第335話 死の森の中
町を出て少し進んだ辺りに、死の森は広がっている。
事前に聞いていた通り森林浴や山菜採りにやってきたお年寄りなど、どうみても戦えるとは思えない一般人が普通に出入りしていた。
誰も彼も警戒した様子はなく、呑気に談笑しながらマイペースに過ごしている。
「「うぅ~~~♪」」
「ほんと長閑だねぇ」
「ニーナ、お昼寝したくなってきちゃった」
「植生も豊かだし、食べられるものが多いね。確かに山菜やキノコ狩りなんかにも最適な場所だ」
「いやいや、遊びに来たわけじゃないですからね? 正和さんも」
今の天気は日も照ってきて少し暑いくらい。しかしこの森の木々が日を遮り、木陰に入れば爽やかな風が吹き抜け心地よく、自然の香りが心穏やかにしてくれる。
そこいらの木にハンモックでも吊るしてゴロンと寝ころべば、あっという間に睡魔が目蓋を下ろしにやって来ること請け合いだ。
「まあ、そう言いたくなる気持ちも分かるけどな」
その和やかな空気感にあてられて、皆が好き勝手に散らばりそうになるのを抑えている竜郎ですら、森林浴を楽しみたくなるような場所だった。
だが今日は遊びに来たわけではない。後ろ髪引かれる想いで、既に木の根元に寝転がっていた楓と菖蒲を抱き起こし、皆を連れて奥へと進んでいく。
「奥に入っていく僕たちに、誰も注意しないんだね」
「もうたつろーが認識阻害の魔法使ってるからじゃない?」
「そういうことですね。何が起きているのかもよく分かってないですし、できるだけ魔物にも侵入を悟られたくないので」
「確かに僕らがいることが分かってたら、普段通りの行動はしてくれないだろうしね。納得だ」
これまでずっと生息域を広げず引きこもっていたはずの魔物が、何故ここ最近の調査で町の方へ広がりだしていると判明したのか。
その調査をするためにも、現状の死の森に住まう魔物たちの日常生活をある程度観察しておく必要がある。
竜郎たちは森で過ごす人々からどんどんと遠ざかっていき、人気のない奥の方へと歩みを進めた。
「ちょっと蒸し蒸ししてきた?」
「入り口の辺は人の手も入ってるだろうし、風の通りも良さそうだったからな」
「逆にこっちは木々の密度も上がってきているし、湿った空気になりやすいのかもしれないね」
「さっきの方が気持ちよかったなぁ」
「「あぅ……」」
森の奥に進むほど薄暗くなり、湿度も上がっていく。足場も人が本当に踏み入っていないことを示すよう、デコボコで一切踏み固められた様子もない。
「それだけ、この森の奥は恐いって周知されているんだろうな」
「けど冒険者ギルドの話だと、調査の人は定期的に来てるんだよね?」
「そういう人たちはプロだろうし、自分たちの痕跡は残さないよう注意しているんじゃないかな」
「野生動物みたいに環境の変化には敏感そうですしね。
ただ解魔法で細かく調べると、若干人の踏み入った形跡みたいなのは分かりますが」
「ニーナには分かんないし、それはパパくらいの魔法使いじゃないと気づかれないよ、きっと」
「だろうな。俺みたいなのじゃなくて、本命の魔物たちにバレなきゃいいわけだし。
けどちょうどいい。この痕跡をたどれば、件の魔物のいる場所に簡単にいけそうだ」
本当に僅かだけ残された人が通った痕跡を頼りに、竜郎たちは森の奥地を目指し進んでいく。
竜郎がちゃんと、仲間たち全員分の痕跡を魔法で丁寧に消し去りながら。
「かなり奥まで来たが、魔物はあまりいないな」
「けど魔物の質はそこそこありそうじゃない?」
「そうかなぁ? ニーナたちなら簡単に倒せそうだけど」
「ニーナちゃんたちというより、愛衣は普通の人たちレベルで考えてってことだと思うよ」
「そうそう。ほら、あれなんて普通の町にいきなり出てきたら、そこそこ強い冒険者さんとかじゃないと厳しそうじゃない?」
愛衣が指さしたのは、角の生えた目つきの悪い狐のような魔物。
確かに彼女が言う通り一般人からすればかなり脅威であり、新人冒険者ではパーティを組んでいても簡単に全滅させられるだけの力を持っていた。
とはいえ竜郎たちの普段住んでいる場所の魔物に比べれば可愛い方で、生まれたときから強かったニーナには何が弱い魔物と違うのかよく分かっていないようだった。
「ここは魔物が発生しやすいみたいだが、数というより強さに寄っているのかもしれない」
「でも常に何か警戒しているみたいで、あまり行動はできてなさそうではあるね。
やはりクシャスという魔物が恐いんだろうか」
「この辺の主的存在らしいしね。そいつらがうろついているおかげで、ふらふら町の方にも行けないのかも?」
