第六章 来訪者 4
来た時とは逆側の草原。グレム岩石地帯の端で、クロドは縮小器を鞄から取り出した。
目的の番号にロータリスイッチをセットし、その下段にある決定スイッチを回して押し上げる。すると白く鈍い光が漏れ出し、縮小器の輪郭を包み込んだ。
クロドが前に掲げると光はさらに強さを増し、目の前にうっすらと金属フレームの輪郭を射出していく。土が窪み、赤い装甲が目に付く。ものの数秒で見慣れた赤足の車体がそこに置かれていた。
この赤い機体を目にすると猛っていた心が落ち着く。まるで長い間顔を見ていない家族に再開できたような気分だった。
ぽんぽんと座席を叩くクロドの背に、少しだけ不満そうなルイナの声が寄りかかった。
「もう少し休んでも良かったのに」
振り返ると、腰に手を当てている彼女の姿が見える。無意識の動作なのだろうが、とても絵になる光景だった。
クロドは彼女の瞳を静かに見返した。
「万が一アラウンの人間に見られたら予定がパーになるだろ。少し離れた休憩地で休もう。俺も昨日の夜から動き続けて眠いし」
「彼らのこと疑ってるの?」
「まあな。どう考えたって俺たちに協力するよりもアラウンに媚びたほうが未来があるだろ。例えそれが微かな希望だとしても」
つい先ほどまで殺し合っていた相手なのだ。いくら誤解が解けたと言えども、彼らの前で堂々と眠れるほど無防備にはなれない。死者こそ出なかったにしろ、クロドたちの手によって怪我を負った者たちも多くいる。少しでも危険があるのなら、なるべくそのリスクを回避するべきというのが親方の教えだった。
岩場の間を通り抜けた風によって目の前の雑草が地面すれすれまで倒れ、そして起き上がる。今日も津波平原はいつもと変わらず、その名前のままの姿を存分に見せびらかしていた。
「ロルフは裏切らないよ。たぶんだけど」
「何でそう思う?」
いやに確信をもってそうなルイナの口調に、クロドは疑念を感じた。
「彼らはヌルの眼の発生とともに皆殺しになる予定だったんだよ? つまりアラウンにとってその程度の価値しかない存在と断定されたの。もし私たちを売り飛ばしたとしても、今度は彼ら自身の身が危険になるだけだもの。裏切るとしてもよほど信頼を勝ち取ってからじゃないと意味はないでしょ」
「ロルフが重量者だと知れば変わるんじゃないか? 俺が言うのもなんだけど、重量者っていうのは貴重な存在だ。天下のアラウンだろうと確保できる人材は限られている。もし本気であいつを欲しいと思えば――」
「そのために二十人以上も事実を知っている相手を作って? ありえないよ。最初こそ口を塞げていても、人の口っていうのは絶対にいつかは開くものだからね。時が経てば経つほど情報漏えいのリスクは多くなる。幹部のお父さんですら知らなった事実なんだもの。もしロルフを取り込むとしても、彼らの部下が皆殺しなのは変わらない。……そうなれば、ロルフはきっとそれを許さないと思う。まあちょっとしか話していないから、実際そうなった場合にロルフがどうするのかは何とも言えないところだけど」
彼女はあくびを手で隠し、
「だったらまだ私たちに協力したほうがメリットはあると思わない? 彼らだけでアラウンに抵抗してもそれはただのチンピラ集団の暴走に過ぎないけど、アラウン幹部ジルア・レヴィナスの娘である私を取り込んだとなれば、話は大きく変わる。ジルア――お父さんの勢力を味方につけれるかもしれないし、いざアラウンの悪事を公に出来たときに、私をその集団の象徴的な存在として利用することもできる。裏組織である土竜商会の言葉なんて、普通は誰も信じないからね。よほどのことが無い限り、彼らは私たちを裏切らない。いや、裏切れないよ」
裏切れないか。確かに彼女の言う通りかもしれない。
そもそもたとえルイナを騙して取引が成立したとしても、アラウンほど巨大な組織ならば、その後いくらでもロルフたちを裏切る方法はある。事実を知っている者そのものが彼らにとってはもっとも排除すべき存在。だからこそルイナは追われ続けているのだから。
少し考えれば、彼らに選択肢がないことは明白だった。
「まあロルフはそれなりの資金も人材も持っているし、お互い利用できる部分は利用し合って仲良くやっていくのが一番いいかもね。せめてアラウンを倒すまでの間は」
