第427話 祈りの形
今だ世界は安定しておらず、神々も試行錯誤を重ねていた古き時代。
その土地はそんな時代のある時期に、世界力の循環不良で停滞したエネルギーによる魔物の発生や天災に異常気象。
そこで生きる者たちにとっては最悪の状況に次々と見舞われ、家族や恋人を失い自ら死を選ぶものが出てしまうほど救われない土地となってしまっていた。
だが神たちも黙ってみていたわけではない。
何とかしてその地に停滞しているエネルギーを消費しようと、大掛かりな仕組みを早急に導入しようということになった。
そこで候補に挙がったのは、手探りで試行錯誤していた世界力消費の手段の一つとして実験運用段階であったダンジョン。
迷宮担当の神も世界によって生み出され、仕組みはかなり複雑だが安定した運用もできるようになってきていた。
それ一つの生成だけで周囲の溜まっていた世界力を大量に消費でき、運用するだけでも世界力は減っていく。
これならば一発で、その悲惨な状況を打破できると導入が決定される。
結果として迷宮神の力によって、その地にダンジョンが発生した。
思惑通り魔物の発生も減り気候も安定していったはいいが、住民たちはダンジョンなど知らない。
突如現れた光り輝く湖のような入り口に戸惑い、またそれが発生してから状況が良くなったことで神聖視し崇めだした。
当時はダンジョンの存在などまったく知れ渡っておらず、それでなくてもその地は田舎で新しい情報も入ってき辛い。
そんな住人たちの前にそんなものが突如現れれば、そうなるのも無理からぬことだろう。
突如現れた得体のしれないものを恐怖の対象として見るか、神聖なものとして見るからなど、当時の何でもいいから救いを欲していた住民たちからすれば後者を信じたいと思うに決まっている。
だが神聖視したことで、時間が経つほどに困ったことにもなった。
神聖なものだからこそ、簡単に触れてはいけない。
もし触れて何か変わってしまい、元の最悪な状況に戻ってしまうのが恐かったというのもあったのだろう。
人々は遠巻きに崇めるだけで、誰もダンジョンの中に──その光り輝く泉の中へ入ろうとしなかった。
当時のダンジョンのできがまだ甘かったというのもあったが、挑戦者が誰もいないせいで期待していたほどの世界力の消費ができなかったのだ。
そのせいでまた停滞しはじめる世界力。かといってそういくつも大掛かりな手段をとっていては、余計にバランスが壊れてしまいかねない。
セテプエンイフィゲニア率いる竜たちや、クリアエルフたちも他の地で奔走していて手が回らない。
それでも何とかしてそのダンジョンの運用を軌道に乗せたいと、一人の男を神の使途として選び力も与え、挑戦者になるように促した。
一番素養がありそうな者を選びはしたが、当時の不安定な時世もあって神も上手く事を伝えきれない部分が多々あったが、それでも大よそのことはちゃんと伝えられた。
男は信心深く、すぐに神の言葉だと信じ行動に移した。
神の言葉は届いていないが、昨日までは使えなかった力を使う男のことを住民たちは泉に選ばれし者と称賛して信じ、ダンジョンの入り口に入ることを誰もが賛成した。
かくして男は最初の挑戦者となって、ダンジョンに挑戦。
最初に抱いた感想は驚き。神の曖昧にしか伝えられなかった情報のせいもあって、別世界が広がっていることを想像できていなかったのだ。
そして入ってすぐ挑戦者をずっと待ち続けていた魔物たちが、ようやく出番が来たかと群がってくる。
「これは俺に与えられた神からの試練に違いない」
男はすぐに順応し、襲い掛かる魔物も神にもらった力で倒して進み続けた。
植物を主としたダンジョンということもあり、あちこちで食料や水も手に入り飢えることもなく喉が渇くこともないままに。
そしてあることに気が付いた。魔物の脅威こそあれど、それを除けばこの地はあまりにも恵まれているのでないかと。
階層によっては酷い嵐のような場所もあったが、杓子定規にその場所はこういう場所だと決まっている。
ほとんどは地震や嵐もなく、自然の理に反した無茶苦茶な気候変動もない一定した空間。
水源は豊富で土地も豊かで食にも困らない。
故郷では井戸が突然枯れたり、土地の栄養がいきなり失われて作物が全て台無しになったりなんてこともあった。
そういったことはダンジョンの生成でかなり緩和されたが、それでも最近は挑戦者がいなかったことで妖しい雲行きを住民たちも感じていた。
またあの地獄がはじまるのではないかと、日々おびえながらダンジョンの入り口に向かって祈りを捧げていた。
そんな故郷で起きた惨状を見てきた男にとっては、ダンジョンの中こそが楽園のように思えた。