道中もいろいろと皆で考察をしながら進んでいくと、ようやく件の魔物を発見した。
「噂をすれば何とやらだ。あれがクシャスで間違いない」
「おー、確かにこれまでの魔物の中じゃ強い方だね」
「クンクン──ニーナには効かないけど、確かに強そうな毒の臭いもする」
「「くしゃうー」」
普通に話しているが、その声すらも竜郎の認識阻害で聞こえているのに聞こえないと脳が勝手に判断し、周囲全ての魔物から虫に至るまで一切こちらに気づく様子は見られない。
そんなクシャスは、見た目は二メートルほどの大猿にオオカミのような突き出した口をもつ魔物だった。
手足には鋭い出し入れ可能な鉤爪があり、それは黒色の液体でわずかに湿っている。
今は鼻をひくつかせ、今日の獲物を探している真っ最中のようだ。
強さはこの森で見かけた魔物の中では、毒を抜きにしてもトップレベル。
竜郎たちの保有する危険区域の領地に出るモンスターより、若干弱い程度。経験を積んだ強い冒険者が、しっかりと連携を取らなければ簡単に殺されてしまうだろう。
そんなモンスターが、さらに強力な毒を使ってくるのだから、確かにあれが町に複数体やってきてしまえば、たちまち死人で溢れかえることになるのは間違いないだろう。
「毒ありなら俺たちの領土内でも生き残れそうだ。
そりゃあ数十年後の未来の話でも、アレは警戒するよな。
けど毒があろうとなかろうと、やっぱり俺たちの敵じゃあないが」
「だね。あれくらいなら、倒すのも生け捕りにするのも簡単そう。いざというとき殲滅するのも楽そう」
とはいえ竜郎たちからすれば、せいぜい想像していたより強いかな?と思う程度でしかない。
鼻も良く機動力も高いので、索敵能力はこのレベルの魔物の中でも高い方。
けれどあれならば竜郎の認識阻害を破ることはできず、このまま周囲をうろついても気づかれることはないと断言できた。
「それじゃあ、残りの二体も探していこう」
クシャスという魔物については最低限調べ終わったので、今度は残りの『ボダ』と『カポス』を探していくことに。
「あ、二体目発見」
一体目のクシャスがいた場所からさらに奥に進み、別の個体をすぐにもう一体見つけることもできた。
そしてそのもう一体の個体は、すぐ側にある木へ手を伸ばし、黒いツタが巻き付くように生息している豆の莢をもぎ取って、器用に指先で剥いて中の実をモソモソと食べている様子もうかがえた。
「ってことは、あの木が『ボダ』であの豆が──」
「「かぽしゅ!」」
「うんうん、覚えてて偉いね。二人とも」
「ニーナだって覚えてたよ!」
そこいるボダは黒い幹が特徴的な、一本の若木といった見た目の魔物だった。
竜郎が調べた限りでは戦闘能力はそこまで高くなく、クシャスはおろか自力でこの辺りの魔物を狩れる力はないようだ。
「だからこそ生存戦略として、自分の体にカポスを寄生させてまでクシャスの助力を得ることを選択したんだろうな」
カポスは根を張り付けるようにボダに寄生し、木を締め付けるように、あるいは守るように全体をその黒いツタでグルグル巻きにしていた。
そしてそのツタからはポツポツと豆の莢が実っている。豆は莢が黒く中身は青色に近い食欲が削がれるような見た目の実をしていた。
事前情報通り解魔法でさっと調べた限りでも、それなりの毒性を含んでいることも発覚する。
「けど毒というなら、ボダの方にもあるんだよな。
それを濃縮したような毒性をカポスが有しているようだし、寄生する先によって性質が変わるタイプの魔物ってことで良さそうだ」
「なるほど……。木からでも毒の成分は取れるけれど、そこから取るより豆から毒の成分を吸収した方が楽だというのを、クシャスという魔物も生きる中で学習したのかもしれない。面白いね、こちらの生き物の生態も」
これで当初疑問だった、本来毒のないはずのカポスに毒がある理由も判明した。
「確かにこの奥にも、もっと大きなボダとカポスのセットがあるみたいだし、少しずつ増えているのは間違いないみたいだ。
もう少し周囲を探索して、その理由に繋がりそうな原因が何かないか調べていこう」
豆の魔物の方は当初の目的である『カポス』で間違いなく、一番大きな目標はクリアした。
あとは冒険者ギルドで受けた依頼を達成すべく、何故近年になって突然その生息域を伸ばしはじめたのかを調べていく必要がある。
竜郎たちはここからさらに気合を入れ直し、目を皿のようにしながら周囲に何かヒントがないのか探していくことにした。
次も木曜日更新予定です!




