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9、同じ空の下で、この森の中から【終】




 庭のベンチに腰かけていたマレーテは、森の彼方に沈むゆく夕日を眺めていた。いつの間にか辺りを漂う匂いが、甘い花々の香りから瑞々しい若葉の香りへと移り変わっていた。春の終わりは近く、もうすぐ夏がやって来るのだ。




「お母様!」


 突然視界に鮮やかな青色がひるがえる。ドレスの共布で仕立てられた青いボンネットを被った、栗色の髪の少女が立っていた。もうすぐ十歳になる娘のエルージェだ。


 森の中で生まれ育ったからか、はたまたその特殊な血筋のせいなのか、屈強な男でも恐れる《常闇の森》を遊び場に駆け回る活発な子だ。顔を合わせるたびに、娘のスカートや帽子に付いた土埃や枯葉を払ってやるのが母であるマレーテの日課であったが、今日は珍しいことにエルージェの衣服には葉っぱ一つ付いていなかった。




「見て、ユハシュから招待状が来たの!」


 一枚の白い封筒をエルージェは顔の前で掲げて見せた。白い地に金色のエンボスで国章が施されたその意匠は、ユハシュの公式文書に使用される物で、マレーテは懐かしさに目を細めた。


 招待というのは、ロトス半島に位置する三国の王室間で行われる、次世代の子供たちを中心とした交流会のことだろう。毎年夏に開かれ、今年はユハシュ王国が招待国だ。四年前、ゼト大公国の公都で初めて他国の王子王女らと出会い友達になったエルージェは、この時期を毎年楽しみにしていた。


「お父様だけじゃないのよ。なんと今年は私宛てに、シトレ女王陛下が直々に招待状をくださったの!」


「それはあなたが正式な大公家の跡継ぎに決まったからよ。立場に恥じないようお行儀よくしなくてはね」


「わかってるわ。だって女王陛下の御前に上がるんですもの!」




 エルージェは昨年、将来は父アトランの跡を継ぎ大公となることが決まった。本来なら大公家の嫡子は生まれた時にそう定められるものだ。しかしエルージェはゼト大公国の長い歴史の中で、唯一長子でありながら女子であったため、正式な取り決めは一旦保留となった。


 あとに長男が生まれたものの、予想通りその子はゼト家の始祖である『魔王』の特徴は継がなかった。結局慣例に従い、長子であるエルージェが嫡子に収まった。


 家臣団からの異論が出なかったのは、隣国ユハシュで女性君主による統治が高く評価を受けている影響も大きかっただろう。おかげでエルージェはユハシュ女王シトレをすっかり信奉し、自分の国の君主であり父であるアトランを苦笑いさせていた。


 


「それでね、お母様。今年はテオルドも招待されたのよ!」


「テオも?」


 テオルドは自分たち夫婦の長男で、まだ二歳だ。エルージェが初めて交流会に参加したときですら六歳だった。マレーテが困惑していると「……そういう話が来ているんだ」と、ばつが悪そうな声が後ろから聞こえた。夫であるアトランがいつの間にか近くに立っていた。


「今年はテオもよければ一緒に、と。バルアの一番小さな姫君も参加されるから、その兼ね合いもあって誘っていただいたんだろう」




 すぐに「無理はしなくていい」と、アトランは言った。


「テオはまだ小さいし、里を離れたことも数えるほどしかない。こちらの事情も女王陛下ならよくおわかりだろう。断っても――」


「連れて行ってあげて」


 マレーテが迷ったのは、ほんの少しの間だった。


「だが……」


「テオはほとんど人見知りもしないもの。それに乳母や子守り役のメイドたちも連れて行くんでしょう? だったら大丈夫よ」


 ……私がいなくても、とマレーテは小さく付け足した。




「あーあ……」と、つまらなそうに嘆く声があった。


「お母様はやっぱり一緒に行けないのね。どうしてうちの国だけ、お妃様は外に出たら行けないの?」


「そういう決まりだし、お母様はそれで困らないからいいのよ」


 マレーテがこの森を離れられないもう一つの理由を、娘にはまだ話していない。もう少し成長してから教えようと思っていた。


「じゃあ、私のお婿さんになる人も?」


「それは、あなたとお婿さんで決めればいいわ」


 王室同士では同盟国の結束を深めるため、次代を担う子供たちをそれぞれ婚姻させてはどうかという案が浮かんでいた。実現すれば、エルージェはユハシュの王子を、テオルドはバルアの王女をそれぞれ婚姻相手に迎えることになるだろう。

