第二章 魔窟の傭兵 4
顔に水球の感触が波打った瞬間、全身が引き裂かれそうなほどの衝撃が走った。
重力の方向が二転三転し、今自分がどうなっているのか、どこにいるのかわからなくなる。
男も女も多くの者が悲鳴を上げ、体を固定していなかった死体が座席の間をゴム玉のように跳ね抜けていく。
斜め数メートル先の飛翔機の壁が剥がれ、光と闇が交互に顔を覗かせたかと思えば、殴りつけるような強風がそこから侵入してきた。
駄目だ。せめて自分の周りだけでも……!
飛翔機自体に‶存在固定〟の力を影響させることは不可能だと悟ったが、自分の座席近辺なら話は別だ。この力を受けた物体はありとあらゆる時間的空間的な振動を停止し、凍らされたようにその存在を固定させる。そしてその状態となった物体は、より存在密度の濃い魔法影響を受けるか、強度を超過した衝撃を受けない限り、決して傷つかない。自分の周囲の物体を力で覆い止めることで、リナックスは疑似シェルターを構築したのだった。
割れた窓から枝葉や砂埃が侵入しより視界に映る光景を混沌にさせる。
ひと際大きな衝撃が走り、機体の回転が横方向へと変化した。後方に響く大音量の爆発。どうやら機体が真っ二つに割れたらしい。
今のリナックスに出来ることは、ただ力を維持したまま椅子にしがみつくことだけだ。歯を食いしばり鬼の形相で祈りを捧げていると、複数の木々の抵抗を受け、ようやく機体はその回転を終わらせた。
……止まったのか……?
荒い呼吸を繰り返しながら周囲を見渡す。前後も左右も、飛び込んできた枝や荷物、ひっくり返った座席や死体などで、まさに酷い有様だった。
リナックスは目の前に浮かんでいる鋭い金属の破片を手でどかし、ごくりと唾を呑み込んだ。存在固定の力を使っていなければ、この破片が頭に命中していたかと思うとぞっとする。
何とか己を落ち着かせようと呼吸を整えながら座席の固定具を外し、中腰に立ち上がった。
「みんな、生きてますか? レンバス将軍?」
隣の席に座っていたはずのレンバス将軍が消えている。どこかへ吹き飛ばされたのかと考えたが、その姿はすぐに発見出来た。一つ後ろの列で、座席の下敷きになっていたのだ。
「レンバス将軍……!」
首があらん方向に曲がり、手足の位置もおかしい。どうみても即死だった。
リナックスはしばらく茫然としたが、すぐに意識を切り替え首を左右に振った。
ここは戦場の真っただ中なのだ。司令塔機が墜落したとあれば、すぐに敵の追撃部隊がやってくる。一人でも多くの将校を逃がさなければ、指揮系統が崩れ負けてしまう。
瓦礫をどかし、生存者を探しながら壁の吹き飛んだ箇所を目指す。大部分の人間が命を失ってしまっていたが、辛うじて動ける者の何人かいた。
リナックスは腰からお気に入りの二丁拳銃のうち右手用の一丁を引き抜き、壁に顔を寄せながら外を見渡した。強い陽射しのせいで一瞬目がくらんだが、すぐに慣れて景色が見えるようになる。
辺りの木々は衝突と飛び散った燃料によって一部が燃え、黒い煙を登らせていた。
先に外に出ていた者も居たらしく、そのうちの一人がこちらを見て駆け寄ってきた。
「リナックス卿! ご無事でしたか」
「何とか。あなたは?」
「はい。軽い打ち身はございますが、戦闘に支障はございません。……レンバス将軍は無事ですか?」
「彼は墜落の衝撃で亡くなった。指令室で生き残っている者はほとんどいない。早く生存者を集めてここから逃げないと」
「……それは、残念です。わかりました。直ちに行動に移ります」
その兵士は一瞬深く残念そうに表情を歪めた後、すぐに敬礼を作り、リナックスの指示に従った。戦場のど真ん中では、悲しんでいる余裕もないことをよく理解しているのだろう。
生き残った兵士たちが外に出て、それぞれ武装や簡易治療を素早く終える。ちょうどそれに合わせるかのように、アザレアのエンブレムが表記された一台の地走機が、森の奥から姿を見せた。
「救助だ。よかった。こっちの軍の方が早かった」
