第四章 侵入 1
「よし、これなら大丈夫そうだ」
小型地走機のフロントをばしばしと叩き、クロドは笑みを浮かべた。
かなり昔のものとは言え、ここにある地走機の大部分はヌルの眼ができたパニックによって放置された車体なのだ。戦争によって故障したわけでも、古くなって捨てられたものでもないため、整備さえすれば復活できるものがほとんどだった。
――普通誰も鉄の森を突っ切たりなんてしないからな。まれに街の外周部を回って部品採掘を行ってる連中もいるけど、ここはまだ少し鉄の森に面しているから気づかなかったんだろう。運が良かった。
腰につけたバックパックから工具を取り出し、いそいそと整備を始める。ダリアから遠ざかることが最優先であるため、細かい調整はせず、ただ走って旋回できるくらいの機能さえ戻せればいいと思った。どうせ外には草原しかないのだから。
時間にして約三十分ほどだろうか。地走機の修理を終えたクロドは、ジャケットの袖で額の汗を拭い、ルイナの元へと戻った。
地走機の残骸に寄りかかり、ぼうっとどこかを眺めていた彼女は、足音を聞いてクロドのほうを振り返った。
「いいのが見つかった。あれなら少しくらい遠くまでもいける。ちょっと埃臭いけど、そこはまあ、我慢しろよ」
悪戯っぽい表情でクロドがそう言うと、ルイナは微かに微笑みを浮かべた。
「平気、そういうの慣れてるから」
名家の出であるルイナが埃っぽい場所に慣れているとは皮肉な話だが、これまでの彼女の逃亡生活を考えれば致し方がない。
「これからどこに行くんだ? あてはあるのか?」
「うん。一応ね。ここからさらに南西にある、グレム岩石地帯にいくつもり」
「グレム? あの小さな峡谷か? 何でそこに」
「確認したいことがあるの。それを目にすることができれば、お父さんが正しかったって証明されるから」
何だか意味深な言い方だった。
「一体お前のお父さんは何をしたんだ? 何でアラウンを裏切った。立派な地位にいたんだろ」
ころころと空き缶が横を転がっていく。物静かなこの空間にその音は良く響いた。
「お父さんはアラウンが隠してるある秘密を知ったの。世界中に大きな影響を与えるような秘密を。それが許せなくて公にしようとしたから、殺された」
ルイナの目の奥に暗い悲しみが光る。
「その秘密とグレムに何か関係があるのか」
「お父さんの残してくれた端末にグレム岩石地帯のことが書いてあったの。そこでアラウンの実験が行われる予定だって。私はその実験を確認して、お父さんの話していたことが真実なのか知りたかった。本当にアラウンがあんな大それた計画を立てているなんてどうしても思えなかったから」
「幹部を殺すほどの計画か。気になるな」
「知らない方がいいよ。知ってもろくなことにならない。きっとクロドにも危険が及ぶもの」
どこか寂しそうにルイナは目つきを改めた。
「これだけ巻き込まれて、今さらな話だろ。命を助けてやったんだ。自分が何のせいで殺されかけたのぐらい、知る権利はあると思うけど?」
今回の騒動。アラウンはありえないほどの兵士を導入した。それもたった一人の女の子を殺すためだけに。彼らは恐らく首都オラゼルから派遣されてきた兵士たちなのだろう。言葉に南部なまりがないし、地方の兵士にしては装備が整い過ぎている。携帯式の機獣なんて、普通の兵士は持つことも許されないはずだ。たまたま遭遇しなかっただけで、魔法兵装を所持している部隊だっていたかもしれない。
明らかに異常。明らかに過剰。
そこまでして口を封じなければならない秘密が何なのか、クロドは強い興味を持った。ルイナが口に出した、‶実験〟という単語も妙に気になる。
こちらに引く気がないとわかったのだろう。ルイナは困ったように眉を落とし、そしてため息を吐いた。
「わかった。じゃあ話すよ」
どこか投げやり気に腕を組む。
「……理由はわからない。目的もわからない。けれど、お父さんの残した手記を信じるのなら、アラウンは今一人の男に支配されている。そしてその男が支配するようになってから、世界中でヌルの眼が過剰発生するようになったの」
「一人の男? 誰かがヌルの眼を作り出しているって言うのか? そんな馬鹿な」
ヌルの眼は自然災害だ。作ろうと思って作り出せるものではない。そんな簡単に制御できるものなら、人類がここまで球獣に苦しめられることなんて無かったはずだ。
「噓みたいな話だけど、実際、ここ数年でヌルの眼の数は急激な増加をしている。このままのペースで進めば、あと十数年で世界が崩壊するかもしれないほどに。彼らは適当な商会を名乗ってその地に駐屯し、そしてひっそりとヌルの眼を発生させるんだって。そうして関与を隠したまま実験を続けている」
……商会を名乗る?
