第一章 アザレアの継承権 1
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発砲音が響き渡り鳥たちが一斉に羽ばたいた。
弾丸が足元の土にめり込むのを見た小型の球獣は、身の危機を感じたのか慌てて森にとってかえす。長い耳を大きく振り乱し、蛙のような前足で必死に地面を蹴った。そしてそれを追うように二台の小型地走機が草原を疾走する。
「右に回れリナックス。俺がそっちに追い込む」
「わかった。へまをするなよヨルㇺ」
ヨルㇺと呼ばれた若者はにこりと微笑むと、ハンドルを左に強く切りリナックスの地走機から距離をとった。風に金色の髪がなびきヨルㇺの大きな額があらわになる。リナックスは腰の後ろに置いていた猟銃を取り出し、ハンドルの横に構えた。
あの球獣が森に入ってしまえば地走機では追いきれない。草原を疾走している間に何としても足を停めさせる必要があった。
幸いこちら側の地面は比較的なだらかな傾斜が多い。隠れられさえしなければ確実に球獣に追いつけるはずだ。
ヨルㇺはわざとらしく前方左側に発砲を続け球獣への嫌がらせを続ける。そのかいあって、森の直前で右へ大きく球獣の進路がそれた。
――今だ!
銃身をセンターボディに押し付けたまま、ハンドルを回す微細な動きによって銃口の向きを変えるリナックス。こうすることで少しでも手ぶれを抑制するのが目的だった。
殺気を感じたのか球獣が勢いよくこちらを振り返る。そのつぶらな瞳が吸い込むようにこちらを捕らえ、そして吹き飛んだ。
「ひゅーやったぜぇ!」
近場の木にぶつかる様に小型地走機を停め、ヨルㇺが喜びの声を上げる。リナックスは彼の横に並ぶと、ほっとしたように銃口をハンドルの横から下ろした。
「今日はいつもより上手くいったな。これで五匹目だ。どうだ。すっきりしたろ」
「ああ。まあね」
倒れている球獣の死骸を見て、リナックスは小さな吐息を吐き出した。
「何だよ。浮かない顔だな。この程度の得物じゃ満足できないってか」
屋根のない小型地走機の車体から腕を伸ばし、軽くリナックスのかたを小突くヨルㇺ。リナックスは苦笑いを浮かべ、猟銃を腰と座席の間へと戻した。微かに背中に銃口の熱さが伝わる。
これはいつもやっている遊びだ。
街に近づけば害にしかならない球獣を駆除する作業。共同体アザレアでは遥か昔から貴族たちの間で親しまれてきた行為。
リナックス自身も少し前まではこれが一番の趣味と言っても過言ではなく、日々猟銃を持って球獣を追い掛け回すことが日課だった。――だが数週間前に起きた事件のせいで、今はどうしてもこの作業を楽しむ気分にはなれなかった。
「ヨルㇺ。そろそろ帰ろう。もうすぐ昼時だ。僕もお腹が空いてきた」
「ええ、もう帰るのかよ。まだまだこれからじゃん。次はこれ使おうぜ」
地走機のトランクから大型の突撃銃を取り出し、自慢げにこちらに見せるヨルㇺ。あれは確か、アザレア軍の正式魔法銃雷撃型だ。高電圧の電流をまき散らしながら進む弾丸を放てるとかなんとか。
「また軍の倉庫から盗んできたの? 管理担当が迷惑するだろ」
「大丈夫だって。お前の狩りに使うって言えば、誰だろうが文句はいえねえさ。なあ、五大共同体が筆頭アザレア盟主の次男――リナックス・ウィルヴァリア」
「だからこそ軍の人たちに迷惑はかけれないだろ。僕の行動次第で父の評価にも繋がるんだ。こんなことで余計な悪評を生みたくない」
ヨルㇺの手から強引に魔法銃を奪い取り、リナックスはそれを猟銃の横へとしまった。金属質な部品が腰に当たり少しだけ圧迫感を抱く。
「ちぇ、真面目だな。そんなんじゃいつか痛い目みるぜ」
「何で真面目で痛い目を見るんだよ。メリットしかないと思うんだけど」
リナックスがそう答えたところで、地走機のパネルにウインドウが浮かび上がった。通信連絡の文字が表示されている。
「管理委員会からだ。めずらしいね。どうしたんだろう」
自分への連絡の多くは身の回りの世話をする護衛官が取り次ぐことが多いため、こうして共同体の幹部たちから直接連絡がくるなどめったにあることではない。不思議に思いつつも、リナックスはパネルに手を置き、通信モードを起動させた。
「リナックス様。お休みのところ申し訳ございません。どうしてもお伝えしなければならないことがございまして」
そういって丁寧な口調で話し始めたのは、長年父を支えてきたアザレア幹部の一人だ。長いひげを指で弄びながら神妙な顔でこちらを見つめる。どうやら委員会の議会室から直接連絡してきているようだった。
「何? 話してよ」
