第85話 ローブの男は誰?
ロピュイはあの濃い宰相、ワウテドはあの素直な王だったために、そのままあの二国の仕業だとは思いにくかった。
だからこそトネットが犯人かもと思えば、なんだかピタリと嵌った気はする。
けれど、それはあくまで状況証拠に他ならない。
これがロピュイとワウテドなら、証拠があるからこそ堂々と抗議しに行くことはできた。けれどトネットにはそれがない。
確固たる証拠もなしに、一国に文句をつけに行くのはさすがに不味いだろう。
それにだ。ロピュイ、ワウテドだって、現状まだ犯人ではないと言い切れない。
たしかにそうじゃないだろうと思えるくらいの印象はあったが、出会ってたかだか数時間しか経っていないような人たちの心情を全て察することなどできないのだから。
そのまま二国が犯人という説もあれば、最悪三国全てがグルである可能性だってある。
これは証拠集めだけでも、長い戦いになるかもしれない……。
そんな陰鬱とした雰囲気の中、皆で頭を突き合わせてこれからの行動について話しあっていく。
「ようは証拠が欲しいってことだよねぇ。何かいい案ある? たつろー」
「さっきの尋問で出てきた"上官"たちにも話を聞いてみたいが、とりあえずそのローブの魔法兵の男の情報を、もっと集めたいな」
「ああん? でもさっきの尋問中にも聞いて回っただろ? もうこれ以上、情報はねーんじゃないか? マスター」
「たしかに話はそうなんだが、この人らがいたスラム街の住人の中には顔を偶然見たっていう人もいるかもしれない。そっちの聞き込みをしてもいいと思ってる」
「であるのなら、主様。リアさんに、あのイメージを紙にして出力してくれる魔道具を借りて、あの者たちにその魔法兵の男とやらの姿絵を描かせてみたらいかがでしょうか?
聞き込みにも役立つでしょうし、そこからでも何かヒントが得られるかもしれませんよ」
ミネルヴァになるほどと言葉を返し、竜郎はさっそく念話でリアに話をつけて、《アイテムボックス》経由で目的の魔道具である水晶玉を転送してもらった。
さっそく未だ催眠状態でうつろな表情なまま立ち尽くす襲撃者たちに玉を持たせ、そのときに見たであろう自国の魔法兵のローブを着た男の姿のイメージ画を、できるだけ鮮明に思い出すよう言い聞かせながら出力させた。──だが。
「これじゃあ、なんだか分からないよー?」
「曇りガラスを通して見たような絵だねぇ」
ニーナやノワールをはじめ、その絵を見て全員が首をひねった。
というのも本来なら写真と見まごうほど精巧な絵として、その水晶玉から紙が出力されるはずなのだが、出てきたのはまるでピントがずれた写真といったぼやけたもの。
魔法兵のローブはなんとなくピントが合っているように見えるが、肝心のその人物の口元の部分や、大まかな体格などは完全にボケていて分からない。
最初の人物はそれほどそのローブの男の外見を気にしておらず、既に忘れかけてしまっていたのだろうと結論付けて、それからまともな絵が出てくるまでとスラム街の住人たちにやらせてみる。
けれど全員が全員が、ピンボケした絵しか排出することはできなかった。
「どゆこと? 壊れて──はないみたいだし」
愛衣が水晶玉を手に取って試しに思い描いた光景を出力してみれば、ハッキリと竜郎が真面目な表情で机に向かっているときの横顔が写し出された紙が排出された。
愛衣はその絵をニコニコしながら満足げに見つめると、大事そうに自分の《アイテムボックス》に収納した。
それを見た竜郎も、試しに愛衣のちょっと色っぽい表情をしたときの絵を出力させる。
すると当然のように少し大人びた愛衣の絵が、ハッキリと映し出された紙が排出された。
だらしない顔でそれをみつめると、大事そうに自分の《無限アイテムフィールド》に収納した。
似た者バカップルである。
「魔道具の問題じゃねーみたいだな」
「なら催眠状態だから、ボケてるってことはないのかねぇ?」
あり得るかもしれないと、試しにスラム街の住人たちに自画像をイメージさせてみる。
「こっちは普通にできるな。ということは、呪魔法のせいでもない。となると外的要因か?」
「外的要因として考えられるものですと、主様が使ってる呪魔法と闇魔法による認識阻害などが考えられるでしょうか。
そういったスキルやアイテム持ちが、相手側にいる可能性が高いようですね」
「ってことはスラム街に行って聞き込みしても、大した情報は得られそうもないってことかぁ。
敵さんは徹底的に証拠を残さないように動いてそーだね」
余計に面倒なことになってきたぞと苦い顔をする竜郎たちに対して、積み木で楓と菖蒲がドミノを作成している様を寝転がりながらぼーっと手伝っていたフレイヤが口を開いた。
「もしそれが直接目に対して異常をかけるようなものではなく、認識を阻害する類のものであるのなら、なんとなるかもしれませんわー」
「え? どういうこと? フレイヤちゃん」
