第323話 大人の処世術
竜郎たちとは比べ物にならないほどの年月を生き、そのほぼ全てを第二のアルムフェイルになるという夢を持って生きてきた。
幼き頃に聞いた自身の祖たるアルムフェイルの英雄譚。その頃はただ憧れていただけだったが、大人になるつれてその思いはより膨らんでいった。
神格を得られなければ話にならないと、並の竜では耐えられないほど、アウフェバルグですら死にかねない修行を何度も繰り返し、見かねた一柱の神が根負けしたかのように神格を与えた。
そのときのアウフェバルグは、これで自分はあの御方にまた一歩近づけたのだと、無邪気に人生で最大級の喜びを得る。
だがアルムフェイルは、優秀な自分の子孫が第二の自分になることなど望んでなどいなかった。
お前はお前として、自分の道を見つけて欲しいと願っていたから。
アルムフェイルとて、何もしなかったわけではない。
小言のように会うたびそのことについて触れていたのだが、「ご心配をおかけして申し訳ございません! 大丈夫です! やってみせます!」と言って、ついにアウフェバルグは話を聞くことはなかった。
今までの子孫の中でも特に自分と似ていたというもあり、アルムフェイルはどこか彼に甘さを持っていたということもあってか、強く言い切ることもできなかった──というのもあったのだろう。
故に神々も動機が違えばもっと早く神格を与えていた程度には優秀であったのに、それを授けることに躊躇していた。
そしてそのアルムフェイルの想いは、既に使われることがなくなって久しい暴れ槍にも、しっかりと伝わっていた。
唯一無二の主と定めた者の想い。それを踏みにじることなど、気位の高い暴れ槍にできようはずもない。
だからこうして彼の心を壊すことになろうとも、アルムフェイルにできなかった、アルムフェイルの元にいた頃にはできなった自分が、今ここで引導を渡してやろうと思ったのだ。
暴れ槍も心底、彼を嫌っていたわけではない。自分の主に憧れる。可愛い事じゃないか。それくらいには多少の情も持っていた。
だからこの蒼太の力を借りた全力の否定は、これがアルムフェイルに尽くせる最後の自分の役目だと思い、強引であろうと無茶であろうと彼への攻撃を敢行したのだ。
もしもアウフェバルグがアルムフェイルへの想いを憧れで終わらせ、自分の個性を見出し独自の道を歩いていれば、もしかすればアルムフェイルも彼を認め槍を預けようとした未来もあったかもしれない。
暴れ槍も、そんな彼ならアルムフェイルの面影を強く持つ彼に、惹かれていたかもしれない。
だが今となってはもう遅い。蒼太という暴れ槍が想像もしていなかった持ち主の元へ渡ってしまった。
あまりにも真っすぐすぎて、恥ずかしいほど純情で、笑ってしまうほど馬鹿としか思えない一体の一途な龍へと。
暴れ槍も次の使い手は、もう蒼太としか考えていないのだから──。
「私の人生は……いったい何だったんだろうか…………」
槍が授かれなかったのなら別の方法で。似たような槍がどこかにないか探して──。最近ではそう考えて、アルムフェイルへの道を模索していた。
だが槍から拒絶されてしまうという事実と、授かれなかっただけという事実とでは、彼にとってまるで違う。
何故ならいつだってアウフェバルグが憧れた、アルムフェイルの英雄譚には暴れ槍が共にいた。
暴れ槍とは、もはや半身とでもいうべきほどに、アルムフェイルが生涯信頼した相棒といってもいい。
そんな相棒から否定されるような者が、アルムフェイルになれるのか?