先ほど会話した兵士が緊張に満ちていた表情を解いたが、その笑みはすぐにかき消されることとなった。
雷のような轟音が地面を水平に横切り、救助に向かっていた地走機の装甲を真横から打ち抜く。地走機は激しく横転し、煙を上げながら土の中へめり込んだ。
重低音の濁った音が遠くのほうから響く。前線基地側の丘の上に、砲台から煙を上げる魚類型地走機が見えた。
「くそ、せっかくの援軍が……!」
先ほどの兵士が悔しそうに歯ぎしりし、銃を握りしめる。
この距離ではスナイパーでも使わない限り反撃は出来ない。つまりあの魚類型地走機の攻撃に倒し、逃げまどうことしかできないのだ。リナックスは次の攻撃に備え身構えたが、魚類型地走機はこれで役目を終えたとばかりに、その場から離れていった。どうやら操縦士は地走機を破壊すること以外に興味がないらしい。
「あの高性能な長距離砲です。歩兵相手に使用し玉切れを起こしたくはないのでしょう。敵も資源は限られていますからね」
「だがこれじゃあ、救助が近づけない。あの機体はきっとそれほど離れずこの周囲を見張っているはずはずだ」
重空機独特の排煙が離れた位置から見えている。奴は生き残った司令塔機の高官を餌に、アザレア側の地走機を殲滅するつもりのようだった。
「仕方がない。自分たちの足で友軍の補給所まで後退しましょう。このままここに居ても全滅するか囮に使われるだけです」
兵士の問いにリナックスは難色を示した。
「重傷者はどうする? 動けない者だって何人も居るんだぞ」
「置いていくしかありません。彼らだって自分たちの負傷が原因で負けたとあっては、いい屈辱です。いいですかリナックス卿。これは戦争なんです。勝つために行う大規模集団同士の‶交渉〟です。目的の物を得るためには、多少犠牲という値引きを行う必要があります」
「そんな、彼らはまだ生きているんだぞ」
「彼らを救いたいのであれば、さっさと後退しあなたの指揮で前線を押し上げ、ここを安全地帯にするしかございませんよ。いいですか、ここでもめている間にも他所で多くの兵士が命を落としているんです。あなたを救おうと作戦を変更してね。あなたが安全圏に移動することが、今は最善手なんです」
その兵士の言葉で改めてはっとした。
そうだ。この争いの代表は自分なのだ。父にとってはくだらない道具の一つかもしれないが、兵士たちにとって自分の命こそが軍の象徴。自分が死ぬことはアザレアの敗退を意味する。
「……僕が悪かった。わかった。後退しよう」
「ご理解頂けたようでなによりです。では、さっそく移動しましょう」
動ける生存者たちに声をかけ隊列を組ませる兵士。歳は二十後半だろうか。まだ若そうなのに、大した男だと思った。
そういえば、ヨルムは無事なのか? 途中で別れた後部座席に乗っていたはずだけど。
ふと親友のことを思い出すも、兵士の掛け声でそれを振り切る。今は逃げることが優先だと考え直し、不安を押し殺した。
左手用の拳銃も抜き、先ほどの兵士の先導に合わせて歩き出す。 しかし数メートルほど歩を進めたところで、奇妙な排気音が聞こえた。
「何だ?」
先頭の兵士が足を停め耳を澄ます。狭いストローに全力で息を吹き込んだような音が複数鳴り響き、それが徐々に近づいてくる。
この音、さっきの魚類型地走機か? いや、それにしては音が多過ぎる。どちらかといえば、重空機の集団みたいな……。
リナックスが疑問に思ったところで、先頭の兵士が何か気が付いたようだった。
「フリージアの正規軍は重空機なんて乗らない。あんなのに乗る連中と言えば――」
慌てて全員に銃器を構えさせる。
「傭兵部隊だ! 全員急襲に備えろ!」
四方八方から重空機が飛び出し発砲する。リナックスはすぐに剥がれ落ちていた飛翔機の一部に身を隠したが、突然の急襲に対応できず、次々に仲間が倒れていった。
地走機で逃げようとすれば魚類型が、徒歩で逃げようとすれば重空機の傭兵部隊か。なんて厄介な……!
