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食の革命児  作者: 亜掛千夜
第二十章 食への感謝祭編

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第394話 一つ目の契約履行

 本人の希望も聞いたうえで、セオドアの処遇は半分決まった。

 半分というのは最後は自分の力で、100万シスという大金を一月で稼がなければ、竜郎たちがここで行った交渉も全て意味を無くし、彼は死ぬことになるからだ。

 逆にいえばそれさえクリアできれば、彼は晴れて自由の身になれるということ。

 そのための権利を得るためにも、今からここで彼は大事なものを失うことになる。



「それじゃあ、これが新しい契約書よ。確認して」

「あ、ああ……」



 サヴァナの同意の元、前回の契約書が破棄された。

 そして新たに出された契約書を竜郎たちも一緒に立会人として読ませてもらい、契約内容に問題はないと判断したうえで本人にも、ほぼ正気を取り戻した状態で上から下までしっかり読み込ませた。



「問題ないのなら、ここにサインをしてちょうだい」

「分かった……」



 サヴァナから渡されたガラスペンを震える手で握ると、セオドアの血を自動で吸ってインクとする。

 ガラスペンの先端が血の赤で染まり、セオドアは自分の名前を契約書に刻むように一文字ずつゆっくり記していく。



「結構──」



 セオドアのサインが間違っていないことを確認すると、サヴァナは拇印を押すように親指を押し付ける。

 その個所から波紋が広がるように契約の魔法陣が浮かび上がり、セオドアが淡い光に包まれていき……。



「……ぇげっ」

「おい、どうし──」



 ほぼ本人の意識のまま呪魔法を保っていたのだが、突然隣にいたセオドアが痙攣しはじめる。

 どういうことかと身構える竜郎たちだったが、サヴァナは右手の平を彼らに向け、落ち着きなさいとばかりに制してきた。



「書かれていた契約が一つ、履行されるだけよ」

「ァ────ガァアアアアアア──ギッ……グッギュッウゥウウウウウウウウガガアアアアアアアアアアァーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」

「本当に大丈夫なの、これ!?」

「死にはしないから安心して。契約はちゃんと守るから。

 ただ死んだほうがマシと思える激痛が、少しの間続くだけよ」

「それはそれで、大丈夫じゃない気がするんだが……」



 確かに竜郎が解魔法でさらっと体調を調べた限りでも、肉体自体は元気そうだった。

 けれどそうだったとしても竜郎たちが顔を引きつらせるほど、セオドアは股間を押さえもだえ苦しみながら、顔中から汁という汁を垂れ流しながら絶叫をあげていた。

 その姿は筆舌に尽くしがたい情景であり、あまりの痛みによるストレスからか、彼の髪ははらはらと抜け落ち薄くなり、さらに色素が抜け白髪に変わってしまう。



「そろそろね──きた」



 路傍の石コロのように彼を放置しながら悠然と座っていたサヴァナだが、ようやく彼の方へ視線を向ける。

 するとセオドアの体から薄紫色のもやがにじみ出し、それが彼女の手の平に集まり吸い込まれていく。



「それはなんですか?」

「未来へ血を、生命を繋ぐための力──といったところかしら。寿命ほどでないにしろ、これでも足しにはなるのよね」



 そんなことは事前に聞かされていなかったが、そもそもどうやって去勢するかも聞いていなかった。

 どうやったら説得できるのか──という一点に注意を割きすぎて、そして説得できたことに安堵しすぎたためか、その点について完全に竜郎も愛衣も失念していた。



(あるいはそう誘導されてた……?)



