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ALUDCYCLE―アルド・サイクル―  作者: 砂上 巳水
【SIDE X】旅立ち
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第六章 来訪者 5


 土竜商会の中でもロルフは特別だ。商長の息子というだけでなく、彼には人を引き付ける力があった。

 優しく思いやりのある男というわけではなく、むしろ粗暴で気象の激しい男なのだが、多くの者がその背中に憧れ、彼のためなら死をもいとわないと思っていた。

 彼は仲間を見捨てなかった。何人相手だろうと、どんな奴が相手だろうと、どんな時だろうと、一度でも仲間をコケにし、気づつけたものは徹底的に報復を行い倍以上の反撃をした。

 本人は組織のメンツの問題などとほざいてはいるが、それが純粋な仲間意識からくる行動であるということを、誰もが知っていた。メンツのためだけに、球獣の群れに突っ込んで死にかけながらも瀕死の仲間を救うなんて真似、できるわけがないからだ。

 陽光に照らされて古傷がよく映える。

 マッキーニはまくっていたシャツの袖を下ろし、そっとその傷を隠した。もう三年になるだろうか。血だらけになりながら自分を背負って走るロルフの背中が視界の上に重なった。あの日から、自分はロルフについていくことを決めたのだ。土竜商会のためでも、親のためでも、ましてや地位のためでもなく、ただロルフからの信頼を得たいがためだけに、彼の横に並んで戦いたいがためだけに、マッキーニはこれまで生きてきた。そしてその気持ちは、ここに居る者たちなら誰もが理解できる感情だった。

 口から強くタバコの煙を吐き出し、感傷的になっている自分をあざ笑う。

 どうやら予想以上に、アラウンに目をつけられたという事実がこたえているらしい。ロルフがいないだけでここまで不安になるなんてと、マッキーニは自らを大いに恥じた。

 ――だめだな。気分転換に外に出てきたはいいが、こうして一人になるとどうしても感傷的になっちまう。

 このプラントに残った者の中で、もっとも長く土竜商会に在籍し、ロルフの信用を得ているのは自分だという自負はある。だからこうして取りまとめ役を請け負い、プラントの管理に尽力しているのだけれど、やはりどうにも不安はぬぐい切れない。

 こんな役目さっさと終わらせて、オラゼルの繁華街にでも飲みに行きたいというのが、正直な気持ちだった。

 金属が軋む音が背後で響く。プラントの外遊通路に陣取っていた見張りの仲間が手すりを大きくたわませたようだった。

「――……マッキーニ、なんか来たぜ」

 その声に不穏な気配を感じ、マッキーニは高めの縁石えんせきから腰を上げた。背後のモヒカン男と同じ場所へ顔を向け、近づいてくる何かに目を向ける。

「あれは、地走機か? 何でこんな場所に……」

「どうする? 警戒態勢を引くか」

 モヒカン男はこちらを見下ろしながら、腰に付けた短機関銃の銃身に手を当てた。

「いや、ここは表向きには鉱物採掘・調査用のプラントなんだ。怪しまれたらまずい。情報だけ伝えて作業を続けさせろ。いつも通り、武器は見張り役以外隠させてな」

「あいよ、りょーかい」

 モヒカン男が懐から無線機を取り出し、ぼそぼそとそれに囁く。その間にも地走機はぐいぐいと距離をつめていた。

 上からみるとローマ字の‶H〟のように左右のフレームが伸びた車体。それは五大共同体の一つ、ジキタリスでよく見られる地走機の特徴だった。

 狭い岩場の間を抜けプラントの目の前まで来た地走機は、気持ち程度に用意された駐車場の上でゆっくりと停車した。

 マッキーニは緊張感を高めつつも、やる気のない作業員を装い、だらりとした目でその地走機を見つめる。

 一番近場で待機していた警備の商会員が近づくと、上下に割れるように地走機のドアが開き、中から一人の男が姿を見せた。黒い野球帽子に全身を包むような黒いコート。どうやら搭乗員は彼だけのようだった。