アザレアで重空機を目にすることなど、普段はありえることではない。整備されたアザレアの道路では、障害物を飛び越えて進む重空機の特性を生かす場所など存在しないからだ。そのため兵士の多くがあの独特な動き翻弄され、いいように弄ばれていた。
人種も装備もばらばらな傭兵たちが、戦場で奪った雷撃系魔法銃を放ち墜落した飛翔機の側面に風穴を開ける。弾き飛ばされた金属片が雨のように頭上から注ぎ堕ちた。どうやら敵はこちらの司令塔組をここで全滅させるつもりのようだ。
このまま全滅することを恐れた兵士たちがそれぞれ違う方向へばらけ逃げ始める。逃げ切れる可能性は低かったが、他に手がないことも事実だ。仕方がなくリナックスも彼らと同様に木々の間に駆け出した。
取り囲んでいた傭兵の一部がリナックスの動きに気が付き追ってくる。スパイクに覆われたいかつい機体と、簡易的な装甲を纏った灰色の機体二台だった。ヘルメットを被っているせいで不確かだが、灰色の方に乗っているのはまだ子供のようにも見える。
くそ、なめるなよ!
兄やヨルムと一緒に球獣狩をしていたとき、一度だけ重空機に乗ったことがある。操縦がピーキー過ぎてほとんどまともに運転は出来なかったけれど、そのときに注意点も教えられた。水面を跳ねる石のように滑空する重空機は、地面から離れたから次の地面に着地するまでの刹那は、方向を変えることは出来ない。
リナックスは数発の銃弾をあえて右側に撃ち先頭を走っていたスパイク付き機体を横に跳ねさせた。そしてその機体が着地する瞬間に合わせ、もう片方の拳銃に‶力〟を込め打ち出す。
存在固定の力が込められた弾丸は見事に重空機の前部車輪を打ち抜き、その回転を力によって停止させた。
突然車輪の回転が止まった重空機は急ブレーキをかけた時のように後部車輪が跳ね上がり、勢いのまま前のりに回転し木に衝突した。乗っていたモヒカンの男は、自身が重空機に装備させていたスパイクが全身に深々と突き刺さり大きな悲鳴を上げる。あの衝撃では骨もいくつか折れてしまったことだろう。
もう一台の灰色の重空機は、飛び散った部品を飛びのけ追跡を続ける。リナックスは同じように全部車輪を停止させようとしたが、先ほどの男よりもこの少年のほうが腕がいいのか、放った弾丸は巧みな体重移動によって全てかわされてしまった。
――上手い。僕より年下に見えるのに。
あの年でどれほどの経験を積んできたのだろうか。その少年は重空機に跨ったまま、車体の横に寄りつけている長銃を発砲した。ハンドルの横にトリガーを組み込んでいるらしい。
リナックスはとっさに足を停めることであえてその照準を外し、少年の乗った重空機を追い越させた。そして後方から無数の銃弾を打ち込む。
一発が機体に被弾したが、装甲の所為か大した損害はなく、少年は方向転換しこちらに戻ってくる。
徒歩じゃ勝ち目がない。こいつ相手に逃げ切るのは無理だ。こうなったら……――。
後方にある大きな木を見つけ、その横を駆け抜ける。少年の乗った灰色の重空機も当然ついてくるが、リナックスはそこで反転し、木の影から飛び出した。
数発の弾丸が重空機のフロントに命中し、存在固定の力によって機体を急停止させる。リナックスはそのまま相手が横転すると思ったのだが、少年は振り落とされる勢いを利用して座席を蹴り、リナックスに突撃した。
両者の身体が激しく衝突し、もつれるように土の斜面を転がり落ちる。
リナックスは転がりながら銃を構えたが、相手が手首を掴んでいるために上手く狙いを定めることが出来ず、放った銃弾は全て空を切った。
「うわっ!?」
体が大きく跳ね一瞬身が軽くなる。崖の縁から躍り出てしまったらしい。木々の根と真っ暗な空洞が視界の端に映る。
あ、これちょっと――……!
恐怖を感じた時にはすでに遅く、リナックスと少年は、そのまま真っすぐに崖の下へと落ちていった。