 別に魔法のような力で強制的にそうしたわけではないのは、竜郎もよく分かっている。

 もしそんなことをしようものなら、等級神や魔神なんかが向こうに警告を出し、こちらに知らせてくれるはず。

 故にもしそうであるのなら、完全に彼女自身の話術によるもの。

 そんな誘導をされていた自覚はまるでないし、ただの言いがかりという線ももちろんあるのだが、神たちから聞かされている彼女ならあるいは……とどうしても思ってしまう。


 だがそうであろうとなかろうと、正直竜郎たちが損したわけでもない。最初に説明されていたとしても、回収することに反対することもなかっただろう。

 セオドアとしても、どうせ無くなるものを有効活用できる形にリサイクルされただけ。不当なことをされたとは言えないので、詰めるほどの事でもない。

 そのため竜郎もそれ以上は追及せずに、むしろ自分が太刀打ちできない頭脳の持ち主に言及して、余計なしっぺ返しを貰うのも嫌だと素直に引いておいた。

 それにわざわざそんな遊びのようなことをして、竜郎たちの心証を悪くしても彼女にとってメリットはない──はずだ。

 考えすぎて、逆に疑心暗鬼になっているのだろうと納得もする。



『あれこれ無駄に頭を使わされて、正直この人の相手はしんどいな。

 こんなことなら、リゲンハイトにお願いして付いてきてもらうべきだったか』

『あー、天才には天才をってやつだね。実際どっちの方が頭いいのかな?』

『さすがにサヴァナな気はしてるけどな。

 神が関心を持つ分野に手を出していないだけで、リゲンハイトもそれくらいの頭脳なのかもしれないが』

『まぁどっちにしろ、私らみたいな普通の頭脳の持ち主じゃ、比べることすらできないね』

『そういうことだな』



 竜郎たちと親しい人物の中で、おそらく最も頭がいいのは竜王種である天才王子──リゲンハイト。

 彼ならばセオドアに痛みがあることを、覚悟させる程度の情報は事前に聞き出せていたような気がする。

 とはいえ最近はイシュタルの娘のことで、未だに竜大陸は上も下もお祭り騒ぎで忙しそうなため、いきなり来てくれといっても無理だった可能性が高い。



「は──……ぁ…………」



 全てサヴァナが回収し終わると、セオドアの痛みが完全に引き、震えながら何から身を守るように丸くなっていた彼の体から力が抜けていく。



「大丈夫か?」

「ぁぁ……らぃしょぉぅ」



 叫び過ぎて喉が枯れたのか、はたまたそんな気力もないのか、セオドアは何とか竜郎の補助を得て座りなおした。

 解魔法で診断した結果では命には別条なし、不当に寿命が吸われた形跡もなし。

 ただこれまでの人生で一番辛かったできごとだったためか、せっかく竜郎たちに保護されちゃんとした食事をとることで肉が付いてきていたというのに、この短い時間でさらに痩せてしまったようにも思える。

 目は血走り息は絶え絶え、白髪も相まって老人を思わせるような覇気の無さも感じられた。



「酷いありさまだけど、ちゃんと食べて寝ればすぐに元に戻るわ。髪の色は……そのままかもしれないけれど」

「みたいですね。けど、この覇気のない感じは治るんですか?」

「覇気がないのは、男としての機能が枯れたせいもあるでしょうね。あれは完全に性欲すら失わされるものだったから」

「そ、そうなんだ……。でもそんな調子で、これから1ヵ月の間に100万シスも稼げるのかなぁ」

「それはそこの男しだいね。けどこれで、余計な欲望への未練も経ち切れたのではないかしら。

 彼が理想の冒険者になりたいなんていうのは、子供の頃こそ純粋な憧れもあったのでしょうけど、大人になっていろいろ知ってしまったら別の欲望も出てくるのでしょうし」

「ああ、それは確かにそうかもしれませんね」



 有名な冒険者ともなれば、女性にもモテる。世界最高ランクの冒険者になって、女性をはべらせたいなんていう妄想もしていたのかもしれない。

 それにこれで余計な功名心や自己顕示欲も、性欲と共に消えたようにも思える。

 今となっては、何故そんな道をこんなになってまで歩み続けていたのか──と。冷静に現状を考えられるようになった今、過去の自分を悔いることができるようになっていた。


 竜郎はせめて自分で歩けるように、喋れるようにと、生魔法で疲れ切った体に活力を取り戻させ、枯れた喉を癒した。

 頃合いを見計らい、落ち着いたところでサヴァナが一枚の用紙をセオドアへと差し出してくる。



「はい。これがあなたが今結んだ、契約書の控えよ」

「ああ……」



 もはや契約書を見るのすら恐いのか、全身が恐怖で震えあがっていたが、サヴァナの有無を言わせない雰囲気に反抗するだけの勇気もなく、大人しく自分の手でそれを受け取った。



