5、告知
――次に目が覚めた時、チカチカと光が散るほの暗い視界の中に、見慣れた夫のひどく狼狽した顔があった。
ぼんやりとした頭で、突然意識がぷつりと切れたことを思い出す。気を失っていたのは、それほど長い時間ではなかったようだが。
「大丈夫かい、マレーテ?」
「ごめんなさい……私……」
マレーテは部屋の端にあるソファへと寝かされていた。体にはアトランの上着が掛けられている。
ソファの肘置きに足を乗せた姿勢に貧血の処置だと気づいた。ユハシュ宮廷でも、ときおりコルセットの閉め過ぎなどで倒れた婦人が、このように手当てされている場面を見たことがある。
「ルネたちを呼んで来よう」
マレーテの頬に手を添えていたアトランが、そう告げて立ち上がろうとする。マレーテは思わずその袖口を引いて止めていた。温もりが離れていくことがひどく怖かった。
「……行かないで」
自分でも思いがけない弱々しい声が口を突いて出た。一瞬迷う素振りをしたアトランだったが、うなずいてその場に膝を付いた。
しばらくの間、アトランはマレーテの体を暖めるように、肩の辺りを擦ってくれた。優しい大きな手の動きに身をゆだねていると、温まったことで血の巡りが良くなったのか、視界に明るさが戻ってきた。
「すまない……」
「どうしてアトランが謝るの? 迷惑をかけたのはこっちじゃ――」
言おうとして、マレーテははっと口をつぐんだ。自分の体に触れるアトランの手はひどく強張り震えていた。今は彼の方がよほど具合が悪そうだ。その尋常ではない様子と、まるで恐怖するかのような表情に、マレーテは驚く。
「アトラン……?」
「私は知ってたんだ……もっと早く教えるべきだったのに」
「待って。いったい何の話をしているの?」
アトランは意を決したようにマレーテを見据える。その暗緑色の瞳が沈痛に満ちていた。
「……君は子供を身ごもっている」
きっぱりと言われた言葉に、自分の喉の奥が引きつるのを感じていた。体の芯が冷えていく。
(ありえない……)
自分たち夫婦の間に子供は絶対に生まれない。……そう、夫婦の間には。
アトランの言葉の意味をマレーテはそう解釈した。――アトランは自分の不貞を疑っている、いや確信しているのだと。
その瞬間、喉からひゅっと悲鳴のような音が鳴った。
「なんでっ……なんでそんなこと言うの……?」
思わず身を起こしたマレーテは、アトランの襟元を掴むように取りすがる。衝撃と惨めさに、せり上がった涙がぼろぼろと零れた。
「マレーテ、落ち着いて。でもこれは事実なんだ……。今倒れたこともそうだけど、最近体調に変化があったはずだ。……月の物も来ていないだろう」
「あ……」
アトランの言う通りだった。『何かがおかしい』と思いながらも、もともと周期が定まらない体質だからきっと遅れているだけだと、自分を無理やり納得させていた。
「それに私にはわかるんだ……。君の中には、小さな命が間違いなく宿っている」
アトランには優れた五感に加え、それだけでは説明できない霊感じみた感覚も備わっている。常人には見えないものを見通せる彼が言うのだ。……自分が妊娠していることはもう確実なのだ。
混乱の中でマレーテは必死で頭を振った。
「知らない……私、本当にっ」
「マレーテ……」
アトランもまた苦しそうな表情を浮かべていた。それでも子を宿す女性を興奮させてはいけないと思ったのか、ゆっくりとマレーテの体を包むように腕を回した。
「すまない……君を怖がらせたくなかったのに」
こんな状況でも、なお優しいままの夫に、ますます涙が止まらなくなる。
……証明する方法などない。だがどんなに、意味のない言葉に聞こえようとこれだけは伝えなくてはと、マレーテは顔を上げた。
「私はあなた以外誰にも体を許してないわ」
アトランが「……え?」と、目を瞬かせた。
「信じてもらえないかもしれないけど、本当に何で妊娠したかわからないの……こんなこと、何で……」
言って、マレーテはふと思い出した。
「あ、あのときだって思ってるの!? 私がサリサの家の近くで男に連れ込まれたとき!? 何もなかった! 絶対に何もなかった! あの男には小屋の中に連れて行かれただけよ!」
頭のどこかでこれは報いだと思った。自分の犯した罪を他人の所業のように仕組んだことへの。こんな自分がどんなに言葉を重ねたところで、信頼などしてもらえるはずはない。それでもマレーテにはただひたすら訴えるしかできなかった。
アトランがふいに痛いほどの力でマレーテの肩をつかんだ。
「マレーテ!」
「嘘じゃない! お腹の子は――」
「私の子に決まっている!!」
怒った時ですら声を荒げないアトランの、珍しい大声を聞いてマレーテは思わずぽかんと呆ける。
「そんなこと……疑うはずがないだろう……っ」
胸に押し抱くように再び抱きしめられる。震える声から後悔が伝わって来た。温かな体から伝わる少し早い心音に、マレーテはへなへなと脱力した。
更新が滞っていて申し訳ありません。今回はしばらく不定期更新になりそうです。できるだけ二日以上はあけないように頑張ります。