「それはですね、ニーナさん。私の持つスキル、《至上命令》を使えばいい気がしますの。
認識阻害とは認識しているのに、認識していないように脳を錯覚させるだけで実際には見えてはいるのですから」
ただ見ているといっても、認識できていないので脳内に記憶として残りづらい。なので認識阻害の範囲外に出ても、そのときのことを思い出すことはできない。
だがフレイヤの《至上命令》は、直接魂に命じ相手を意のままに操るスキル。
脳という人間の器官では記憶していなくとも、ちゃんと目で見ていたというのなら、魂にはそのときのことが蓄積されているはず。
であるのなら記憶というあやふやなものではなく、より生命の根幹に問いかけることで、脳には刻まれなかった記憶を呼び起こせるのではないかと考えたわけである。
「なるほど……。試しにやってみてもらえるか? フレイヤ」
「分かりましたわ」
「「うー?」」
一緒に遊ばないの? といった視線を向けてくる楓と菖蒲の頭を撫でてから、フレイヤは伸びをしながら立ち上がる。
そしてスラム街の住人たちの前にやってくると、その全員に対してスキルを発動させた。
<そのローブの男とやらの姿を、魂の底から呼び起こしなさい>
ビクンッとスラム住民たちの体が震え、催眠状態のときのゾンビのような意思や感情の無さとはまた違い、どこか人形めいていながらも、その人間の強い意志のようなものが目に宿りはじめた。
そして全員が死に物狂いで魂から記憶を呼び起こし、脳に刻みなおし、ボケたイメージを補強していく。
<ではもう一度、その男と出会ったときのことをイメージしながら、この玉を持って、順次出てきた紙をご主人様に提出なさい>
「「「「「はい」」」」」
催眠状態とは違うハッキリとした声で返事をすると、機械が如く魔道具を順番に手渡しながらイメージ画を竜郎に提出していく。
それらは全て先ほどのピンボケ絵が嘘のように、件のローブの男がハッキリと描かれていた。
脳は誤魔化せても、魂レベルで偽装することはできないと証明された瞬間である。
「これって俺の認識阻害でも、同じようなことになるのか?」
「できるとは思いますの。ただ強力なほど脳や目が認識を放棄しているので、魂経由で思い出させるのに時間がかかりそうですが」
「といっても、ここまで魂を縛れるスキルでもない限り不可能でしょう」
ミネルヴァが呆れたような声音でそう言いながら、竜郎に次々と渡されていく紙の男を調べていく。
全員が同じようなローブの男をイメージしているが、それでも構図がそれぞれ違うので角度を変えて見ていける。
中には足跡まで映してくれているものまであった。
「幾つかの絵に見受けられる、足跡の大きさや沈み具合。手の形、肩幅、唇の大きさ、鼻先の見える位置。それらも多数一致してます。これなら全て同一人物だと断定してもよさそうですね。
他にもこの絵に写っている手の平のタコ、ローブ越しの肩の盛り上がり具合から察せられる筋肉の付き方。
足跡から割り出される大よその身長や体重から察せられる筋肉量からして、おそらく魔法使いではなく、武術系の人間だと推測されます。それなりに鍛えているようですね」
「凄いね、ミネルヴァちゃん。鑑識さんみたい」
「ありがとうございます、アイさん。ですが解魔法を補助に使えば、そんなに難しいことではないんですよ」
とはいえ実物からではなく絵から推測するには、元から蓄えられた知識も必要になってくる。
少なくとも竜郎では、ここまで正確に推測することはできなかっただろう。
「それだけ情報があれば、同一人物が見つけられるか?」
「解魔法でパーツごとに調べさせてもらえれば──というところですかね。
まずどこにいるかも不明ですから、かなりの重労働になりそうです。
まあ、やれればの話でもありますが……」
「確固たる証拠もなく、好き勝手に解魔法で調べ回るのは不味いだろうしなぁ」
他人を魔法などを使って解析する行為は、とてもではないが褒められたものではない。それをするなら相応の理由が求められる。
大規模に調べ回るとなると隠蔽は難しいし、かと言って小規模に地道に調べ回るのはかなり大変な作業だ。
こんなことになんで時間を取られなければいけないんだと、竜郎が頭痛すらしてきたとき、兵たちの方でも、もう一度ローブの男について知らないか魂に問いかけて徒労に終わったフレイヤが戻ってきた。
そして即興で作った土の机のうえに並べられた、口元と鼻先くらいしかみえないローブの男の絵を何の気なしに手に取り、ここで初めて目にする。
「あ──、この方なら見たことありますの」
「「「「「「「…………………………は?」」」」」」」「……………………ピュイ?」
チラリと見るなり、まさかの発言をぶちこんでくるフレイヤに、本人と楓と菖蒲以外の全員が一瞬固まってしまう。なにを言っているんだと。
「いやいやいや、待ってよ、フレイヤちゃん。これ顔が半分も写ってないんだよ?
