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3、不審者




「ああ、どうしよう……どうしよう……」


(それはこっちのセリフよ!)


 マレーテは古びた麻縄に腕を縛られたまま、小屋の出入り口を付近をうろつく男を仁王立ちでにらんでいた。


「俺は別にあんたを襲おうと思ったわけじゃないんだ。ただ馴染みの女と話がしたくて――」

 

 間違いなくサリサのことだろう。つまりこの男がサリサたち父娘を悩ませていた例の客だ。別に馴染んではいないでしょう、と思いつつマレーテは冷静に言う。


「それはさっきも聞いたわ。私に用がないなら、さっさと縄を解いてここから出してもらえる?」


「で、でもここから出たら襲われたって騒ぐんだろう?」


「今すぐ出してくれるなら、大事にはしないわよ」


「そんなこと言われても……信じられるないし……ああ、どうしよう……」


 マレーテはいらだちを込めて溜息をついた。さっきからこのように話が堂々巡りだ。




 マレーテを始末するほどの度胸がないことは幸いだが、このままではらちが明かない。どう見ても大罪を犯すほどの度胸もない小物であるが、本来なら助けを求める声を上げられない、サリサをここに連れ込もうとしたのだ。男が主張するように、話をするだけで済んだとはとても思えなかった。


 追い詰められ血迷った男が何をしてくるかわからない……が、マレーテはそれほど焦っていなかった。


(さすがにルネが探しに来る頃よね……)


 この納屋は宿屋と小川の間にある。マレーテが姿を消したことには気づけば、まっ先に怪しむ場所だ。案外もうここを見つけているかもしれない。うかつに飛び込み、マレーテが人質に取られることを恐れ、手立てを考えている――そんなところだろうか。




 その時コツンと、窓に何か小さな物がぶつかるような音がした。気のせいだっただろうかと考えかけたとき、また同じ音がした。男が引きつった顔をこちらに向けて来るが、マレーテは素知らぬ振りで顔をそむけた。


「あ、あんたはそこ動くなよ」


 男はそっと窓に近寄り外をのぞくが、何も異変はなかったようだ。今度は扉を小さく開き、外の気配をうかがう。やがてゆっくりと扉を開き、足を踏み出したところで、後ろから様子を見ていたマレーテからは急に男が横に大きく跳んだように見えた。いや、男は強い力によって引っ張られたのだ。


「ひゃぁっ」と、間の抜けた悲鳴の後、何も物音がしなくなった。マレーテはゆっくりと外へ出た。ぬっと目の前に立ちはだかる大きな影に、マレーテは一瞬緊張したがすぐにほっと息をつく。




『マレーテ……』


 そこには異形の獣へと変化した夫がいた。獣の声帯から発せられたのは、不明瞭な声だったが自分の名であることはわかった。マレーテは元気であることを証明するため、笑ってうなずいてみせた。


「ありがとう、私はこの通り無事よ」


 アトランは絞めた鶏を掲げるように、男のうなじの当たりをつかみ持ち上げていたが、地面へと雑に投げ捨てた。


「こ、殺した……?」


 たてがみが揺らし首を振るアトランに、そっと胸を撫でおろす。背中で縛られた腕を見せると、アトランは鋭い爪でもって、たやすく縄を断ち切ってくれた。




 マレーテが縄の痕がついた腕をさすっていると、アトランの全身の毛皮がざわめくように震えた。枝を折るような音と共に、その形が圧縮していくように変化する。変化は痛みを伴わないのかと聞いたことがあるが、少しくすぐったくはあるが苦痛というほどではないらしい。


 見慣れたいつもの夫の顔に、マレーテが笑顔を向けるのも束の間。


「アトラン! ここ外!」


 異形の獣から人間に戻ったときは、当然衣服をまとっていない。いくら夫婦といえど、真昼の野外で見る剥き出しの肌にマレーテは真っ赤になる。慌ててアトランの腕をひっぱり納屋の奥へと戻った。




