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22、マレーテが願ったこと




 窓枠のそばに座ったマレーテは目を閉じて想う。


 王女は無実の罪から逃れるため、魔の森へと踏み入りゼト大公と出会う。やがて恋に落ち、結婚して彼の子供を産み育てる。閉ざされた狭い世界であっても、すべてが満ち足りたあの箱庭のような世界で、ささやかな幸せを築くのだ。


 もし自分が本物のユハシュ王女だったなら――無意味で愚かな妄想だ。窓ガラスに皮肉に笑う自分の顔が映った。




 アトラン本人にも告げたように、マレーテも最初は勘違いに乗じて、彼を利用するつもりだった。どうせ嘘と罪をさんざん重ねてきた身だ。今更悪事が一つ二つ増えたところで、どうということはない。ひとまずアトランの庇護下に置いてもらい、ほとぼりが冷めた頃に逃げ出す。


 ――そのはずだった。結婚を申し込まれたときは、本気でそう企んでいたのだ。


 なのに、どんな傷つこうと人を信じ愛することを諦めない、アトランの哀しいほどの優しさに触れていくうち、夢を見るようになっていた。彼と共に生きる道を。


 このまま真相を隠し、陽だまりのような虚構の中でずっと生きていけたら……。叶うはずなどないのに、そんな儚く愚かな夢を本気で見ていた。


 だがしょせん夢は夢。憎き仇である王太后ゼネヴィアはまだ命を繋いでいた。すで国王であったライエスの暗殺を果たし、妹のマレシカまで死に追いやっている。ゼネヴィアの命を絶たない限り、この復讐は決着しない。あれ以上ゼトに留まる理由はなかった。




(呪われた正体を持つ化物は、アトランじゃなくて私の方だった……)


 彼はこんな自分の本性に怯むことなく、すべてを受け止め、ひたむきな愛を注いでくれようとした。


 散々アトランをあざむき続けた、自分が願うことすらおこがましいが、本当は誰よりも愛される価値のある、あの心優しい青年には血の繋がった家族を持ってもらいたかった。


 たとえ妻になる女性がレイダのような娘だったとしても、我が子を得たアトランはこの上ない愛情を注ぐはずだ。それは彼の人生の支えになるだろう。


 そして幸せの中で、やがて記憶は風化していくのだ。こんな愚かで醜い女がいたことなど。


 旅立ちの日、マレーテがベッドから抜け出したことに、きっとアトランは気づいていたはずだ。だが引き止めることはしなかった。ぜめて彼の未練を断ち切ることだけはできたはず……そう思いたかった。






 館を出て商隊に便乗したマレーテは、無事に《常闇の森》を抜けたあと、数日かけてユハシュの王都へと向かい、ためらうことなく宮殿に出頭した。


 マレーテは宮殿の大門を守る衛兵に、女王への謁見を申し出た。旅装姿の小娘の分不相応な申し出を鼻で笑った衛兵は、マレーテが頭から被ったフードを払うと顔色を変えた。末端の兵士であっても、さすがに行方不明の王女の容貌は伝わっていたのだろう。


 やがて迎えに現れた高官や女官の姿に、マレーテは密かに安堵した。思惑通り、『マレシカ王女』としてユハシュ宮殿へ戻ることができたのだ。




 今、マレーテは宮殿内の敷地にある塔の最上階に幽閉されていた。外を見れば、かつて自分たち母子が押し込められていた、朽ちかけた離宮がそう遠くない場所に見える。宮殿の中でも、人があまりやって来ない寂しい場所だ。


 王を殺した犯人とされている『マレシカ王女』の処遇など、最初からわかり切ったことだった。だがマレーテには処刑人の手にかかる前に、どうしてもやらなければならないことがある。


 やがて静かに、そして厳かに階下から足音が響いてきた。マレーテは深く一呼吸してから立ち上がった。

 



 錠の落ちる音と共に、部屋で唯一の扉が開く。現れたのは緋色のドレスをまとった一人の女だった。たおやかでありながら、気品と知性を兼ね備えた姿は、妻になっても母になっても変わっていなかった。懐かしさにマレーテは思わず唇をほころばせそうになる。


 女は後ろに控える兵士に一言二言告げる。戸惑うような素振りを見せつつも、兵士たちは今来た階段を引き返して行った。改めて女がマレーテへと向き直る。




「……元気そうで何より、と言うのもおかしいかしら?」


「ご無沙汰しております、シトレ女王陛下。遅ればせながら、このたびのご即位をお喜び申し上げます」


 マレーテが丁寧に礼を取ると、シトレは小さく唇を噛み締めた。


「マレーテ……どうして戻って来てしまったの? ゼト大公から状況は聞いたのでしょう? 二度とユハシュに姿を現さなければ、見逃してあげることもできたのに……」


「それはお姉様が一番よく御存じのはずです」


 マレーテはかつてのようにシトレへと呼び掛けた。




「今の王太后にまともな自我などないわ。たとえ眼前でナイフを突き付けられても、自分が復讐されていることはおろか、殺されようとしていることすらわからない。恐怖も後悔も、もうあの人は何も感じないのよ」


 二の腕の布地をつかみながら、苦悶の症状を浮かべるシトレは、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。だからこそ、マレーテははっきりと告げる。


「何も感じなければ、何もかも許せるわけではありません。だからお姉様だって、あの人を生かし続けているのでしょう?」


「……例えあなたが本懐を遂げたとしても、その憎しみの炎は消えないわ」


「だとしても今更止まれません。王や王太后だけじゃない、私は実の妹にまで毒を盛ったのだから」




 マレーテの言葉にシトレはあご先に指を当て考え込む。聡いシトレは、やがてすべてを把握したようだった。


「つまり父上やあなたの母君を毒殺したのは、王太后に操られたマレシカだったの……? だからあなたは母君の仇として、マレシカにも手に掛けた……」


「その通りです。だから最後まで私にやり遂げさせてください。そしてお姉様は私ごと宮廷の穢れを一掃し、清められた玉座にお座りください。それが良くしていただいたお姉様にできる、せめてものご恩返しです」


 シトレはまじろぐことのないマレーテの視線をしばらく受け止めた後、細く息を吐いた。




「……事情はわかりました。でも意気込んでいるところ悪いのだけど、それは無理なの」


「お姉様!」


「だってあなたの罪を裁くのは、わたくしではないもの」


 その時、階下から刻むような足音が近づいてくることに気づいた。








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