第六章 来訪者 3
土竜商会は首都オラゼルの南部に勢力を張る組織の一つだった。
オラゼルは五つの共同体の有力者が意見を統一し世界を安全に管理しようという名目で生み出された方針決定機構――アラウンの本拠地がある場所であり、街の警備や防衛は五つの共同体の複合軍で守られている。
こう説明されれば素晴らしい治安を維持しているようにも思われるかもしれないが、実のところ様々な共同体の人間や種族、文化の異なる存在が集合しているおかげで争いの頻度は意外と高く、アラウンの兵士たちも最低限の治安を維持するだけで手いっぱいの有様だった。
そんな状況であるからして、警備兵たちが民間人たちの不満に対処できる機会は少なく、壁際の‶いなか町〟ともなれば、大きな事件ならばともかく小さな問題や争い事の対処は、もっぱら民間の勢力が担当した。傭兵派遣商会、球獣駆除商会、警備請負商会など、実に多くの商会が立ち上がり、中には多少あくどいことも平気で行う‶裏商会〟と呼ばれるものも存在した。
土竜商会もそうした街に根を張る裏商会の一つであり、オラゼル南部ではそれなりに名の知られた組織だった。
構成員千五百七十人。オラゼル南部を中心に各地に展開し、本部の他に第一から第六までの支部が存在する。そしてそのトップに君臨するのが、ロルフの父、ウルズラ・フェルゼンハントだった。
今回、本部の命令によってアラウンに嵌められた集団は、若頭であるロルフを筆頭にした第二支部の者たちであり、彼らの多くは本部から第一支部に席を置く老年者の子息たちだった。幼い頃より一緒に育った彼らの結束は強く、皆が次期代表であるロルフを信頼し、認めていた。血こそ繋がっていないにしろ、一種の家族のように強い絆がそこにはあった。
だから――第二支部営業長マッキーニには意外だったのだ。自分たちが信頼し、背を置きかけてきたはずのロルフがあっさりとあの二人を逃がしたことが。
元アラウン幹部の娘だと名乗るあの少女たちは、家族を何人も傷つけた。数週間はまともに動けない大怪我を負った者たちもいる。いくら誤解があったとはいえ、殺す気で挑まれていたことは事実なのだ。マッキーニはそんな彼らが悠々自適にここから立ち去ることが我慢できなかった。
激しく扉を開け放ち遠征長室の扉を開け放つと、何やら慌ただしく机の荷物を片付けているロルフと目が合った。
彼はマッキーニの顔を見上げると、こちらの行動を予想していたかのように苦笑いを浮かべた。
「らしくねぇぜ。あの二人をそのまま行かせるなんて」
開口一番憎々し気に檄を飛ばす。坊主頭に近い髪を稲妻型に剃り込んでいるもせいで、こうして表情を曇らせるとまるで皺と剃り込みが一つの雷のように見える。マッキーニにとってこの髪型はクールさの象徴であり、また相手を威嚇するための武器でもあった。しかし幼い頃より顔を見知っているロルフには、当然そんな見掛け倒しの脅しなど効きはしない。
「情報が伝わらなかったのか? あの女は元アラウン幹部ジルア・レヴィナスの娘だ。アラウンに目をつけられた今、俺たちが生き残るにはあの女の協力を仰ぐしかない」
「だからって、何もせず放置することはないだろうが。あいつら俺らの仲間に重傷を負わせやがったんだぜ。ここまでいいようにやられて誤解だったからで済むわけがねえだろ。せめて腕の一本くれえ置いてってくれねえと、土竜商会の名が落ちるってもんだ」
例えるならば、自分の彼女や家族と和気あいあいと談笑している場に、突然見知らぬ人間が飛び込み、家財をめちゃくちゃにし、恋人の腹部を刺して「人違いだった。悪い」と言われているようなものだ。そんなもの、まともな神経をしている人間ならば許せるはずがない。
立ち去る彼女たちの背中を撃つことだってできたが、それをしなかったのはこの場のボスであるロルフの顔を立てたからだ。ボスの命令を部下が全く聞かない組織だと思われることは、マッキーニのプライドが許せなかった。しかし収まらないという気持ちも当然残る。今この場にマッキーニが飛び込んできたのは、そういった抗議の気持ちが原因だった。
ロルフはせわしなく動かしていた手の動きを止め、
「てめえの気持ちもわかる。だが今はそんなことで時間を浪費してる場合じゃねえんだよ」
「そんなこと? 仲間が殺されかけたんだぞ?」