「それは、あなたが持っているべきものよ。それがあなたにとって、最後のチャンス。

 それを逃したらもう、誰もあなたなんて助けてなんてくれないのだから、肝に銘じておくことね」



 そう言われたセオドアは、その紙切れをもう一度ちゃんと読み返し、丁寧に折り畳んで自分の懐に大切そうにしまった。



「あれだけの痛みと、男としての機能も欲望も代償として支払って、それでも頑張れないのなら、あなたはもう誰にも迷惑をかけずに勝手に死になさいな。

 いったいこれから、あなたがどうなるのか。私としてはどうでもいいから、好きにすればいいわ」

「……本当にそうだ。ここまでやって頑張れないで死ぬなんて、本当に馬鹿みたいだ。

 タツロウさん、アイさん。サヴァナさん。俺みたいな大馬鹿者に、最後のチャンスをくれてありがとう……。本当に感謝してる」



 セオドアはテーブルに額を擦りつけるように押し当て、竜郎たち三人へ心からの感謝を伝えてきた。

 男としての欲望も夢も捨てられたことで、ようやく周りの人にどれだけの迷惑をかけてきたのか、考えるだけの余裕もできたようだ。

 竜郎と愛衣がどれだけの時間と労力を割き、精神をすり減らしながらこのチャンスを掴み取ってくれたのか。

 そんな義理もないというのに、竜郎たちが差し出したものとて他の物で交渉することだっておそらくサヴァナならできたというのに、自分にチャンスをくれたこと。

 ──それらへの感謝を。


 サヴァナからすればセオドアなどどうでもよく、ただ竜郎たちの顔を立ててのことだったのだが、それでもセオドアは自分以外の人の気持を考えられるようになったからこそ、心からの感謝の言葉が自然と出ていた。



『これならもう、アーロンさんに会わせても迷惑かけたりしないかな?』

『たぶんな。なんというか、あの濁ったようなネチョネチョした嫌な目じゃなくなってる』



 竜郎たちから見ても、ようやくここに至って本当の成長をしてくれたように感じられ、これまでの苦労が報われた気がして嬉しく思っていると、頭をあげたセオドアが真っすぐこちらを見つめてきた。



「恥を忍んで頼みがある。タツロウさん、あんたたちはなんかスゲー地位のある人たちなんだろ?」

「一応、そういうことにはなっているな。それがどうしたんだ?」

「今更俺がどうあがいたって、今から月100万も稼げる仕事なんて見つけられっこねぇはずだ」

「まぁ……ちょっと厳しいよね」



 冒険者ごっこを大人になっても続けていたような男だけあり、冒険者としての実力も下級並み。荒事は難しく、かといって他に一月で100万も稼げる仕事につけるだけの能力もない。

 自力での達成では到底無理だと、冷静に今の自分を見つめてセオドアも気付いていた。



「だから厚かましいってことは分かってる。分かってるが、どうか俺に職を紹介してくれねぇだろうか。

 なんだってやる。どんな辛いことだって、さっきの痛みに比べたら大したことはねぇはずだ。

 一月で体がボロボロになっても構わねぇから、この最後のチャンスを、俺が唯一残してくれと望んだ命を繋ぎ止めるために、どうかっ、どうかっ」



 最後は座っていた椅子から降り、土下座までして一回り以上年下の竜郎や愛衣に訴えかけてきた。

 だがそもそもそのつもりでもあったし、なんのコネもない彼が自力で一月限りでいいとしても、月給100万の仕事を見つけられるとも思っていない。

 竜郎は彼の骨ばった肩を掴んで、頭を上げさせた。



「分かった。なんとかこっちで良さそうな仕事を探してみよう」

「ほ、本当にっ?」

「ここまでやったんだから、最後の最後にそれくらいは面倒みてあげるって」

「ありがとう…………ありがとうっ…………」



 セオドアはまた一縷の希望を繋いだと、涙を流し喜んだ。



『けどさ、たつろー。そんな仕事に心当たりってある?』

『………………ない。どうしようか、まじで。リオンに相談してみようかな』



 ここまできたのなら、ここまで手を尽くして頑張ったのだから、なんとかしたい。だが現実問題そんな美味しい仕事があるものだろうかと、また頭を悩ませるはめになる。

 そしてそんな三人をサヴァナは、最後まで冷めた目で眺めていた。

次も木曜日更新予定です!

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