 岩場だらけで何もない場所だから、少し離れた場所の会話でもよく響く。警備の商会員は最初こそ面食らっていたようだったが、すぐに男に詰問を始めた。

「なんだお前? ここに何かようか?」

 黒ずくめの男は目だけを動かしてプラントの外観を確認すると、機械のように淡々とした態度で答えた。

「ああ。フリージア、サンファウロ商会の使いできた。建造中の採掘プラントの視察だ」

 サンファウロ商会? 俺たちにこのプラントの建造を命じた連中じゃないか。嘘だろ――。

 事前に聞いていた期日より一日早い。何故こんなにも早く‶アラウン〟の使いが来たというのだろうか。もしやロルフの身に何かがあったのではと、マッキーニは嫌な予感がした。

 警備の商会員の反応が悪かったからだろうか。黒ずくめの男はすっとズボンのポケットからカードを取り出し、それを押し付けるように目の前に掲げる。

「見ろ。サンファウロ商会の会員証だ。お前たちに商談を持ち掛けた上司の手紙もある」

 困ったように一瞬こちらを振り返る警備の商会員。どうするべきか判断に困っているらしい。

 流石に実際にフリージアの人間とやり取りをしたロルフや自分でなければ、審議を確かようがない。仕方がなくマッキーニは階段を降り、黒ずくめの男へ近づいた。

 サンファウロ商会の会員証は内部に磁場発生器が組み込まれており、特殊な機械を通すことでその時発生する磁場の波形を読み取り、商会施設の通過など認証機能を発揮する。

 しかしそれはあくまでサンファウロ商会内部だけでの話であり、ただ契約を結んだ関係でしかない土竜商会には、彼の会員証のIDを確認する手段など存在しない。外見だけ似た偽物であれば、ある程度の知識と道具さえあれば誰でも作り出すことは可能だ。

 マッキーニにも男の提示している会員証が本物であるかはわからなかったが、サンファウロを名乗る人間がここに来ているという時点で、疑う余地はなかった。本部の連中もマッキーニたちが依頼を受けていることは認知していても、その場所までは聞いていない。ここに土竜商会の人間がいると知っている時点で、本物であることは明白だった。むろん、サンファウロ商会に対する産業スパイやヌルの眼の製造をかぎつけたゲリラ組織の末端という可能性もなくはないのだが、先ほど男が言った「手紙もある」という台詞が決定打だった。今のご時世、五大共同体内に席を置く商会のやりとりは電子情報が基本だ。僻地へきちの田舎ならともかく、わざわざ紙面でそれを用意する必要などない。これは契約時に決めた、本人確認のための取り決めだった。

 男の手から無言で手紙をひったくり、中身を確認したマッキーニは、それがサンファウロ商会のものであると確信した。打ち合わせ通りの文面が印字されている。

「ついてこい。こっちだ」

 手紙を懐に仕舞い、帽子の影に隠れた男の目を見返すと、マッキーニは慎重な面持ちで背後を振り返った。行き先を示すように顎を横へ動かす。

 黒ずくめの男は野球帽のつばを指でくいっと引き、その角度を下げると、手前の商会員など目に入らないように、堂々とした足取りで進みだした。



 歯車の回転する音が狭い昇降路に反響する。

 終点につき昇降機が動きを止めると、マッキーニは一番にそこから降りた。

 ――大丈夫だ。上手くやれる。ただ作業が遅れていると、そう素直に伝えればいいだけなんだ……。

 洞窟の中へと降りてくる男を見ると、心臓がざわざわと騒ぎ出す。気持ちを悟られないように隠すのが大変だった。

 黒ずくめの男はまるであら探しをするかのように周囲の光景に視線を走らせ、地下の様子を確認している。来訪者の異様な雰囲気を感じ取ったのか、作業を続けていた商会員たちの様子にも緊張が走っていた。

 黒ずくめの男の気を逸らそうと、マッキーニは努めて明るい声を出した。

「いやあ、悪いな。ちょっと作業が遅れていてね。予定よりもだいぶ時間がかかっているんだ。早く視察に来てもらって申し訳ねえんだけど、この分じゃもっと時間がかかるかもしれない」

「土竜商会にお願いしたのは土壌検査と鉱物採掘プラントの建造だけだ。一体何に手間取っている?」

 不機嫌ぶるでもなく事実だけを確認するように、黒ずくめの男が唸った。

 この問いに対する答えは事前に考えてある。なるべく自然に見えるように注意しながら、マッキーニは言葉を絞り出した。

「実はな。二日ほど前に持ち込んでいた駆動兵器が暴走しちまったんだよ。採掘の補助にでもと思って中古で買ったやつなんだが、こいつがどうも不良品でね。何とか停止させることには成功したんだけど、あちこち暴れまわられたせいで資材の多くが壊されちまった」