 

 親たちは本人の意向を優先にと言いつつも、できれば公私共に丸く収まることを望んでいる。子供のうちから交流を深める意図はそこにもあった。

 



「ねえお父様、交流会のために新しいドレスを仕立ててもいいでしょう?」


 エルージェが母が同行できないことに落ち込んだのは一瞬だけだった。可愛く小首を傾げる娘に甘い顔でうなずきかけた夫を、マレーテはキッとにらんで制止する。


「夏用のドレスを三着も仕立てばかりでしょう。まだ舞踏会にも出られない年齢なのに、そんなにたくさん必要ありません!」


「ええー!? だって去年はバルアの王女たちが、流行のドレスを何十着も用意してたのよ!」


「よそはよそ、うちはうちです。それに幼い女の子が華美な恰好をするのを、堅実なシトレ女王陛下はお好みにならないと思うわ」


 娘が敬愛する女王の名を出せば、最近すっかり口達者になったエルージェも口ごもった。




「新しいドレスはお茶会用のを一着だけよ」


 そう告げると、ぱっとエルージェの表情は明るくなる。


「それと去年仕立てたドレスにお花の刺しゅうをしてあげる」


「本当!? じゃあバラがいい! 色はピンクと白で……あとスズランも入れて!」


「はいはい」


 遠慮なく注文を繰り出す娘に苦笑する。なかなか骨の折れる作業になりそうだが、ルネの手も借りればユハシュへ出立する前には仕上がるだろう。




 館の中から乳母がエルージェを探す声が聞こえてきた。「ドレスのこと約束よ、お母様」と告げて、娘は嵐のように去って行った。


「あの子はいずれ大公になるのよ。子供のうちから無意味な贅沢を覚えさせるのはよくないわ」


「すまない、わかってはいるんだが……」


 娘に甘い夫へ釘を刺したあと、マレーテは表情を緩めた。


「エルったら、よっぽど交流会が楽しみなのね」


「『早く夏になればいいのに』って、年が明けた頃から言っていたからね」


 アトランがふと表情を改め、気遣わしげに問いかけてきた。


「……マレーテ、本当にテオも連れて行っていいのかい?」


 それは幼い息子にというより、残されるマレーテを気にかけてのことだとわかっていた。


「私はね、あの子たちに世界のことをたくさん知ってほしいの」




 マレーテは立ち上がり、森の彼方でオレンジの光を放つ太陽とは真逆の方向に目をやる。


 星がかすかに瞬き始めた、あの葡萄色の空の下にはユハシュがある。もう二度と自分が戻ることは叶わない祖国を、バルアを、半島の外を、海の向こうを、自分が決して見ることのない光景を、子供たちにはその目に映してほしかった。


「そのために、私はあなたたちの帰る場所を守り続ける。それが今の私のすべきことで誇りでもあるの」


 はっきり告げると、それまでいたわるような視線を向けていたアトランだったが、やがて決心を固めたようにうなずいて微笑んだ。


「わかった。今年はエルとテオを連れてユハシュに行ってくるよ」


「ええ、いってらっしゃい」

 



 必ず帰る場所がある。その安心感と自信は、子供たちが新しい世界に羽ばたくときの追い風になると、マレーテは信じていた。そして子供たちが目新しいものに目を輝かせる光景を想像しながら、自分もまたこの森から彼方の土地へと想いを馳せることができるはずだ。


 黄金に輝く夕日を背負ったマレーテは、満面の笑みで告げた。


「私はいつだって、この森であなたや子供たちの帰りを待っているわ」













 番外編までお付き合いいただきありがとうございました。評価、ブックマーク、リアクションをくださった方もありがとうございます。感想やレビューも大切に目を通させてもらいました。本当に励みになりました。


 倫理的に一線を踏み越えてる、というか大分オーバーランしてるヒーローはまあまあ書いてきましたが、ヒロインでそれをするのはどうなんだろうと(しかも恋愛物で)悩みつつも、挑戦してみたかった部分なので、そこを書き上げることができて個人的に満足な作品でした。


 あとは作中に関係ないどうでもいいディテール考えるの大好き侍としては、子世代やサブキャラなどのネタも溜めてきたので、いずれこの辺も一つのお話にできたらいいなあと考えております。


 ここまでお読みくださりありがとうございました。また別作品でお付き合いいただけるとうれしいです。



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