第一章 アザレアの継承権 5
前後を挟まれたこの状況は圧倒的に不利だ。
せめてどちらか片側の敵を倒して攻撃のベクトルを一方向に絞る必要がある。倒すなら当然、一人で行動している正面側の兵士だ。
両側から姿が見えないように英雄像の影に隠れながら姿勢を低くする。
……くそ、せめて武器があれば……!
お気に入りの二丁拳銃はヨルムに預け、離れた場所で待機してある迎賓用飛翔機の中に収納されている。ここから飛翔機の発着場までは数百メートルの距離があるから、例え銃声が聞こえたとしても彼らが駆けつけるまでには数分の時間を要する。武器を手に入れるには敵から奪うしかない。
目の前の襲撃者が再度銃を発砲する。一瞬身を固くしたものの、威嚇のつもりなのか追い込もうとしているのか、何故か銃弾はリナックスたちのいる位置から少し離れた場所に着弾した。
時間が経てば経つほど距離を詰められて不利になるだけだ。仕方がない。リナックスはパラソルを握りしめる手に力を込め、リナリアを振り返った。
「リナリアさん。魔法で一瞬でもあいつの気を逸らすことはできませんか? その間に僕が接近して武器を奪います」
「大きな魔法は時間がかかるので、簡単なものしか出来ませんけれど。それで良ければ」
「十分です。お願いします」
リナックスが頷くと、彼女は小さな声で詠唱を始めた。歌のような詩のような独特な音調だった。これが精神回路を生み出すためのルーティーン(手順・命令操作)というやつなのだろう。
銃弾が隣接した石像の表面に辺り粉塵をまき散らす。やはり隠れている位置からは遠い場所だ。もしかしたら、裏側から接近している三人が追いつくまで時間稼ぎをしているのかもしれない。
リナリアの目の前の砂塵がくるくると回転し始めとぐろを巻いた。彼女の歌に合わせてそれがゆらゆらと左右に踊る。
「行きます」
石像の裏から片目を覗かせたリナリアは、滞空させていた風のとぐろを敵兵へ放った。それは周囲の空気を巻き込み肥大化し、二メートルほどの竜巻となり前進する。
突如眼前に現れた突風に視界を奪われ、動揺の声を漏らす敵兵。その隙にリナックスは石像の裏から前に躍り出た。
敵の手のひらに向かってパラソルを突き出し、相手の銃を弾き落とそうとする。しかしリナックスの接近に気が付いた敵兵は後方へ飛びのくことでそれをかわし、同時に竜巻の妨害から逃れた。
「リナックスさん!」
背後のリナリアから声にならない声が飛び出す。
敵の銃口がこちらを向き、照準がまっすぐにリナックスの眉間と合った。時間が止まったかのような錯覚を抱く。
このままでは万万事休すだ。背後のリナリアの視線を感じ一瞬父スオウの顔が頭の隅に浮かんだが、それを振り切り覚悟を決めた。
――くそ、仕方ない……!
‶力〟をパラソルへと伝達する。その瞬間パラソルを中心とした周囲の彩度が一気に下がり、暗い‶間〟を生み出した。
敵の放った銃弾がその‶間〟に触れた途端、勢いが完全に消失しその場に停滞する。
「なっ――!?」
リナックスのパラソルが手の甲を強打すると同時に、敵は表情を歪め銃を持ち上げようとしたが、何故か手がグリップからすっぽ抜けてしまった。先ほどの銃弾と同様、銃身の彩度が低下し、まるで空間に固定されてしまったかのように、びくりとも動かなかったからだ。
リナックスはその銃を手に取るとすぐに相手の胸に銃口を密着させ発砲した。甲高い音が鳴り響き、血しぶきが地面に降り注ぐ。
すぐ顔の横を銃弾が通過し、死体となった男の肩を貫く。石像群の反対側から接近していた三人の敵がこちら側へ追いついたようだった。
リナックスは円を描くように左へ移動しながら彼らに向かって発砲する。弾丸は一番左側の男に命中し一発で彼は倒れた。
残り二人の敵が苦々しい顔で発砲を続ける。しかしそのどの弾丸もリナックスに命中することはなく、彼の体の直前で勢いを失い、空中に停止した。
「まさか……重量者……!?」
背後からリナリアの驚いた声が聞こえる。他の共同体幹部である彼女にこの力のことを知られるのは避けたかったのだが、こうなっては仕方がない。どうせ時が経てばあの事故のことは広まるのだ。それが遅いか早いかの違いでしかない。
