第二章 鉄の森 1
もう休むべきだと強引にルイナを二階へ上がらせ、親方は疲れた様子でリビングの椅子に腰を下ろした。
テーブルの前に立ったクロドを一瞥し、足を組みながらため息を吐く。
「少々外を見てきたんだが、どうやらダリアの町全体がアラウンに封鎖されちまったようだ。連中、手当たり次第に民家に押し入っては誰かを探しているらしい。俺の目の前で娘が連れていかれるのを拒否した父親が撃ち殺されたよ」
「……酷いな。一体誰を探しているんだ? 離反者がどうのこうのって、昨日煙場で聞いたけど」
「アラウンの常任理事の一人が、クーデターを企てて粛清されたのは知っているだろう?」
「ああ。先週くらいにニュースでやってたな」
「その娘がこの町に潜伏しているそうだ」
腕を曲げ、親方は頬杖をついた。
「娘一人を捕まえるために、ダリアを包囲してるっていうのか」
「まだ若い娘だろうと、彼女の父を持ち上げていた連中にとっては有益な象徴になりえるからな。未来の危険を減らすために今のうちに排除しておきたいんだろうさ」
なるほど政治的な事情ってやつか。俺には一生縁のない問題だな。
自分の境遇を考え苦笑いを浮かべたクロドだったが、〝娘〟という言葉からすぐにルイナのことを思い出した。
傷だらけで倒れていたあの姿。異様に装備の整った追手。そして専門家の訓練を受けたような体術。よくよく考えれば怪しい要素は全て揃っている。
――まさか……。
「親方、もしかしてそれって――……」
クロドの言わんとしていることを察したのだろう。親方は無言で片手を上げこちらを制した。
「その娘を捕まえれば、懸賞金が出るそうだ。見回りの兵士に直接聞いたんだが、少なくとも二千万ガリルは超えるらしい」
「二千万ガリル!?」
思わず声が大きくなる。
親方はそんなクロドを見て、何気なく指で己の顎を撫でた。
「正直、最近じゃ仕事の調子もあまり良くなかったからな。金はあればあるだけ助かるが……お前はどうするべきだと思うか?」
二千万ガリル。それだけあれば、このダリアでは一生近くいい暮らしを送ることができる。富裕層に住むこともできるし、毎日煙場に出かける必要もなくなる。なんなら他の町で暮らすことだって可能だ。
生まれた村を失ってから。両親を無くしてから。この十年間ずっと必死に生きてきた。ゴミを漁り、ガラクタを売り、目的もなくただ毎日生き残ることだけが全てだった。その生活から脱することが出来ると言うのなら――。
彼女だっていつまでも逃げ続けることは不可能だ。商会同士の争い事ならいざしらず、相手はこの世界を支配しているアラウン。どこに逃げようともどこへ隠れようとも必ず突き止められて追いかけまわされる。それならいっそ今捕まった方が――
ふと、ルイナの顔を思い出す。初めて会ったときのあのときの顔を。
彼女は抱きかかえたクロドの顔を見て、心底ほっとしたように涙を見せた。すがる様に手を伸ばした。一週間前に死んだ己の父の幻影を見ながら。
一瞬、十年前の光景が蘇る。父を母を、親友を、全て失い泣きながら逃げるしかなかったあの、村を。絶望し倒れ込んだ草原の土を。目が覚めたとき、ほっとしたように迎えてくれた親方の顔を。
クロドは舌打ちし、頭を振った。
「……駄目だ。アラウンは完全にあいつを殺そうとしていた。引き渡せば間違いなくルイナは殺される」
「あの子は何の関係もない相手だろ。お前に何の損がある」
クロドはテーブルから手を離し、不機嫌そうな顔で親方を睨んだ。
「昨日あいつを助けるところを見られたんだ。仲間だと思われてるかもしれない。金は欲しいが、引き渡しにいって一緒に捕まるのはごめんだからな。……さっさと逃がして、手を切った方がリスクは少ないだろ」
「……そうか」
親方は頬杖をやめ短く頷くと、表情を明るく一変させた。
「――じゃあクロド。明日朝一でヤンさんのところに彼女を連れていけ。事情はもう話してある。他の町へ行くための地走機に乗せてくれるはずだ」
「話してある? ――まさか、最初からそのつもりだったのかよ」
クロドは思わず目を大きくした。
「まあな。お前はどう思うのか気になっただけだ。考えが同じで良かったな」
真面目な表情を浮かべ、両手を左右に開く親方。そんな彼の態度にクロドは若干の怒りを覚えた。
またそうやって試すような真似を……。
十年前からずっとそうだ。何か問題が起きた時、親方は決して自分の意見をこちらに押し付けず、常にその問題の回答を問いかける。意見が合えば協力して解決にあたれるが、合わなければその責任は全てクロド自身のものとなり、完全に放置されるのだ。
もしルイナのことをアラウンに差し出していたら、きっと親方とは本気で決別する羽目になっていたかもしれない。そう考えると、何ともいえない気持ちになった。
「ヤンさんには九時行くと言ってある。それまでに支度は全て済ませておけよ」
「……今夜のほうがいいんじゃないのか。暗い方が見つかりにくいだろ」
若干不貞腐れた表情でクロドは親方を見返した。
「この時間に外を出歩ていたら一発で怪しまれるぞ。彼女を連れていくなら明日の方がいい。昼間なら大勢が煙場へ向かって行き来してるからな」
確かにぼろぼろの布をまとって歩けば、誰が誰だかこのダリアではほとんど見分けがつかない。きっと親方は、朝の時点でルイナの正体に感ずき、彼女を守るために動いていたのだろう。何も知らずのんきに重空機の整備をしていた自分が馬鹿のようだと思った。
「わかった。……まったく、随分とお人好しなことで」
試されたことの苛立ちを含め、皮肉交じりに呟く。
だがその言葉を耳にした親方は何故か嬉しそうに、
「人のこと言えんだろ。お前は」
と、微かな笑みを漏らした。