ほんとにそれで、見たことがある人かどうかなんて分かるもの?」
うんうんと愛衣の言葉に頷く一同を見て、今度はフレイヤの方が何を言っているんだと首を傾げた。
「口の形は個々で微妙に違いますわ。見たことがある人物なら、口だけでも誰かくらい分かりますの」
「えーと……え? フレイヤちゃんって、口だけでも誰か分かっちゃうんだ……」
「ちょっと確かめてみましょう」
そんなのありえるの? と愛衣が呆然とする中で、ミネルヴァがフレイヤにあさっての方角を見るように指示してから、イメージを写した紙を排出する魔道具を片手に襲撃者たちの口だけを写し出した紙を用意していく。
それらを自分だけ分かるように裏面に小さく名前を書いていき、シャッフルしてからフレイヤに見せていく。
するとフレイヤは口だけ写された紙を見ただけで、どの口が誰の口かいっさい間違えることなく解答してみせた。
しかも楓と菖蒲と積み木で遊んでいて、顔はちらりと見た程度であったにもかかわらず、あの場にいる集団全員の名前と顔を完全に把握していた。
面白がってニーナが今度は片目だけ、鼻だけ、耳だけと、さまざまな顔のパーツでも質問してみれば、そちらも全問正解。
「スゲーな……。フレイヤ、おめーそういうスキルでも持ってんのか?」
「はい? スキルなんてありませんわ、ガウェインさん。
というより一瞬でも見たことがあれば、全部覚えられますわよね?」
「んなわきゃないんだけどねぇ。どうなってんだい、このお嬢ちゃんの頭の中は」
人間よりも高次元的存在であるダンジョンの個であれば、忘れるということはない。
けれどそんな人の顔の一部のような細かな部分まで、いちいち記憶できるかといえばノーである。
だが実際に、こんなことをされてしまえば信じるほかない。
「じゃあ改めて聞くんだが、フレイヤ。このローブの男は誰なんだ? 教えてくれ」
「トネットの王と話すときに入った応接室で、扉の開け閉めをしていた兵士のかたですの。ご主人様も会ってますわ」
「開け閉めしてくれていた人がいることだけは覚えているが、その人の顔なんて一ミリも覚えてないんだが……。愛衣たちはピンときたか?」
「ううん、ぜんぜん。私も、たつろーと同じ感じ」
あの場にいたフレイヤ以外のメンバーは誰も、「ああ、そうだった」とはならなかった。
追加でその扉にいた兵士の顔をフレイヤに魔道具で絵を写しだしてもらったが、何も目立った箇所がない普通の男。
数歩町を歩けば、こんな人いるよねといったくらいに凡庸な容姿。
美形だとか、不細工だとか、鼻がやたら大きいだとか、そういう特徴が一切ない。
この人物をたった二度のすれ違いざまに見ただけで、覚えていろと言われる方が無理だろう。
「ですがフレイヤさんが言うのなら、確かめてみる価値はあるでしょうね。どうしますか? 主様」
「これだけのことをされてしまえば、信じざるを得ないよな」
何十枚と重ねられた、顔のパーツ当てクイズに使われた紙に視線を向け、もう用はないとばかりに火魔法で燃やし尽くす。
そしてやることは決まったとばかりに、竜郎は全員を見渡した。
「そうとなれば、もう面倒だ。この男を今から密かに拉致ってくる」
「いきなり誘拐宣言!? あー……でもまあ、そっちの方が手っ取り早いよね。この人たちの"上官"だって、何も知らない可能性だってあるんだし」
「そういうことだな。どっちの国にも顔を見せたこいつなら、何か別のことを知っているに違いない」
これまでは根拠すらなかったので、ここまで思い切ったことはできなかったが今はそれがある。
ならば証拠など後からいくらでも叩きだしてやろうと、竜郎は決断を下す。
「ってことでミネルヴァ、フレイヤ。確認のために一応ついてきてくれ」
「はい」「了解ですわ」
「「あう!」」
ササッと行って帰ってくるだけなのだが、それでも竜郎が離れていく気配を察して楓と菖蒲が立ち上がる。
遊んでいた積み木のドミノがその衝撃でカタカタ音を鳴らして倒れていくが、2人の意識は既にそこにはない。
やっぱり連れていかなきゃダメかと苦笑しながらも、竜郎はこの場を残る愛衣たちに任せ、認識阻害をかけてからトネットの王城へと転移した。
それから10分後──転移した竜郎たちは、完全に催眠状態に陥っている1人の男を連れて戻ってきた。
「はいどうもー。この人がローブの男こと、ジョンくんです。なんだか、いろいろ知ってるみたいですよ。
表の名前はジョージ・ハウスらしいですが、本名はただのジョンくんです。皆、仲良くしてくださいねー」
「「はーい」」
竜郎の悪乗りな紹介に、愛衣とニーナがノリよく手を挙げたのであった。
次回、第86話は7月26日(金)更新です。