リナックスは画面を見つめ、男の神妙な顔を見返した。ひげ面の幹部は僅かに躊躇いを見せた後、恐る恐るといった調子で口を開く。
「お兄様が、サキウス様がお亡くなりになりました」
「はぁ……?」
思わず息を呑む。聞き間違いではないのかと思った。
「嘘だ。兄さんが死ぬもんか。あの人は軍の将軍にだって引けを取らない実力者なんだぞ」
「私も詳しいことは存じないのです。ただお父様がその死を断定なさったそうで。現在、幹部や主要関係者全員に召集をかけております。リナックス様もできるだけ早くお戻り下さい」
他にも連絡を入れなければならない相手が何人かいるのだろう。幹部の焦った顔を見て、リナックスは大きなため息を吐いた。
「……わかった。すぐに戻る」
「はい、ありがとうございます。大広間でお待ちしております」
そこで通信はぶっつりと切れた。画面に真っ暗な闇だけが広がる。
「おい、リナックス。今の話――……」
「とにかく中央に戻ろう。まだ何もわからないんだ」
アザレアの情報網に誤報が入る可能性が低いことはわかっている。だが万が一でもそれが間違いだった可能性もある。兄の無事を願い、リナックスはすぐに地走機のギアを入れた。
ゴロゴロと雷の音が鳴り響く。どうやら急に天候が湧くなってきたようだった。
アザレアは魔工技術に優れた街だ。
機械技術ではフリージアに劣り、魔法技術ではルドぺギアに敵わないものの、魔法と機械の技術を組み合わせた独自の科学体系を発展させ、魔工という新たなジャンルを生み出し、発展させた共同体だった。
優れた知識や技術が必要な魔法を機械工学と一体化させることで、引き金さえ引けば誰でも簡単に魔法を使用できる道具を完成させた。今こも世界に流通している魔法道具の大部分はこのアザレアで生産されたものであり、その技術力と力がアザレアを五大共同体の中でももっとも力のある存在へと押し上げていた。
市街地へ戻り送迎用の地走機に乗り込んだリナックスは、護衛のヨルムに運転を任せ、自身はひたすら窓の外に目を向けていた。
幾重もの水滴がしたたり落ちていくガラス越しに、通り過ぎるビル群をぼうっと眺める。兄が死んだことで警戒態勢が引かれているのか、いつもよりも町の中に警備兵の姿がよく見られる気がした。
「リナックス。大丈夫か」
ずっと黙り込んでいたリナックスのことが心配になったのか、バックミラー越しにヨルムの視線が向けられる。リナックスはセミロングの癖毛をくしゃくしゃに掻き、窓の縁から肘を下ろした。
「大丈夫だって。前を向いていなよ。盟主の息子を事故死させた護衛として有名にはなりたくないだろ」
「俺が運転をミスるわけがねえだろ。こちとらお前がまだ寝しょんべんしてたころから働いてたんだぜ」
「寝しょんべんは言い過ぎじゃないか。八歳しか違わないのに。アザレアで地走機の運転免許を取れるのは十五歳からだろ」
「それでも十一年は運転してることになる。十分なキャリアじゃん」
別に大した経歴でもないはずなのに、何故か満足げにヨルムは鼻を鳴らした。こうして会話していると、とても彼が年上だとは思えない。ヨルムの呑気な会話にリナックスは僅かに緊張感が解けるのを感じた。
前を向いていると、道路をまっすぐ進んだ先にひと際大きな台形の建物が見えてきた。このアザレアの都心部にある共同体の頭脳。共同体を指揮する盟主と、それを補佐する幹部たちが籠り、日々労務に追われている場。通称箱庭と呼ばれている場所である。
「中に入ったら口調に気を付けてよヨルム。馴れ馴れしく話しているのを見られれば、僕の護衛を解かれる可能性がある」
「わかってるよ。アザレアは血統主義の共同体だ。王であるウィルヴァリア 家に逆らうつもりなんてない。流石にそこらへんはわきまえてるさ」
本当に理解しているのだろうか。ヨルムはぺろりと舌を出し、こちらに茶目っ気たっぷりな笑みを見せた。
周囲を走る地走機の数が減り、装飾の施された威圧感のある道路へと出る。
雨のせいで見えずらいが、アザレアの象徴である金色のシンボルが描かれた門が近づき、二人の門番がその前に立ちふさがった。
恐らく地走機の外見ですでにわかっていただろうが、ヨルムが顔を出し形式的な処理を終わらせる。二人の門番は車内にるリナックスに深々と敬礼し、そして門を開けた。
様々な色合いの花を混ぜて作られた庭園の間を通り抜け、箱庭内の盟主専用出入口へと移動する。列をなし移動している警備用の機動兵器とすれ違い、過剰なほど威圧的な装飾を施された駐車場の門を潜り抜けた。
「さあ、着いたぞ」
遠慮がちに振り返るヨルム。リナックスは覚悟を決めて地走機の扉を開けた。