「ロルフたちにとってお前は生き残るための手綱ってわけか。なるほどな。どうりであそこまで被害を与えたのに、何もしてこないわけだ」
組織の面目を潰したに等しい行いをしたはずなのに、嫌に彼らが大人しかったのは、きっと裏でロルフが手を回していたのだろう。あの短い時間でそこまで考えて動けたのは、素直に称賛に値する。
「じゃあ少なくともフリージアで待ち伏せされる線は低そうだな。完全に信用するつもりはまだないけど」
「ヌルの眼の製造を知ったことがばれて、家族を人質にでも取られれば彼らが裏切る可能性はまだあるよ。でも、そういうことを考えてたらきりがないからね。どこかで線引きをしてあたりをつけないと、全然前に進めなくなっちゃうもの。……ところで、フリージアまでの道のりってどこを通るの?」
何か気になることでもあるのか、突然ルイナは話題の矛先を変えた。こつこつと、暇をもて遊ぶように右の靴先で乾いた砂地を叩く。
「地走機が行きかう街道は見張られてるだろうからな。行けそうなルートっていったら限られてる。ここからまっすぐに西へ行くと大きな川につく。そこから水辺沿いに北上して浮遊竹林と山岳地帯を抜けないとフリージアにはたどり着けない」
「山岳地帯か。結構面倒そうな道だね」
「浮遊竹林も山岳地帯も、道によっては重空機ですら走れない場所もいくつかある。球獣も徘徊しているだろうし、へたしたら辿り着く前に大けがを負うかもな。――ま、だからこそ抜け道として使えるんだけど。っていうか、お前ならそんなこと知ってるだろ?」
アラウン幹部の娘であれば、父親と一緒に様々な場所へ出かける機会が多々あったはずだ。クロドはルイナが自分をからかっているのかとも思ったが、彼女は真顔だった。
「私、普段の移動は全部大型の飛翔機に乗ってたから……街の名所や施設には詳しいけど、そういった壁外の知識はうといんだ。クロドは何で知ってるの?」
「別にずっとダリアから離れられないわけじゃないからな。遠くの村に修理品を輸送することだってあるし、暇つぶしに旅行にいくことだってある。津波平原の端から端までなら、ある程度は熟知してるよ。まあ今回通る予定の浮遊竹林は手前までしか行ってないけどさ」
球獣が生息する森の中の電波塔を治したりなど、普通の修理屋が護衛なしで行けないような場所にも繰り出すため、意外にもジャンクショップ赤足の出張は多いのだ。むろん、それはあくまで重空機で行ける範囲に限られたことではあるが。
「そっか。やっぱりクロドがいてくれてよかった。私ひとりじゃ、変な場所に入り込んで迷っちゃてたかもしれない。でも――本当にいいの? 今ならまだ元の生活に戻れるよ」
「こんな事実を知ったんだ。今さら引き換えせるか。それに、お前を一人でいかせるのは危なっかし過ぎる」
自分がいなければ、彼女は間違いなくあの駆動兵器に殺されていた。警告する意味を込めてそう馬鹿にしたのだが、ルイナは何故か嬉しそうにはにかんだ。
「……うん。だから本当にクロドには感謝しているよ?」
その柔らかな瞳に、妙に胸がざわざわとくすぐったくなる。何となく居心地が悪い。ここまで全面的に人に信用されるのは慣れていないのだ。
「ま、まあ流石に親方には連絡しておかないとまずいかもな。ああ見えて意外と情に厚いし、過保護だから。お前を探しに行ったまま消えたら、勝手にアラウンに乗り込んで暴れ回るかもしれない」
「道中まったく村がないわけじゃないんでしょ? きっと手紙くらいは出せると思うよ。内容だけ見ればわかるようにして、名前だけごまかせば私たちがその村にいるってばれないと思うし」
「そうだな。出来るだけ早いうちに手紙は出しておくよ。お互いのためにも」
ポケットからキーを取り出し、パネル部にある穴に差し込む。低い唸り声を上げるように、赤足の全身に生気が走った気がした。
「……行くか」
何となく彼女の顔を振り返り、確認するように聞く。ここから先はもう戻れない。本当にアラウンと敵対する旅路だ。
「うん。行こうクロド」
金色に輝く背後の草原が、彼女を歓迎するように一瞬大きく後ろへたわんだ。
嬉しそうに手を掴み、後部座席へと飛び乗るルイナ。迷いなどとうの昔に捨て去ってきた人間の顔だった。
彼女の手がしっかりと自分の腰に回されたことを確認すると、クロドは静かにアクセルを回した。