 タイミングよく、駆動兵器の残骸が転がっている広場の前へと出る。黒ずくめの男は破壊された駆動兵器の状態を見て、考え込むそぶりを見せた。その視線の先が、綺麗に切断された脚部へと集中している。

 マッキーニは特殊な魔法道具を使ったのだと説明しかけたが、思いとどまり口を閉じた。あまり言い訳が過ぎるのもかえって怪しい。聞かれない限りは答えない方が無難かもしれないと思ったのだ。

 そのまま男が無言を貫き通したために、前へと歩を進める。マッキーニが歩き出すと黒ずくめの男も静かに後に続いた。

 狭い通路を抜け鍾乳洞へと出る。例の土壌検査用機器としてサンファウロ商会から提供された‶ヌルの眼の発生装置〟が置いてある場所だ。

 ――ここが正念場だ。

 ごくりと唾を呑み込み、手の汗をズボンの横で拭く。

 鍾乳洞の中には二日前にロルフとルイナの連れの男が争った跡がありありと残っている。何とか損傷をごまかし、隠すことも可能だったのだけれど、争いの気配にもし気が付かれれば、不信を招くことに繋がる。駆動兵器の暴走という言い訳を利用し、マッキーニはあえて鍾乳洞の整備は行っていなかった。

「入り口付近はあらかた片づけたんだがな。ここはまだ手付かずのままなんだ。あのぽんこつ駆動兵器、かなりめちゃくちゃに暴れやがって、まったく散々だよ。こちとらいい損失だ」

 同情心を誘うように人懐こい笑みを浮かべる。しかし黒ずくめの男は一向にマッキーニの顔を見返すことはなく、ただじっとあのヌルの眼発生器の状態を眺めていた。

「……これではもう使えない、か」

「え? 何だって?」

 マッキーニが聞き返すと、黒ずくめの男は小さなため息を吐いた。視線はこちらを向いていたが、その焦点はマッキーニではなく、全く別のどこかへと向けられていた。

「お前たちは失敗した。失敗した以上、もう残しておく必要はない」

「何を言ってんだお前?」

「もし、お前たちが事実に気が付き、何かを隠蔽しようとしているのだとしても、純粋に事故が起き工期が伸びたのだとしても、あの機械が作動しなくなった以上、俺の裁定はひとつだけだ」

「おいおい、言ってる意味がわからねえって」

「――……隠すならもう少し上手くやれ。駆動兵器の切り傷とこの場の破壊跡は損傷の仕方が違い過ぎる」

 そう言ってズボンのポケットに手を差し入れる男。

 ――銃か――?

 とっさに、マッキーニは上着の下で構えていた短機関銃のトリガーを引いた。

 複数の銃声が響き男の黒いコートに命中する。こちらの一部始終を見守っていた作業員たちも、一斉に武器を抜き取り前に構えた。

 倒れる男の姿を見つめながら、マッキーニは「やっちまった」と自分を罵ったが、仲間のことを思い、すぐに気持ちを切り替え後方に叫ぶ。

「おいお前ら。急いで上の見張りに連絡して、どこかに敵の部隊が隠れていないか索敵させろ。それと隠していた地走機の用意だ。すぐにずらかるぞ」

 どこかに待機しているかもしれないアラウンの部隊が襲撃してくる前に、一秒でも早く逃げる必要がある。

 ロルフやルイナが去ってから二日。予定ほど時間は稼げなかったが、無駄ではなかったはずだ。

 マッキーニは慌てて動き回る部下たちにげきを飛ばしつつ、すぐに自分も準備に取り掛かろうとした。

 銃を仕舞おうと上着をめくり、そこから腕を伸ばし、顔を上げる。

 黒ずくめの男がぬらりと立ち上がったのは――それと、ほぼ同時だった。



 金色になびく津波平原が眼下に広がっている。もう間もなくグレム岩石地帯へ到着するだろう。

 操縦桿を前に倒し、ロルフはナビゲートシステムのスイッチを入れた。画面に着地ルートが浮かび上がり、ゆっくりとその硬度が下がっていく。左右の翼に取り付けられたエンジンの勢いも、耳でわかるくらいに弱くなった。

