出港と、伝説の生き物と
天候が回復したのは、俺たちがカルネの町を訪れて二日後の事だった。
「やれやれ、やっと晴れてくれたおかげで温泉に行けるよ」
バーンズ氏は船主として外洋船が出港するのを確認してから、年末年始を温泉で過ごす予定だったらしい。
それがなかなか天候が回復しないので、やきもきしていた様子だ。
「とても大きな船ですね。何を運ばれているのでしょう?」
「主に積み込んでいるのは、我が国の名物品ですよ。リャド、パルテア、エストブル、ロリンゲル……こことは別の港から出港した船と、沖で合流してから船団を結成して、私自身も書面で名前しか見たことの無い遠国へ往く。そして帰りにはそれらの国々から名物を積んで、この港へと戻ってくる。そうだなぁ……往復で一年以上にもなるかな」
「一年以上もですか?」
「ええ、とても長い航海です。商売として我が国の名物品を売って、遠国の名物品を仕入れて売っているわけですが……、私は我が国の名物を売ることで、リヴェリアの素晴らしさを他国に喧伝しているのだと、この仕事に誇りを感じているのですよ」
「とても立派な仕事です」
バーンズ氏の言葉にルナレシアが頷いてみせた。
ルナレシアは、この船の船倉には拐われたエルフたちが、秘密裏に積み込まれている事を承知している。
だが、ルナレシアはその事を顔にも出さずに称賛してみせていた。
カンカンカンカン…………。
眺めているうちに荷物を全て運び終えて出港の準備が整ったのか、激しく号鐘が打ち鳴らされた。
出港の合図だ。
桟橋と船を繋ぐロープと、渡し板が外された。
バーンズ氏、そして俺とルナレシアを最前列にして、俺たちの周囲にバーンズ氏に荷物を預けた荷主、商会の関係者たちが大きく手を振る中、船がゆっくりと離岸し始める。
荷主と商会の者たちの間からは、一年間の別れの挨拶と航海の無事に加えて、損失を出さずに莫大な利益を願う祈りが聞こえてきた。
航海は危険が付きものなので、もしも遭難でもしようものなら、莫大な損失が発生する。
航海の無事を心より祈らざるを得ないだろう。
ただ、積み荷の事を考えてしまうと彼らへの嫌悪感が表情に出てしまうので、抑えるのに苦労した。
「さて、これでようやく肩の荷が下りました。そろそろ私たちは温泉へ向かう準備をするよ。これ以上妻を待たせでもしたら、彼女の機嫌を取りなすのにとても苦労することになるからね。それに、君たちも早く二人きりになりたいんじゃないのかい?」
「いえ、そんな事は」
「私たちは本当にただのバディの関係ですから」
「ハハハ、私たちが温泉に出発したら、屋敷にいる者たちは同行するか商会の仕事に戻るかするので安心してくれたまえ。二人きりの休みを思い切り楽しむと良いよ」
笑いながら言うバーンズ氏に、俺は予め決めていた通りに話しかけた。
「そうだ、バーンズさん。この辺りでは釣りはどんな具合なんでしょう?」
「釣りかい? もちろん、この辺りには魚がたくさんいる。朝早くに出港した漁師たちが網を引き揚げると、獲れた魚の重さで船が沈みそうになると自慢しているからね。そこらの桟橋で釣り糸でも垂らせば、爆釣間違い無い」
「本当ですか! 実はこの町に来て海を見た時から、ぜひ釣りをしたいと思っていたのですよ。良い釣具を扱っている店を教えてもらえませんか?」
「ああ、良いとも」
快く応じてくれたバーンズ氏から釣具屋を教えてもらった俺は、そそくさとその店へと向かうことにする。
「悪い、ルナ。俺、ちょっと釣具屋へ行ってくるよ」
「あ、もうイオったら……」
走って去って行く俺の背を不満そうに見つめるルナレシアへ、バーンズ氏が慰めるように笑う。
「もう、イオったら海も逃げたりなんてしませんのに」
「ハハハ、まあまあ殿下。釣りは一種の狩猟ですからな。男ならば狩猟に血が滾るものなのですよ」
「そういうものなのです?」
「もし良かったら、イオニス君が釣具を買って戻ってきたなら、殿下もご一緒に釣りに興じるとよろしい。きっと彼も喜びますし、楽しい思い出になるかと」