「くそ、聞いてねえぞこんなの! 情報と違うじゃねえか」
敵の一人が喚きながら発砲を繰り返す。リナックスは目の前で停滞していた銃弾を前に弾き飛ばし、それを足場にして空中を駆け上がった。
幸いにも手の中にあるのはアザレアの正規可変銃だ。何度も手に持ったことはあるし、この距離ならば外すことはない。
逃げようとする二人の敵。リナックスは力を込めた弾丸で彼らの足を撃った。
突如その場に足を固定された敵兵たちは、力のバランスを崩し派手に転倒する。落とした銃に手を伸ばそうとしていたが、リナックスが追撃をするほうが早かった。彼らはそれぞれ腹部と胸を撃たれ悶絶する。足が空間に固定されているから、上半身だけが後方へ仰け反った。
草の上に着地しため息を吐く。同時に背後に浮かんでいた複数の銃弾が落下し、金属音を鳴らした。
どうやら賭けには勝ったらしい。これで襲撃者の正体を知ることが出来る。
リナックスが服の袖で額の汗をぬぐうと、眼下の二人は悔しそうにこちらを睨み上げた。
襲撃者たちは手足をきつく縛らせ草の上に転がされた。
いつもは軽口を叩くヨルムも、事態の大きさを感じてのことか、油断のない表情で彼らを見下ろし仲間に指示を飛ばしている。先ほどまでは影も形もなかったはずなのに、発砲音を聞きつけたヨルムの迅速な対処によって、この場には飛翔機の周囲で待機していた護衛兵の半数近くが集まっていた。もちろんルドぺギアの護衛兵もその中には入っている。
彼らに囲まれ何やら説明しているリナリアを眺めていると、指示を出し終わったヨルムが近づいてきた。
「重量者になってて助かったな。スオウ盟主の読み通り、おかげで相手の襲撃を破綻させることが出来た」
「かなり危なかったけどね。まだ‶存在固定〟の力には慣れていないんだ。敵が予想以上に動揺してくれなければ、死んでたのは僕のほうだったよ」
ヨルムはざっと周りを見渡し、
「この庭園の周囲は付近の警備兵たちに包囲させた。もし襲撃者の仲間がまだいても逃げるのは不可能だ」
「……襲撃者については何かつかめたのか? どこの共同体だとか、組織の者だとか」
和平協定の行方も気になることはなるが、それよりもリナックスにとって重要なことは相手の正体だ。もし彼れらが兄を殺した連中と同じ一味なら、一気に事件の真相に近づけるかもしれないのだから。
「当然ぱっとみわかるようなものは持ってねえな。相手もプロだ。そうやすやすと尻尾は掴まさせねえさ。まああとは砂の連中の頑張り次第ってとこだろ」
「そうか。……何かわかったらすぐに連絡してくれ」
共同体の暗部である砂に任せれば、もし兄サキエル襲撃の黒幕がアザレア内部に居た場合、それこそもみ消される可能性が高い。できれば今この場で何らかの手がかりを得たかったのだが……。
自決しないように口に詰め物をされ、悔しそうに下を向いている二人の襲撃者を眺めると、リナックスは歯痒い気持ちになった。記憶を覗ける魔法道具でもこの場にあればよかったのにと思うが、残念ながら精神に干渉する魔法の開発は酷く遅れている。最新鋭の技術を使っても、精々おぼろげな映像を浮かばせるのが関の山だ。
自身の護衛と会話を終えたリナリアが、重い足取りでリナックスの前にやってきた。リナックスは複雑な思いで彼女に向き直った。
「大丈夫ですか。リナリアさん」
「ええ。幸い怪我はありませんでしたから」
「……イキシア盟主はなんと?」
「結論までは口に出していませんが、この事態に対してかなり苦い思いのようです。私を箱庭へ護送するために、自身の近衛兵まで迎えに出すと言っています……リナックスさん。この件、もしかしたら相当あとを引くことになるかもしれません」
和平協定を持ち掛けられ呼ばれた会場で娘が暗殺されかけたのだ。イキシア盟主がアザレアに不信感を持つのも当然だろう。もしアザレアに疑いを持たなかったとしても、立て続けに盟主候補者が暗殺されかけたアザレアと手を結ぶのは、難しいと考えるかもしれない。正式に同盟を組めばその矛先が自身の共同体や家族に向くのだから。
祝福ムードから一変して殺伐な状況となってしまった。
あたふたして走り回っている護衛兵たちを眺め、リナックスはただ小さな苦笑いを浮かべることしかできなかった。




