第二章 魔窟の傭兵 3
複数の軍用地走機が列をなし、草原地帯を進んでいく。
土煙をまき散らせ行進するその集団は、まるで地面を這う蟻のようだ。文化の細かさこそ違えど、こうして視点を変えてみれば、人も蟻もそれほどやっていることに差異などない気がした。
――……本当にこれから戦争が始まるのか。僕は兄を殺した犯人を知りたかっただけなのに、なんでこんなことに……。
司令塔飛翔機の大画面に映る部下の一団を見て、戦闘直前だというのに大きなため息を吐く。深緑の森が近づけば近づくほど、心に溜まる重責の量が増えていく。
「リナックス卿」
その陰鬱な態度が気になったのだろうか。横に座っていたレンバス将軍が、不快そうな視線をこちらに投げた。
「随分と緊張されておるようですな。まあ、無理もない。初戦は誰しも我を見失うものです。ましてやこれまで軍事に関わりを持たなかったあなたなら、なおさらのことでしょう。……ただ、実際に指揮をとるのはこの私です。あなたがそこまで気に病む必要はない。ケラッディ技術本部長からも十分な戦力を提供して頂いております。アザレアが負けることなどありえませんよ。あなたはただどしっとここに座り、次期盟主たる堂々とした態度を皆に示していれば良いのです」
「レンバス将軍。……すいません。どうしても戦地に出向くということに現実味が湧かなくて。森や砂漠で球獣と戦うことなら慣れていたんですけどね。……出来るだけ被害者を出さずに済めばいいのですが」
「戦地で被害者を出さないことなど不可能ですよ。思想が違えば必ず争いは生まれます。そして思想は文化や言葉、もっと極端に言えば自分と他人という‶差異〟があるから起こるもの。他人が他人である以上、決してそれは避けられるものではありません。そして人は、相手が絶対に敵わないと、相手が自分より上だと認めて初めて言うことを聞く。お父上のやり方は確かに暴虐的ですが、決して意味のない手法ではないのです」
相手が叶わないからこそ人は言うことを聞く。嫌な考えだったが、ある意味では的を得ている。父が父たり得るのも、アザレア盟主という絶対的な権力と影響力があるからだ。彼の一声でアザレア市民は命も仕事も全てを失う危険がある。もし父が路地裏で寝ているような身なりの悪い男なら、きっと誰も耳を傾けはしまい。
「そろそろ深緑の森に到達致します。ご覚悟をお決め下さい」
窓の外には長々とした山脈と深い緑色の森林が映っている。いよいよ戦場に来てしまったのだ。
リナックスは兄のことを思い、ぎゅっと歯を噛みしめた。
通信が入り、フリージア軍も軍を動かしたことを伝えてくる。開戦の合図や口上など特になく、その戦はゆっくりと、だが着実に始まろうとしていた。
レンバス将軍を含んだこの作戦の将校たちが、通信機と画面を通して部下に様々な指示を送り出す。リナックスは何か自分も行動に移した方がよいのかと悩んだものの、誰も気にしていないようだったため、持ち上げかけていた腰を下ろし、ただ身を固くすることしか出来なかった。
歩兵部隊。駆動兵器部隊。飛翔機部隊。三種類の集団がそれぞれの指示系統によって方陣を変え雲のように流動する。
リナックスたちの乗った司令塔飛翔機は、複数の戦闘飛翔機に囲まれたまま深緑の森の手前で滞空した。
「よし、各軍準備はよいか」
大画面に映し出されるアザレア軍の配置を見て、意気揚々と目を輝かせるレンバス将軍。眉の薄い、しわの酔った眉間が一同を睨みつける。彼の言葉を待つように、将校たちもみな言葉を慎んだ。