「……そうですね」
一方その頃、俺は本当に釣具屋へと走って行ったわけじゃなかった。
ただ、バーンズ氏のもとから離れたかっただけである。
何しろここからが本番なのだ。
「イオニスの名において命ずる。見えざる翼、我を高みへと導け――『飛行術』!」
船を見送る人々から見えない場所で空へと舞い上がり、カルネの町から離れていく外洋船を目指す。
カルネの町から船が近すぎてはダメだ。
これから俺が起こす騒ぎに気づけば、町から救援が来てしまうかもしれない。
逆に離れすぎては、脱出したエルフたちが岸に戻るのが大変になる。
カルネの町を離岸して洋上二百メートルくらい進んだところで、俺は船の真上まで飛んで停止。
檣楼に見張りらしい船員の姿があったが、まだ俺には気がついていない様子だ。
さて、今回は洋上という事で目標の船の周りには何も無く、周辺の被害はとりあえず考える必要が無い。
というわけで、今回の俺は自重という言葉を放り捨てていた。
「イオニスの名において命ずる。天翔ける空の王者よ、我が前に顕現せよ。その威を示せ――『招竜』!」
◇◆ルナレシア◆◇
カルネの町の沖合いから、遠雷のような音が響いてきました。
そして港で船の出港を見送っていた私たちは、その信じられない光景を目にすることになりました。
空の一部が裂けたように一筋の光の亀裂が生まれ、その亀裂の間から、赤く燃える炎を思わせる美しい生き物が姿を現したのです。
誰もがただ、ただ口を開けて呆けたように見つめる事しかできませんでした。
その生き物の存在は誰もが知っていましたが、実際に目にする機会は無いと思っていたのです。
私にしても、本の中にある挿絵で見たことがあるばかり。
そしてその本には、その生き物の特徴としてこう記されてありました。
その翼は天を覆い尽くし、その咆哮は大地を震わせ海を裂くと。
もちろん、創作の物語で語り伝えられていくうちに、たくさんの尾ひれがついていったのだろうと思います。
それでも、雄大な真紅の翼で空を舞う巨躯を見たなら、そう表現したくなる気持ちは私にもわかりすぎるくらいに理解できました。
世界中に伝わる様々な神話、伝説、伝承で、その生き物はこう記されています。
――真龍。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
洋上に完全に姿を顕現させた真龍の咆哮。
随分と距離が離れているはずなのに、まるで耳元で咆哮されたかのよう。
予めイオに話を聞かされていた私でさえ、思わずしゃがみ込んでしまう迫力です。
空気が震えているのが、わかりました。
(あれもイオの権能の一つ……)
その権能で私を守ると約束してくださいましたイオ。
私自身もあの権能の力に溺れないよう、自らを律しなければなりませんね……。
◇◆◇◆◇
檣楼にいた見張りが、必死の形相で警鐘を鳴らしている。
気持ちはわかる。
船の前上に突如、巨大なドラゴンが姿を現したわけだから。
まあ、警鐘を鳴らなくても、船上ではほぼ全ての船員が頭上を指差して、何やら喚いている様子が見える。
俺は巨大な背の上に降り立つと、バッサバッサと翼をはためかせてホバーリングする真龍へ話しかけた。
「ラフラ、適当にあの船のマストを折ったりできるか?」
ラフラというのはこの真龍の名前である。
俺の質問に承諾の意思を示したつもりか、真龍は僅かに頭を下げると――。
あ、ヤバ……。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
咆哮とともに、真龍からすればペチッとした程度だろうが、尻尾で太いマストをへし折ってみせた。
ドッパアアアン、という音と派手な水飛沫を上げて、折れたマストが海上へと叩き付けられる。
そういえば、あのマストの檣楼には見張りの人がいたような……?
なんて、今の俺には人の事を心配している余裕は無かった。
耳を塞ぐのを忘れた俺は、真龍の咆哮を至近距離で聞いてしまい、ラフラの背中で転げ回っていた。




