26、物語の終わり【終】
これで本編完結となります。落ち着いたら番外編を更新しようと思います。ブックマークいただいている方はしばらくそのままにしていただけると幸いです。
アトランの妻である現大公妃は、バルア王家とは縁もゆかりもない。
本来なら生まれぬはずの、それも娘が誕生したのは十年前のことだ。初代以来、大公家の長子は必ず男子であったが、その法則も初めて破られた。
「魔王の呪いが解けたから、初代大公の誓約魔術も消失した……わたくしはそう思っていたわ」
真実の愛が呪いを解く――それもまた大公家に伝わる言い伝えだ。大公夫妻の元に子供が産まれたと聞いた時、驚きと同時に納得もいった。
大公妃の世間的に見れば、善人といえる人格ではないのだろう。だが強い度胸と意思を持つ彼女ならば、異形の正体すら乗り越えて、アトランの本質を愛しただろうことは想像がついた。
「妻が私に捧げてくれる愛情を疑ったことはありません。ですが真実の愛が呪いを解くという言い伝えに、私はずっと懐疑的でした。愛は白か黒かで測れるものではありませんから」
「……そうね」
相手を憎しみながら、嫌悪しながら、同時に恋しいという感情を抱くことはある。シトレにはそれがよくわかっていた。
「初代大公の魔術に綻びが生じたことは間違いないのでしょう。子供たちの存在がその証です。ですがお気づきの通り、魔王の呪いそのものが消失したわけではありません」
シトレは再び無邪気にはしゃいでいる公女に目をやる。
数年前、幼かった公女と初めて顔を合わせた時から、彼女は常に帽子か大きなリボンなどで頭部を覆っている。生まれつき目立つ腫れ物があるから、というのがその理由とされているが……。
「私ほど強いものではありませんが、娘もまた異形の呪いを引き継いでいます」
「どうにか呪いを解く方法はないのかしら……」
父親であるアトランも、右手に異形の証があるため常に手袋をはめている。彼もまた若い頃、そのことに長く悩んだそうだが、年頃の少女であればなおのこと哀れだ。
「そもそも我々が異形の本性を持つことを、『呪い』と呼ぶのが間違っているのかもしれません」
「どういう意味?」
「子孫が先祖の特徴を継ぐのは、生き物として自然なことです。私たちの間に子供が生まれたことも、経年により初代の魔術が弱まったか、たまたま妻が魔術の影響を受けにくい体質だったとか……その程度の特に意味のない話でしかないのかもしれません」
アトランはあっさりと言ってのけたが、これはある意味、呪いよりも惨いことなのではないだろうか。天災が、あるいは疫病が人の命を摘むように、誰にもどうしようもないことなのだから。
「呪いが存在しないのなら、当然それを解く方法もないのよね……」
「いえ……それはどうでしょう」
黒い手袋に包まれた右手を擦る、アトランの表情は穏やかだった。
「確かに大公家は呪われていました。異形の性を持つ己を恥じ忌む心は、希望や可能性を奪い続けてきました。少なくとも私は妻に出会うまで、己を汚れた存在と信じ、母や婚約者候補たちから向けられる、嫌悪や蔑みを甘んじて受けるのが当然と思い込んできました」
シトレはつと考えてから、告げる。
「だったら真実の愛がうんぬんという話は、あながち間違いとは言えないわね」
「はい。確かに妻は私を呪いから解き放ってくれました」
「あなたもよ、大公」
「え?」
「憎しみの連鎖に囚われていたあの子を救い出してくれた……。あなたもまた、真実の愛でもって呪いを打ち破ったのよ」
アトランは意表を突かれたように目を見張ったあと、やがて無言のまま微笑んだ。
何も状況は変わっていないというのに、シトレには春の陽光が差し込むような不思議な心持ちがした。
「そうか……そういうことだったのね」
「陛下?」
噛み締めるようにつぶやくシトレに、アトランが不思議そうな視線を向ける。
「いいえ、こちらの話よ。――さて、わたくしは子供たちの様子を見てきましょう。そろそろ遊びを終わりにさせないと、あの子たちおやつを食べそびれてしまうわ」
「はい、お願いいたします」
アトランと別れたシトレは、飽きもせず辺りを駆けまわっている子供たちの元へ向かう。
噴水の裏手に回ると、こちらに向かって大きく手を振りながら駆けて来る帽子の少女と、その後を追いかける少年の姿があった。
「女王陛下!」
「そろそろ、おやつの時間よ。皆を呼んできてちょうだい」
「はい!」
「待ってよ、公女!」
公女の後を追うのは、シトレの次男である王子だ。母の姿などまったく目に映らぬ様子に苦笑していると、一陣の風が吹いた。あっ、と思った時には、公女の頭上から帽子をさらっていた。
公女が頭を両手で押さえるまでのほんのわずかな間、目に映った光景にシトレは息を飲んだ。公女の頭部に生えていたのは、間違いなく茶色い毛に覆われた獣のような耳だった。
頭を抑えたまま座り込んでしまった公女。そして飛ばされた帽子を拾ったまま、公女を見て硬直している自身の息子。どちらに先に声をかけるべきか、シトレは迷う。
しかし、母よりも早く動いたのは息子だった。無言のまま公女の元に歩み寄ると、その頭に帽子をかぶせ直せた。何もなかったかのように、王子は公女に向かって手を差し伸べる。
「ほら」
おずおずと伸ばされた公女の手を、焦れたように王子が引いた。
「行こう」
「うん……!」
手を取り合って駆けていく二人の背中を見つめながら、シトレはほっと胸を撫でおろした。
バルアの王女たちと共に、じゃれ合いながら戻って来る子供たちを確認したあと、噴水の水を熱心に棒でかき混ぜている娘を呼び寄せる。
スカートに飛び込むように駆け込んで来きた娘へと、シトレはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「お母様、わかったかもしれないわ。どうして王様が獣の姿のままだったのか」
シトレはぽかんと自分を見つめる、娘の桃のような頬に手を添える。
「それでも幸せにはなれるからよ。……するべきことを決めた人間は、呪いを引きずり倒してでも前に進めるくらい強いんだもの」
ここまでお読みいただきありがとうございます。評価、ブックマーク、リアクション大変うれしかったです。もしまだの方、少しでも気に入っていただけた方は、下部☆☆☆☆☆のタップをお願いいたします。ブックマークや感想もいただけると大変励みになります。
本編にはきれいに収まらなかった話を、せっかくなので番外編として数話上げる予定です。主人公たちが森に帰った後から二年ほどあとの、子供ができたときの顛末のお話です。またお付き合いいただけるとうれしいです。