「俺たちを哀れんだ神々が、このような場所を用意してくれたのか?」
微妙に間違っていないが、正解でもない。
神たちも哀れみを抱くことくらいはあるが、あくまで人間の事情は二の次で、世界の安定こそが最優先。
そのために必要な処置だったというだけなのだが、男にはそう思えたようだ。
そして男は辿り着く。ダンジョンの個が遊び心で作った、黄金の大樹がある階層に。
「なんと美しい場所なんだ。やはり耐え続けた俺たちのために、用意された楽園に違いない……」
そこはただの休息のための階層のような場所で、魔物も他の層と比べれば強くない。
神に貰ったような強い力がなくとも、ちゃんと鍛えれば普通の人間でも対処できるレベルの魔物しか出てこない。
気候も穏やかで、わざわざ苦労して作物を育てずとも勝手に瑞々しい野菜や果物があちこちで生えてくる。
どれだけ収穫しても次の日には元に戻り、驚くほど綺麗な湧き水も永延と流れ使い放題で枯れる気配もない。
この頃はちゃんと朝と夜も存在し、生活のサイクルもちゃんとある。
極めつけに、神の造物としかいいようがない黄金の大樹。
力を渡され、神にこの地に行くように言われたという状況からも、男にはもうそうとしか思えなかった。
「この大樹は泉の神が顕現した姿に違いない。
俺は皆をここまで連れてくる先導役を任されたんだ」
男は証拠となる黄金の葉を何枚かカバンに詰め込み、出口を探して最後のボスを倒しダンジョンを制覇した。
ダンジョンの初踏破の特典として与えられる質問で、彼はダンジョンの中に住んでいいのか尋ねる。
ダンジョンの個としても、気合を入れて作った大樹を神とまで言って称賛されたことを喜んでいた。
そして別にダンジョンの中で住めるのなら、拒否する必要もなかった。
むしろ神々としても住み込みで世界力を消費してくれるなら、それでもいいじゃないかとそちらも拒否せず「好きにしろ」と統括神はダンジョンを通して男に伝えた。
男はダンジョンを出ると、そこで見たものを説明し移住を持ちかけた。
これまでの地獄を耐え抜き、生き抜いてきた自分たちを神はちゃんと見てくれていた。
だから我々は神の世界に招かれたんだと、とても人の手では作れない黄金の葉を持って訴えかけてくる男の話を誰もが疑わず、ダンジョンの中で住むことを決心した。
男は自分が守れるだけの人数を引き連れ、黄金の大樹の階層まで送り届けてはまたボスを倒して帰還し、次の住民を──と繰り返した。
近くに住まう別の村民たちも泉を崇めていたものは多く、そちらにも声をかけて希望するならとダンジョンに招き入れた。
最終的にそれなりに大所帯となり、男はダンジョンの民をまとめるリーダーとなった。
「この地に住まうことを許してくれた神に祈ろう!
我らの安寧と繁栄に感謝を──」
誰もが祈った。その大樹を神と見て。
その頃は、ただの祈りの象徴でしかなかった。
寺にある仏像を拝んでいるようなものだ。
特に害もなく男の人生は終わりを告げ、その一族が自然と長役を務めるようになって代を重ね、何年も祈り続けた。
ダンジョンの個にも、その崇拝ともいえる強い想いはちゃんと届いていた。
捧げ物と言ってダンジョンで採れたものを大樹に並べてられてもとは思いつつも、本人もその気になってきて、そこに住まう人間たちにも愛着のようなものを抱きはじめていた。
そんな時代に男の子孫であった長役は、純朴な黄金の大樹の民たちの中では珍しく野心が強かった。
より特別な存在であってほしいと、自分の祖先のことを神格化し皆に話を広げていった。
特別な存在、神に選ばれし使徒の血を引く自分であると知らしめたかった。
だからただ神に、ダンジョンに、日々の安寧に感謝するだけだった単純な構造だったのをより複雑にし宗教に仕立て上げ、いかに苦労して自分の祖先はこの地にたどり着いたのか話を大きく膨らませ、とてつもない試練をこえてここまできたのだと吹聴した。
お前たちはただ選ばれし者に連れてきてもらっただけにすぎず、厳密にはこの地にいることを許されているわけではないと、遠回しに下に置くような教義を巧みに浸透させた。
反発する者もいたが、狭いコミュニティだ。
村八分にされては生きていけないと、その教義も受け入れられ、また時代が進む。
野心の強い男は寿命で死んだが、教義は変わらない。むしろより大げさに、まるで壮大な物語のように最初の男は大冒険の末に、この素晴らしい地に辿り着いたのだ。そして選ばれたものしか見られない、素晴らしい景色をその男だけが見たのだと、代を重ねるほどに尾ひれが追加されていった話が語り継がれ──より特別な一族として、最初の男の子孫たちはもてはやされた。