「敵共同体――フリージアは、サキエル盟子の飛翔機を墜落させ、その弟君であるリナックス盟子、ひいては西のルドぺギア盟主のご息女、リナリア盟子の命までおも奪わんと画策した。スオウ盟主は暗殺事件の関係者の証拠を提示し、フリージア盟主へ責任の追及と賠償を要求したが、その要求に対する回答は皆無であった。今回の戦はあくまで領界線に密集したフリージア軍を牽制することが目的であるが、いずれ行われる本戦の前哨戦ととってもらって構わない。この小戦で勝つことは、フリージアとアザレアの戦いを一歩有利に進める事へとつながる。諸君、アザレアの誇りと未来のために、粉骨砕身の覚悟で挑むように」
レンバス将軍の激に合せるように皆が頷き声を上げる。
本格的な戦争とはいわないまでも、自分の名前を旗印とした争いがこれから始まるのだ。リナックス・ウルヴァリアという名の元に多くの兵が命を失い、多くの敵が命を落とす。覚悟はしていたはずなのに、その責任の重さに胸がつぶれそうになる。
陸軍将校が指示を出し、画面に映っていた地走機と駆動兵器が深緑の森の中へ突き進んでいく。すでに斥候を飛ばしていたのか、森の中だというのにその動きは実にスムーズで迷いが無かった。
続いて空軍将校の指示により遠くを旋回していた飛翔機も森の上空へと移動し、最奥にあるとされるフリージアの前線基地めがけて飛び去っていく。
地走機三十機、飛翔機十機、駆動兵器二十機、歩兵二千人の、戦と言うにはあまりに小規模な軍だが、敵の前線基地の規模と軍備、早急に動かせる人員や兵器を考えた上での最善の戦力だった。
フリージアの方も当然迎撃用の部隊を送っていたらしく、森の奥の方で閃光が走り、爆発音が続けざまに響く。それに合わせ、指揮用飛翔機の指令室が一気に慌ただしくなった。
「丑十二号敵部隊と戦闘開始、魔法銃にて駆動兵器を大破させた模様」
若いオペレータの声が、
「申四号、飛翔機の援護を要請、酉七号、所定の場所へ急行願う」
指示を飛ばす将校の声が、複数室内に飛び交い、乱雑する。
何をすればいいのか、どうするべきかもわからず、リナックスはただただ、その光景と空気に圧倒され、戦火の映像を驚愕の思いで見つめることしか出来なかった。
画面に次々に各所の戦闘映像と情報が並列に移り、現在の状況を伝えてくる。素人目に映る戦局は、アザレアが六割ほど優勢のようだった。
通信を介して次々に敵を討ったとの連絡が入り、軍はさらに森の奥へ、奥へと進んでいく。
父の思惑通り、相手に時間を与えない電撃的な急襲が功を奏したようだ。フリージア軍とアザレア軍では、その兵力も数の差も歴然だった。
「いいぞ。このまま進行を続けろ。敗走者や孤立した部隊には構うな。フリージアの前線基地さえ落とすことが出来ればこちらの勝ちなのだ」
鼻を鳴らし豪快に笑うレンバス将軍。その皺の出始めた顔は、まるで少年のように輝いて見えた。
圧倒的だ。さすが世界一位を自称するアザレアの軍隊だ。
武器や機動兵器の性能こそ僅かに劣っているものの、フリージアと違ってアザレアには魔法攻撃という優位性がある。同じ土俵で攻め合えば、魔法による様々な戦略を実行できるアザレア軍が勝利するのは、自明の理だった。
「レンバス将軍。やはり敵の魔法技術はまだまだ未発展の模様です。魔法弾の発射に時間がかかり過ぎているし、種類も少なくなにより自動発動が出来ていません。これなら、予定よりも早く制圧出来ると思われます」
鋭い目つきをした陸軍将校がレンバス将軍を振り返る。実に余裕に溢れた表情だった。
将校に頷いて見せた後、視界に入ったリナックスを見て、思い出したようにレンバス将軍は笑みを見せた。
「どうですリナックス卿。我が軍は。圧倒的でしょう。これなら数刻もかからずにフリージアの前線基地を叩くことが出来ます」
「そうですね。流石です。日頃よりレンバス将軍が鍛えてきた成果のたまものでしょう」
当たり障りのない会話を繰り広げながら少しだけ不満に思う。
本当にこれで済むのか。こんな簡単に……?