血に塗れた両親の奥で漆黒に輝く球体が、一瞬脳裏に浮かび上がる。
ルイナの言葉は、クロドにある強い疑念を抱かせた。
――ちょっと待て。どういうことだ。それってまるで……――
蛇頭に食い殺された近所のおじさん。
銃弾で貫かれた親友。
そして目の前で死んでいった両親。
あの場所が、ヌルの眼を作り出すための実験場だった?
「クロド?」
不思議そうに小首を傾げるルイナ。だがクロドは彼女に構うことができなかった。
親方に救助された当初、クロドはひたすら例の製薬商会を憎み続ける毎日を送っていた。彼らのせいで親友が、父が、母が死に、村が無くなった。何度も復讐しようと考えた。何度も仇を討とうと思った。でも、いつしかこのダリアで毎日生き残ることに必死になり、親方の激もあって考えを改めた。そうこうしているうちに例の製薬商会が倒産し、そこの代表が別の事故の責任を問われて自殺した。
それで終わってしまったと思っていた。自分は復讐を達成することはできなかったけれど、彼らには報いが落ちたのだと。
だからあのときの気持ちは忘れようと思ったのに。これからは死んだみんなの分もしっかり生きようとそう思っていたのに。
……ふざけるなよ。
幼い自分には、何が起こっているのかよくわかってはいなかった。ただ球獣が大量発生し、逃げた先でヌルの眼の研究を行っていた商会の連中の虐殺を受けた。それだけの認識だった。けれど、ルイナの話が正しいとするのならば、あの事件は何も終わってはいない。
理由はよくわからないけれど、新しいヌルの眼が発生したとき、周囲の球獣たちはこぞって活性化し、その地点を目指すらしい。もしあの村でアラウンが製薬商会を名乗り、ヌルの眼の発生を実行したというのなら、ドリクも、ミゼさんも、父も母も、あの村で平穏に生活していた全ての人間を殺したのは、アラウンということになる。
「どうしたの? 顔色悪いよ」
心配そうにこちらを見上げるルイナ。クロドは彼女を手で制し、壊れた地走機の側面へ背をつけた。
「クロド……?」
クロドは顔の半分を手で覆いながら、ルイナの言葉を遮る様に聞いた。
「……グレム岩石地帯まではどれくらいの距離なんだ?」
「え? 確か前に調べた時はそんなに離れてはいなかったはずだけど。草原を抜けて、山を超えた先。地走機だと二日もかからないと思う」
「そうか。じゃあ赤足ならもっと早くつけるな」
「え、まさか一緒に行く気なの?」
「地走機だとタイヤの跡で行き先がばれる。アラウンを巻くには重空機が必要だ」
「正気なの? これ以上関われば、絶対にろくな目に遭わないよ。死ぬことになるかもしれない」
「わかってるさ。俺にも、事情が出来たんだよ」
自分が馬鹿げたことをやろうとしていることはわかっている。このままルイナを見送って親方の元に帰れば、裕福では無いせよ、ある程度はまともな生活を維持して食っていける。もう何年も前に終わった話なのだ。過ぎた事件なのだ。今さらぶり返したところで意味はない。わかっている。わっていたけれど、どうしても、クロドは胸に刺さったその引っ掛かりを無視することが出来なかった。村人皆が死んだあの事件の真相を知れる機会があるというのに、見ぬふりをして帰ることなどできるわけがない。
少し離れた場所で、何か銃声が轟き、球獣の断末魔が響いた。アラウンの追手が再び迫っているのかもしれなかった。
「とにかく行こう。事情は移動しながら話すよ」
混乱するルイナの手を強引に取り、クロドは先ほどまでとは打って変わって、真剣な表情を浮かべた。