だがその教義が浸透したら浸透したで、人々の中には自分にも試練を受けさせてほしいと考える者が出はじめた。
真にこの地に住まうものと認められるには、その試練を受けるしかないのだと信じ、次第に祈りの中に懇願が混ざりはじめる。
「どんなに辛い試練でも私は耐え抜いてみせます」
大概がそんなことを懇願し、どんな恐ろしい試練なのか頭の中で思い描いてしまう。
ダンジョンの個はそんな彼らが思い描く思念を受け取り、それが自分が気に入った者たちの真なる願いなのかと考えるようになってしまった。
この地に住まうには、資格が必要なのか──とも。
試練を受けたいと本気で思っていたのは、ごく一部だった。
けれどどうせそうはならないだろうと想っていたからこそ、住民たちも「受ける機会がないから受けられないだけ」というスタンスで、祈りのついでに自分も試練を受けたいですと社交辞令的に願う者が多かったのも良くなかった。
そもそも人と違う次元に生きるダンジョンの個が、それもまだ発展途上の段階で生み出された存在が、真に人の考えを理解し共感できはしないのに願い続けてしまった。
「なら──それを叶えましょう」
ダンジョンの個に悪気は一切なかった。
むしろ自分のダンジョンに住まう人々の営みを観察するのが好きだった。
彼らを我が子のように可愛いとすら感じていた。
でもだからこそその願いを叶えたいと思ってしまい、ダンジョンという枠組みが変化してしまう。
人々はダンジョンから黄金の大樹の階層より一人また一人と追いだされ、強制的に試練を受けさせられた。
竜郎たちが味わったような灼熱地獄や氷雪地獄のようなものを。
だがそんなもの、一人として耐えきれるわけがない。
すぐに死んでしまい、ダンジョンの個は困惑した。
耐えきれると思ったから、そんな苦行を想像していたのではなかったのかと。
「仕方のない子たちですね。なら耐えられるように、お手伝いしてあげましょう」
できの悪い子ほど可愛いとでも言うのか、ダンジョンの個は肉体があるから耐えられないのだと、苦行の一つとして考えられていた即身仏にでもなるような工程を強制的に取らせ、より身綺麗な状態で肉体を捨てさせ魂だけにしてから挑ませた。
だがやたらと抵抗しようとしたり、魂だけになっても耐え切れずに消滅してしまう。
「余計な意識があるから、辛いと感じるのです。それを消してしまいましょう」
そして完成する。とある男からはじまった余計な教義を引き金とし、盛大に膨らんだ物語を体現する最悪の地獄が。
だが最後はこの地に住まうことが認められ、愛する大樹の下でいつまでもいられる天国に辿り着けるのだとダンジョンの個は満足する。
けれど魂がそこでいつまでも停滞してしまっては、世界力の流れを乱してしまう害あるダンジョンになってしまう。
そこで迷宮神は魂を浄化してほしいとダンジョンの個に頼み、ダンジョンの個は自分を崇める民たちと一緒にいたいとごねた。
だがそんなものは認められない。
ならば自分も消えてやると、その仕組みだけを残し自らもダンジョンの個は消滅を選んだ。
一緒に消えればあの者たちも寂しくないだろうと夜空の光の一点に自分を加え、僅かに自分の因子を黄金の大樹に植え付け、いつまでも待っていると。
あまりにも予想外のことに迷宮神だけでなく、他の神々も度肝を抜かれた。
残されたのはダンジョンではなく、個の暴走によって生まれた謎の小世界。
管理するものが消えたせいでより形が歪み、無限に人も魔物も虫も関係なく生命を呑み込み、強制的に曲解された試練を与え、天国までの切符を押し売りしてくるとんでもないものができてしまった。
「なんで神たちは消さずに、大事に取っておくんだよ……」
「迷宮神さんが消すのは可哀そうだと思ったとか?」
「ヒヒーーンヒヒヒーーン(あっても世界の安定に害はなくなったわけだしね)」
その世界を維持するのに世界力を自動で消費し続け、魂も綺麗な形で還元してくれるため、たまに頑固な汚れのように残って流れを乱す余計な残留思念もない。
かなり特殊ではあるが、害はなく有益なものではある。むしろ今後の安定化の参考になるかもしれないと、一つのサンプルとして残すことになった。
神とはそういうもの。世界の安定のためなら、多少の生命の犠牲は仕方ないと割り切れる者たちが、竜郎たちのいるこの異世界を管理しているのだ。
「あぁ……どれほど見ていても飽きない……なんて美しい光景だろう……」
真実を知り見る目が変わってしまった竜郎たちだが、こちらの会話など全く聞こえていないオーベロンだけは最後まで幸せそうに、ありがたそうに──その景色を見続けていた。
次も木曜日更新予定です!