「そうだな。もし誰か死んでたら、流石に俺も奴らの皮を剥いでたさ。――だが幸運なことに、誰も死にはしなかった」
金属のバックルを指で弾き、ロルフは机の上に置いていたトランクのロックを閉めた。
「おいマッキーニ。お前、今回の騒動の根本的原因はどこにあると思う?」
「原因? そんなのあいつらに決まって……いや、アラウンのことを言ってるのか? 俺たちを使い捨てにしてヌルの眼を作らせようとしたから」
「黒幕はアラウンだ。それは間違いない。問題は何で俺たちが選ばれたか、だ」
嫌にもったいぶる言い方だ。こういう言葉回しは父親のウルズラそっくりで、マッキーニは思わずどきりとした。
「てめえも知っての通り、土竜商会は今、白土という名の土地商会と揉めている。そしてこれはまだ確証は得られていない情報なんだが、その商会の背後にはアラウンの息がかかっているという噂がある。本部のあるあの地区はまだアラウンよりも商会を信頼し優先する者たちが多い。強制的に支配し命令を聞かせることは可能だろうが、そんなことをすれば反感を買うだけだし、商会が信頼されているという土地柄の特性上、反アラウン組織の苗床にもなりやすかった。だからアラウンは地元に根付いた裏商会をこっそりと支援し、影響を与えるつもりだったんだろう」
「つまり、アラウンにとって元々土竜商会は邪魔だったって言いたいのか。だからフリージアの商会を通して俺たちを犠牲にし、同時に土竜商会の戦力低下を狙ったと」
「少し違うな。単純に組織を潰すだけならいつでもできる。やつらの目的は人材、影響度を含めた土竜商会の吸収だ。だがそのためには反抗的で武闘派の俺たちがじゃまだった。そもそも、白土商会との争いを始めたのは俺たちだからな」
「そんな馬鹿な……」
白土商会との争いの発端になった自分たちを遠ざけ、その間に商会間の協定を結ぶことが目的だった? それじゃあまるで本部の連中がこの事実を知っていたと意味しているようなものじゃないか。
土竜商会は仲間に対する情が熱く、非常に強固な繋がりを持つ組織。マッキーニはとてもロルフの言葉を信じることが出来なかった。
「むろん、ヌルの眼の製造なんて親父たちは知らなかっただろう。だが俺たちを遠ざける意思があったことは確実なはずだ。そもそもこのプラント建設は本部から回ってきた話なんだからな」
立ち上がり、懐から掌サイズの球体を取り出すロルフ。マッキーニはすぐにそれが縮小器であると気が付いた。トランクを縮小器の中へ仕舞うロルフを眺め、思いついたままに疑問をぶつける。
「その荷物、どこへ行くつもりだ?」
「本部だ。親父たちに警告しなければならない。時間がある今しか対応できる余裕はねえからな。……心配するな。例の依頼者の関係者が来る日までには戻ってくる。本部の飛翔機を使えば、帰りは一日で済む距離だ」
「もしその推測が本当なら、親父らはあんたの帰還を歓迎しないんじゃ……」
「アラウンに裏切られ殺されかけたんだぞ。俺一人ならともかく、幹部連中の息子はだいたいここに居る。その事実を伝えれば動かないはずがねえんだ。あの親父たちならな」
そもそもロルフやマッキーニたちが武闘派と呼ばれるようになったのは、そういった教育を施した父親たちの背を見て育ったからだ。根本的な気質は、父親たちから受け継いだと言っても過言ではない。マッキーニはロルフの意図を察し、黙り込んだ。
「戻るまでこのプラントはお前に任せたぞマッキーニ。心配するな。別にただ土を掘って何か作業しているように見せてればいいだけだ。いつも通りに施設が稼働しているように見えれば、問題はねえ」
「……わかった。でも――俺は元来人を導くのには向いてねえんだ。なるべく早く親父たちと話をつけて戻って来いよ」
「ああ。必ず依頼者の仲間が来るまでには戻る。このままアラウンのいいように扱われてたまるか。親父たちの力があれば、ルイナをジルア・レヴィナスの生き残り勢力に合せることだって可能だろう。そうすればまだ再起の道はある」
自信満々に歯を見せるロルフ。いつだってこの余裕溢れる姿に引っ張られてきたのだ。マッキーニは彼を信じ、全てを任せることにした。
「気を付けろよ」
「おう。お前もな」
深々と頭を下げるマッキーニに対し、ロルフは軽く手を振ることで答えた。