「もう! なんでこんなところでーー」


 ぎゅっと、胸板に押し付けるように抱きしめられ、マレーテは言葉を失う。森を巡回するときに持ち歩く薬草(ハーブ)の匂いが混じった素肌の香りに包まれどきりとする。


「マレーテ……よかった、無事で……」


 首に顔をうずめながら震える声でささやかれる。その声も、マレーテの存在を確かめるように背をなでる手も優しく、嘘はないとわかった。


「だったらどうして……?」と、マレーテは思わず泣きたくなった。こんなに大切にしてくれるのに、どうして夜は会いに来てくれないのか。いっそ問いただしてしまえばよかったのかもしれない。だが、どうしても声が喉をつかえて出てこなかった。


 ふとアトランがじっと自分を見つめていることに気づいた。……まあの目だ。森の彼方を探るように、警戒するように見つめる疑心に満ちた瞳。


 彼の全幅の信頼を得られない心当たりなど十分にあるが、それがなぜ今頃になってなのだろうか。理解ができず、それでいて優しい声や仕草の落差に胸が苦しくなった。




「奥方様! こちらですか!?」


 慌ただしい声と共にルネが納屋の中に顔を出した。裸体のアトランと、その彼に抱きしめられているマレーテの姿に、「まっ!」と、わざとらしく両手を掲げてすぐに引っ込む。


「これはお取込み中に申し訳ありません」


「取り込んでない!」


 赤い顔で叫ぶが、気まずい空気が断ち切られたことに、マレーテはひそかに安堵していた。ルネに宿屋から男物の衣服を借りてくるように頼んだ。




 アトランが人前に出られる格好になると、ルネと三人で改めてこの状況について説明し合った。


 ルネの話によれば、サリサの父親を手当てしつつ、いつまで経ってもマレーテも助っ人もやって来ないので、どうしたものかと悩んでいたところに、アトランが現れたらしい。川の対岸である森の奥から、異形の姿に変化したアトランに驚きつつも、ルネは宿屋に向かったマレーテが戻らないことを伝えたそうだ。


 アトランは獣並みの嗅覚や聴覚でもって、すぐにマレーテの居場所を突き止め助けに来てくれた。サリサの父親も宿に運ばれ、医者の手当てを受けていると聞いて安堵する。




「奥方様を監禁するなんて! この不埒者は縛って森に捨てて来ます!」


 息巻くルネを、「待ちなさい」とアトランが制する。


「騎士団の詰所に連絡を。ひとまず牢に閉じ込めておく。この件の沙汰は後で下そう」


 妻であるマレーテですら、あまり見たことのない冷ややかな視線を、アトランは地面の上で伸びている男に向けていたが。あくまで私情を殺し冷静に告げた。


 主人の珍しい静かな怒りに気圧されたのか、ルネはあっさり「……かしこまりました」と答えて、騎士団員を呼びに向かった。




 ルネがいなくなったあと、アトランはふう、と長い息をついた。


「……本音を言えば、私だって今すぐにこの男を森に捨ててきたい」


「あなたが大公としての判断を選んだのは、きっと間違いではないわ」


 マレーテの手を取り手首に赤々と残る擦り傷を見て、アトランは痛ましそうに眉をひそめる。


「少しの間、閉じ込められただけよ。それにすぐに助けがくることはわかっていたもの。……そういえば、どうしてアトランは川の向こう側にいたの?」


 来てくれるとすれば、当然ルネだと思っていた。だが彼女の話では、突然アトランが森の中から現れたらしい。


「森を巡回していたら、なんとなく嫌な予感がしたんだ。今日は君が里に下りていると聞いていたし……。それでこっちに向かった」


「そう……来てくれて本当にありがとう」


 ある種の獣は五感では説明できない異変、例えば地震や洪水の予兆を感じ取る能力があると聞いたことがある。アトランもそうなのだろうと、マレーテは深く考えはしなかった。





 




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