 依頼者の手の者が来る日より一日早く戻れた。本部との交渉は上手くはいかなかったが、これで少なくともプラントに残った連中を助けることはできる。

 飛翔機は岩場の上すれすれを維持し、慎重にプラントの位置へと近づいた。乗り慣れていないために自然と腕に力が籠る。

 ――まったく、俺は飛ぶのは苦手なんだよ。

 表示されたガイドルートから機体を逸らさないように歯を喰いしばり、ロルフはいつものニヒルな笑みはどこへやら、額に大きな汗を垂れ流している。

 球獣がはびこるこの世界において、飛翔機はもっとも安全な移動手段だ。空を飛ぶ球獣がいないわけでもないのだが、速度の面において分があるため、実際に被害に遭う機会は地上よりも大幅に少なく、その移動時間も短かった。そのため多くの企業や組織が飛翔機を重宝し、運用しており、土竜商会本部もこうした移動用の飛翔機をいくつか所持していた。

 魚の頭のような操縦席の真下の装甲がスライドし、着地用の車輪が展開する。もう間もなくプラントが見えてくるはずだ。

「……何だ?」

 見慣れた景色の中に突然灰色の靄のようなものが現れた。地上から噴き出すように天に向かって伸びている。

 竜巻か? いや――。

 それは煙だった。夥しい量の煙がプラントのあるべき場所から立ち上っている。

 一瞬にして、ロルフは事態を察した。操縦桿を握りしめる力がさらに強くなり、唇の端がきゅっと結ばれる。

 目指していたプラントは、山火事の真っただ中にでもいるように盛大に火花を散らし、燃えていた。

 ロルフはナビゲートシステムのルートから機体を逸らし、少し手前の岩場に飛翔機を着地させた。土煙が視界を覆い隠すも、上昇気流によって引き寄せられた風のおかげですぐに視界が晴れる。

 ロルフは飛翔機の中から飛び出し岩場の上をプラントぎりぎりの崖まで移動した。シャツの袖で口元を抑えながら、食い入るようにその惨状を注視する。

 商会の地走機は全て駐車場に残っていた。こんな大火事にも関わらず誰も外部に逃げないなんて、ありえない事態だ。その不自然極まりない光景にロルフの心はさらにざわめきを増す。

 ひびが入り、割れた窓の奥に仲間の姿が見えた。燃え盛る炎の合間で寝っ転がり、その周囲には水たまりのように真っ赤な血が広がっている。明らかに他者によって害された姿だ。

 ロルフは感情のままに崖から滑り降り、衝撃波を乗せた鎖で目の前の壁と炎を吹き飛ばした。そのまま力を使い続け、炎を蹴散らしながら建物の中を進んでいく。

「おい、誰か居ねえのか。返事しろ!」

 走っても走っても、視界に入るのは燃え盛る炎と何かで引き裂かれたかのような無数の遺体だけだ。球獣の仕業に魅せようとしているのか、どの亡骸も随分と欠損が激しかった。

 ――この宿舎に生存者はいない。地下は? 地下はどうだ――?

 あそこなら燃え移るものも少ない。ロルフは来た道を取って返し、倉庫に向かって走ったが、凄惨な光景は、地下でも変わることがなかった。

 そこかしこに引き裂かれた死体が散乱し、死臭と煙が満ちている。火の手が少ない分、よりその不快さが顕著に現れていた。

 吐き気を抑え、何かに突き動かされるようにひたすら歩き続ける。生きている人間などいはしないと分かっているはずなのに、その歩みはどうしても止めることが出来なかった。

「……マッキーニ」

 鍾乳洞の中央に、見慣れた顔の遺体を発見した。

 右手と左足が切断され、腹部には鋭い何かで貫かれたような大きな穴が開いている。その表情は恐怖に引きつった状態で固まっていた。

 ロルフは彼の遺体の前に立つと、そこで足を停めた。

 岩に染み込んでいた血が靴の重さで浮き上がり、じんわりと足元に伸びる。

 まだ一日あった。一日あったはずなのに――。

「アラウン……か」

 指が灰塗れになった土を抉り地面に食い込み、言いようのない怒りが全身を支配する。

 気が付けば、ロルフは叫んでいた。悲鳴のように、苦痛を吐き出すように。燃え盛る炎の中でただひたすらに。

 それは一言では表現できない、悲しみに満ちた声だった。






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