、バリケードが構築され、ゴミや人、球獣の死体が散乱していた。
アラウンが産業廃棄物を投棄するために利用している軍用路以外整備された道は存在せず、地走機が町の端から端へ行くためには、球獣に襲われる危険を覚悟して外周部を回る必要があった。だから町の中で地走機を見かけることはごくまれであり、住民の移動は徒歩か、重空機を利用することが常だった。水面と平行に平たい石を投げつけた時のような動きで進むことのできる重空機ならば、瓦礫を飛び越え荒れた道を突き進むことが可能となる。クロドが赤足を利用しているのも、そうした利便性を踏まえてのことだった。
大きな廃墟の上を飛び越え、クロドはヘルメット内部に表示される時刻を確認した。
既に夜の二十時を超えてしまっている。辺りを照らす光も月と街灯しかなかった。
「思ったより時間がかかったからな。急がないと。このままじゃまた親方にどやされる」
斜め下に向かって伸びる二本のハンドルを握り締め、その右側のものに括りつけられているレバーを引いた。ちょうど自転車でいうブレーキの位置だ。
重低音の音が響き、車輪の左右から六本もの白い煙が噴出した。それに合わせ、大きく機体が跳躍する。壁や地面を蹴るように瓦礫を飛び越えてはまた跳躍し、また瓦礫を見つけては跳躍する。重空機のもつ特性を最大に活かした走行だった。
「――ん?」
一塊の大きな瓦礫を飛び越えたとき、前方になにやら白いものが見えた。重空機のライトに照らされた大きな物体が、髑髏マスクのレンズ越しに見える。
――人間!?
クロドは慌てて左手のレバーを引いた。滑空トリガーと対になっているこちらは、そのままブレーキであり、機体の速度を落とすためのものだ。体重をかけ〝赤足〟を横に横転させる形で、何とかぎりぎりとところで走行を止めた。
「あ、あぶねぇ……!?」
濁った土煙が辺りに舞い、裏路地の間を埋め尽くす。視界のほとんどがそれに覆いつくされた。
未だエンジンの音を響かせている赤足から降りると、クロドは荒い呼吸のまま目の前の白い塊へと進んだ。
――死んでないよな?
自分の重空機は確かにギリギリで停止した。轢いてはいないはずだと己に言い聞かせる。恐る恐る覗き込み目を凝らすと、それが自分とそう歳の変わらない少女だとわかった。
「女の子? 何でこんな裏路地に……」
肩まである茶色の髪に色白の肌と長い睫毛。かなり美しい顔立ちだ。一瞬どきりとする。
「おい、こんなところで寝てたら死ぬぞ。起きろって」
地面に倒れたままの少女の頬をぺちぺちと叩き意識を呼び覚まそうとする。するとその瞬間、薄く彼女の目が開いた。
「あ、よかった。ほら、早く――」
クロドが身を起こそうとした途端、遠くを見つめるように彼女が呟いた。
「お父……さん」
お父さん?
クロドは首を傾げつつも彼女の体を起こそうとしたのだが、その際、なにやらドロリとした手触りを感じた。嫌な予感がしたので見てみると、自分の手に赤いものが大量に付着していた。
どうやら暗がりのせいで腹部の傷口が見えなかったようだ。かなりの量が地面に広がっている。
「うわ、何だよこの傷……! 大丈夫か!?」
クロドは慌てて彼女の傷口を抑えた。鞄の中から綺麗なタオルを取り出し、それを傷口に当てる。
――銃創? 今さっき撃たれたばかりに見えるけど、……強盗にでもあったのか? ダリアに病院なんて無いし……そうだ。親方の店まで運ぶか。あの人ならなんとか出来るはず……!
自分の働いているジャンクショップの親方は元軍人。幾度も修羅場を潜り抜け、応急処置の経験も豊富らしい。クロド自身も何度かお世話になったことがある。
急いで赤足を立て直すと、その前部に乗せるため、少女の前に身を屈めた。
「しっかりしろ。今治療できる場所まで連れて行くから」
そのまま抱え上げようとした途端、背後の通路から何かが聞こえた。数人の人間が走ってくるかのような音だ。
「居たぞ、あそこだ!」
先頭にいた男が叫ぶ。同時に、その手に握られた鉄の塊から火が吹いた。
「逃がすな、撃てえぇぇえ!」
「はぁあ!?」
いきなりの発砲宣言にクロドはど肝を抜かした。一体自分が何をしたというのだろうか。
甲高い音が鳴り、銃弾が周囲の壁を削り取っていく。慌てて頭を伏せ、防弾装甲を持つ赤足の後ろへ隠れた。
再び男たちの怒号が聞こえる。
「傷を負ってるぞ! 今なら仕留められる。ここで必ず殺すんだ」
それを聞いて、クロドは狙いが自分ではなく腕の中にいる少女なのだと知った。最初はこの街に住んでいる物取りのグループかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。銃撃の合間に相手の姿を確認すると、ダリアには不相応な高価な防具が見えた。
――街の外の連中か? 一体なんだってんだよ!?
考えるが当然答えなど出ない。わかっていることは、この場に残れば死ぬということだけだ。諸事情により特殊な〝力〟こそあるものの、それは近距離でしか発揮できない代物だし、何より武器も無い今あの大人数を相手にするのは難易度が高すぎる。
無法地帯であるこのダリアで生活してきたクロドは、自分のこれまでの経験からそう冷静に分析した。
相手の目的であるこの少女を囮にすれば逃げることは容易だろう。だが、殺されるとわかっていてみすみす置いていくほど冷酷にはなれない。
何故彼女が狙われているのか、あの男たちは何者なのか、疑問はいくつもあったが、取りあえず優先するべきことはここから逃亡することだった。
額から冷や汗を流し、クロドはチャンスをうかがった。
――何だかよく分からないけど、取りあえず逃げるぞ……!
弾が切れたのか相手の銃撃が一瞬止んだ。獲物を前にしたことで焦って連携を忘れていたらしい。
この気を逃せばもうあとは無い。クロドは投げるように少女の体を赤足の前部に乗せると、そのまま自分も飛び乗り、アクセルを回した。
「あ、貴様!?」
弾倉を交換していた男が驚いたように叫ぶ。クロドは彼に向かって中指を突き立てると、そのまま赤足を発進させた。
僅かな時間が空いた後に再び彼らの銃撃が再開する。しかし幸いにも土埃の影響で相手の銃撃は正確さを欠いていた。その機を活かしクロドは一気に赤足を滑空させた。普通の車両や人間が絶対に通ることの出来ない道を選び、瓦礫から瓦礫へと飛び移って行く。廃圧口から放出される六本もの白い煙だけをその場に残し、クロドはあっという間に路地から離れていった。
背後からはまだ怒号か聞こえていたが、彼らは徒歩だったためどうやら撒けたようだ。ほっと息をつくと、クロドは意識を前に集中させた。
――一体何なんだったんだ。あんな大勢でこんな女の子を狙うなんて。
走りながら腕の中で意識を失っている少女に目を向ける。彼女は目をぴったりとつぶり、ぜいぜいと荒く胸を上下に動かしていた。
「はあ――……何か、またやっかいな拾い物をしたみたいだな」
昔拾った高価な電子製品。それが実は首都オラゼルに住む金持ちの落し物だったときのことを思い出し、クロドは盛大なため息を吐いた。
――どうやらあのとき以上に面倒なことになりそうだ。
そしてその予想は、大きく当たってた。




