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17、王女マレシカ・前




 動揺するアトランとは対照的に、マレーテは小首を傾げ穏やかに語りかけてくる。


「ねえ、アトラン。あなた本気で怒ったことある?」


「……え?」


「ないでしょうね。あなた優しいもの。……怒りって度を越えると熱くなるんじゃなくて、体の中心がキンって冷えるの」


 困惑する様子に、マレーテが再び軽やかな笑い声を立てる。


「何の話だって顔ね。いいわ、こうなった以上アトランには順を追って説明するのが筋だし。じゃあまずは、私の生い立ちからね――」






 ※※※※※※※※※※






 ――私が物心つく頃には、もう両親はそばにいなかった。


 ユハシュでは子供がある程度大きくなるまで、よそに預けて養育してもらうことは珍しくないの。女子は修道院に預けられることも多いけど、私は片田舎で農場を営む養父母の下で育てられたわ。養父母の家にはそういった子供が何人かいて、いつも騒がしかったから寂しくはなかった。




 本当のお父様は、私が生まれてすぐに亡くなったんですって。母は下級貴族の出身で、貸金業を営んでいたお父様と死別した後、他の男性に見初められて新しい家庭を持ったと聞いていたわ。


 お母様は私が読み書きできる年頃になると、よく手紙を送ってくれたの。服とかリボンとか、たくさんのプレゼントと一緒にね。はっきりとは聞きづらかったけど、再婚相手はさぞ裕福な貴族なんだろうなって、子供ながら思ってたわ。


 もちろん私だってお母様と一緒に暮らしたかったわよ。……でも、わがままは言えなかった。だってコブ付きの未亡人として生きるより、娘をよそに預けて、新しい家庭を持つ方がどう考えたって賢い生き方だもの。


 お母様がそうして裕福な家に嫁いだおかげで、私も恩恵を受けていたし。養父母は悪い人たちではなかったけど、ちょっと現金なところがあったから……。他の養子と同じイタズラをしても、養育費が多い私だけ叱られなかったりね。




 そうやって私は田舎で平凡に育ったわけだけど、十歳の時に大きな転機があったわ。


 私は物心ついて以来、初めてお母様に会ったの。びっくりしたわ。だって絵本に出てくるお姫様みたいに綺麗で、キラキラしたドレスを着た人が私のお母様だって言うんだもの。


『あなたを手元に呼び寄せるお許しがもらえたわ』


 そう言って、お母様が私を連れ帰ってくれることになったの。お母様の再婚相手が私を養女にしてくれるんだって、無邪気に喜んだけど……まあ現実はそんなに甘くないわよね。


 私が連れて行かれたのは、想像していたような貴族様のお屋敷じゃなかったの。もっともっと大きな、ユハシュの王都にある宮殿だった。


 私はそこで初めて、お母様が国王の愛妾だったことを知ったの。しかも父違いの妹を――王女まで産んでいたのよ。




 妹って言っても相手は一国の王女様、私との立場は雲泥の差なわけ。私は王女である妹の遊び相手として王宮に呼ばれたの。将来は王女付きの侍女になれるようにね。


 お母様と貴族みたいな優雅な暮らしができるって思ってたから、さすがにがっかりしたわ。……確かに貴族令嬢になれたんだけどね。


 お母様が伯爵夫人の称号をいただいていたから、私は結婚するまでは『伯爵令嬢』を名乗っていいことになったの。田舎育ちの金貸しの娘にしては上出来なのかしら?


 それに『これであなたもいずれは貴族と結婚できるわ』って、お母様も喜んでた。王女の娘がいたって、田舎に置いてきた最初に生んだ娘のことを、お母様はずっと気にかけてくれていたのよ。私はそれだけで十分だったわ。




 そうそう妹の方はね、私よりも二つ年下よ。――はい、ごめんなさい。年齢に関しては完全にウソをついていたわ。サバを読むつもりじゃなかったけど、私の本当の年齢は教えていた年齢より上、二十歳なの。……まあ年齢詐称なんて、こうなった以上ささやかなことよね。


 妹はわがままで高慢ちきなお姫様――だったら、いっそお仕えし甲斐もあったかもね。あの子ったら、ぜーんぜん王女様らしくなかったのよ。気弱で恥ずかしがり屋で甘ったれで……まあ私にはすぐに懐いてくれたから、扱いやすくはあったけど。


 でもあの子がグズで不器用なせいで、側仕えの私は怒られてばっかりだったわ。ほら、王族の教育係って臣下だから、王女様を真正面から叱るわけにはいかないじゃない? だからそういう時は王女を通り越して私を叱ることで、正しい道を示すってわけ。本当、理不尽な立場よ。




 でも我ながら忍耐強く、うまいこと立ち回っていたと思うの。自分で言うのもなんだけど、私って要領だけはいいから。おかげで国王陛下からもお褒めいただいていたし、お母様も喜んでいたわ。


 他の令嬢たちからは『成り上がり』ってバカにされたけど、私に言わせればお門違いよ。だって成り上がりって中流階級のお家芸じゃない。不幸があっても、泣き暮らすしか能のない貴族のお姫様と私は違うの。……欲しい物は自分で()()に行く。当然でしょ?




 ……ただ、いくつか残念なこともあったわ。私は『自分』を取り上げられちゃったの。


 まずは髪の色ね。――ああ、ユハシュの宮殿で肖像画を見たのね。さすがに姉妹だけあって、私たち見た目がよく似ているでしょう? だから王女様より目立ったらいけないって、髪は染めるように言われたの。普段は地味なドレスを着て、分厚い眼鏡も掛けてたわ。


 でもそんなことはどうでもいいの。悔しかったのは、名前をあの子に奪われたことよ。……お母様も最初の頃は、きっと亡くなったお父様や私と離れて暮らすのが寂しかったのね。二番目に生んだ娘にも、私と同じ名前を与えていたの。『マレシカ』ってね。




 ああ、お母様のことは恨んではいないわ。ちょっと複雑だけど、それもお母様の私に対する愛の証でしょ? そこは仕方ないと思うの。


 でも、侍女として仕えるからには王女と同じ名前じゃ不都合があるって、私は『マレーテ』っていう新しい名前を与えられたわけ。


 ね、ウソじゃなかったでしょ? 本当の『マレシカ』はこの私。死んでなんかいない。生きてあなたの目の前にいるわ。








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