確かに魔法技術の差は大きいが、銃器にしても駆動兵器の性能にしても、純粋な機械技術だけで言えばフリージアはアザレアより勝っている。こんなあっさり決着がつくというのは、いささか腑に落ちなかった。
「……あれは何だ?」
将校の一人が怪訝そうな声を上げる。画面を見ると、フリージアの前線基地から複数の奇妙な地走機が姿を見せていた。
大砲にしては随分と長い砲身に、電流のほとばしる開口した後部装甲。その下部には車輪だけではなく、重空機のような複数の排気管が取り付けられている。通常の戦闘地走機は甲殻虫を思わせる形状をしていることが多いが、その機体はまるで角の生えた魚類のような外観をしていた。
「敵の新兵器のようですね。あの形状、恐らくは高機動型砲台だと考えられます。武装を極限まで単純化し、素早い動きで致命的な一撃のみを与えることを目的に開発されたのでしょう」
同乗している技術部の士官らしき男が神妙な顔で解説した。
映像に映る魚類型地走機の動きは確かに早く、あっという間に戦場の中心付近まで到達する。地走機というよりも、超大型の重空機のような動きだった。
「対駆動兵器用の兵器といったところか。駆動兵器は地走機や歩兵の殲滅には向いているが、ああいった高速移動する対象には攻撃を当てずらい。この足場の悪い森の中なら尚更な」
レンバス将軍はそこで息を大きく吸い込み、
「追尾効果のある武装や魔法を歩兵に装備させ対応しろ。あの魚類型の武装が砲一門しかないというのであれば、小回りの利く歩兵で迎撃できるは――」
その時、一瞬画面の端が光った。鏡に太陽の光が反射したような、そんな短く小さな光。
何だ? 駆動兵器の大破にしては爆発が……。
リナックスが疑問を抱いた直後、雷のような轟音が司令塔飛翔機の近辺に轟いた。
「うわっ!?」
ぐらりと大きく傾く機体。続けて左方向で小さな爆発が発生し、窓の外に火の手が上がる。
「何だ、何が起きた?」
レンバス将軍も事態が飲み込めていないようだ。表情を一変させ各将校の顔を見渡した。
攻撃を受けたことは確実だ。だが近辺に敵の飛翔機の姿など存在しないし、勿論眼下の大地も味方に囲まれている。複数の護衛用飛翔機の合間を縫ってこの司令塔機に損傷を負わせる方法など、リナックスにはまったく想像がつかなかった。
まさか、先ほどの光?
すかさず画面を確認すると、閃光を発した位置にあの新型の地走機の姿が映っていた。砲身から高らかに煙が上がっている。
遠距離砲なのか? でもこれほどの距離を?
一体どんな方法を使ったのだろうか。アザレアの魔法技術を用いてもこの長距離を飛翔する砲弾など作れはしない。フリージアが魔法技術に疎いというのなら、純粋な物理現象のみでの技術ということになるが、そんなものが実現可能なのだろうか。思わず驚愕し息を呑む。
「――っ、旋回しろ。距離を取れ」
レンバス将軍が指示を飛ばすも、その直後に再度の轟音。今度は逆側の動力部にも一撃を受けたらしい。
「だ、だめです。高度を維持できません。このまま着陸態勢に入ります」
このまま? ちょっと待て。戦場のど真ん中に向かってるぞ。
大画面では未だ両陣営の戦力が争いを継続している真っただ中だ。この飛翔機は今まさにそこに向かって突撃しようとしている。
指令室全体に警報が鳴り響き、赤いランプが何度も点滅する。墜落を免れないのは確実だった。
体に急速な負荷がかかり、身動きが取れない。衝撃吸収用の魔法水球が顔の前に展開される。
激しく揺れる機体の中、リナックスはあることに気が付いた。
機影のない状態での損傷。
事故に似せた襲撃。
この状況は兄の事故と酷似している。
――くそ、まさか本当にフリージアが?
この兵器を強化したものが存在すれば、相手に気づかれることなく敵機を落とすことなど造作もない。ましてやあの高速移動能力があれば、山岳地帯の中正確な射撃ポイントへ移動することも用意だ。
計器を見ずともぐんぐんと高度が落ちていくことがわかる。なすすべもなく死ぬ未来の自分を想像し、リナックスは恐怖した。
おいおいおい、こんなとこで――……!?
まだ自分は何一つ成し遂げてはいない。兄の敵も、襲撃者の正体も掴んではいない。この戦場だって、ただ静かに旋回中の飛翔に座っていただけだ。
死にたくない。死にたくなかった。
くそ、一か八か――。
‶力〟を機体に伝搬する。時間、位置全てをまるごと固定し、空間ごと凍りつかせる力を。
しかしリナックスがいくら力を影響させようと、何分機体が大きすぎた。速度の低下は気休め程度しか見られず、みるみる地上が近づいていく。
「全員衝撃に備えろ!」
レンバス将軍が大声を上げた直後、司令塔機は、頭から森の中に突っ込んだ。