より相応しい者がいたからというのなら、自分はその次くらいには相応しかっただろうと自分を慰めることもできたのかもしれない。
だがもはや、そんな慰めすらできはしない。自分自身に改めて問いかけたとき、返ってきたのは〝無理だ〟という慈悲のないもの。
一度その結論に至ってしまえば、あとはもうドミノが崩れるようにバラバラと彼の想いは瓦解する。
もう二度と、同じ想いを抱けぬほどに完膚なきまで木っ端微塵に──。
だが暴れ槍はそれでスッキリしたのかもしれないが、竜郎たちからすればたまったものではない。
『これ本当にどうするんだよ……。見てるだけで、こっちも居た堪れないんだが』
『ほんとだよね……。空気が冷たいのなんのって。
たつろー、氷魔法とか使ってないよね?』
『使ってないよ。ある意味じゃ魔法より酷い』
「「う~?」」
落ち込んでいるということだけは分かっているのか、槍の一撃にはしゃいでいた楓と菖蒲も空気を読んで、竜郎たちにくっつき大人しくしていてくれる。
だが竜郎たちの方はまだましだろう。お付きとして付いてきていた緑深家の者たちは、それ以上に凍り付いていた。
ここにいるのは特にアウフェバルグに近しい、彼のことをよく理解している者たちばかりだったから。
今彼が抱く虚無感や絶望が、竜郎たちとは比較ならないほど共感できてしまうのだ。
そんな彼らにフォローを期待することは、どうみても望めそうにない。
『まあ……冷たいかもしれないが、言ってしまえば俺たちとアウフェバルグさんは初対面で、他人でしかない。
なみなみならない想いがあったってことは分かるが、本質的には理解できないわけだし』
『でもこのままだと困るよね? なんかほっといちゃったら、あそこであのまま石になっちゃいそうだもん、アウフェバルグさん』
『石になるかどうかはさておき、龍ってのは頑丈だし長生きだから、平気であのまま百年とかいられそうなのは間違いない。
…………なあ、蒼太は何かいい案はないか?』
『オレガ ナニカイウノハ ムシロ ギャクコウカ デハナイダロウカ?』
『だよなぁ。かたやアルムフェイルさんと、その槍に持ち主と認めてもらえてるわけだし』
『あはは……、下手なこと言ったら向こうの人たちに嫌みと取られてもおかしくないねぇ……。
イシュタルちゃんとか、エーゲリアさんに連れってってもらうとかはどお?』
『いや……それは可哀そうすぎるだろ、さすがに。
自分たちの都合で真竜の誰かを動かしたとあっては、傷口に塩を塗りたくるどころか、無理やりこじ開けるくらいのことじゃないか?』
『あー……ね』
とはいえだ。あんなところにアウフェバルグに居座られ続けてしまえば、ニーナはここに帰ってこれない。
そんなことになれば、今度はニーナが殴り飛ばしに来てしまうだろう。
それだけは避けなければ──と、竜郎たちがどうしようか困っているところへ、呑気に異世界生活を満喫している竜郎の父親──仁が異様な空気を察してやってきた。
竜郎にコソコソと近づき、耳打ちをしてくる。
「なあ、竜郎。あの人たちはどうしたんだ? なんか竜郎たちがやっちまったのか? お前の父親として謝罪案件か?」
「いや……なんというか、そういうんじゃないから安心してくれ。
ただまあ……あの一番手前にいる龍の人にとって、人生を揺るがすほどのショックな出来事があったんだ」
「ほう、そりゃまたどんな?」
「子供のころからずっと抱いていた夢が砕け散って、現実に押しつぶされてる……みたいな感じか。いろいろと複雑なんだ」
「あー……そうか。大人になると嫌な事とか、見たくもない現実とか、子供のころには想像してなかった辛さなんてもんがあるもんさ。
父さんにも、そういう経験はいくらでもある」
比べるものではないが、どう考えても仁とアウフェバルグでは、その辛さの重さが違うだろう──とは思うものの、竜郎たちにだってその辛さが理解できないのに、もっと離れた場所にいた仁に察しろというほうが無理な話だ。
なので現実逃避……というわけではないが、愛衣が何でもいいからこの場を打開できる策はないかと、藁にも縋る想いで仁へと口を開く。
「じゃあさ、仁さん。仁さんなら、そーゆーときどうするの?
いくらでもあるっていうんなら、その解決法っていうかさ」
「うん? なんだそんなことか」
「そんなことって……、父さんは何か励ますアイディアがあるっていうのか?」
「当たり前だ。大人はいつだって、古今東西、その解決法を取り続けてきたんだからな。
だがおこちゃまな竜郎たちには、思いつかないのも無理はないか」
「ねぇねぇ、そんなことはいいから何かあるなら、もったい付けずに早く教えてよ! 私たち困ってるんだから」
「愛衣ちゃんにそこまで言われちゃあ、黙っているのも忍びない。
あまりカッコいい手段じゃないから、子供にはあんま聞かせたくはないんだが仕方がない。アレだ」
「「アレ?」」
「そうアレ──つまり酒だ! 嫌なことがあったなら酒を飲む! 飲んで食って騒いで嫌なこと全部忘れて、最後は愛する人に抱きしめてもらう。
俺はそれで、どんなことだって乗り越えてきた! それが大人の処世術ってもんよ」
「「………………はぁ」」
「「う?」」
何言ってんだこのおっさん……。そんな感想しか出てこず、竜郎と愛衣はガックリと肩を落とす。
こんなことを覚えられたらいけないと、二人で楓と菖蒲の耳を塞ぐ。
だが仁はどこまでも本気だった。見てろとばかりにさっき酒竜たちから貰ってきた、出来立ての会心の作である酒瓶を《アイテムボックス》から出して、つかつかとアウフェバルグに近寄っていく。
「おい父さんっ」
「いーからいーから、見てろって」
念のため何があっても父親を守れるようにだけはしておいて、どうにでもなれと成り行きを見守ることに。
「なあ、そこの龍さん。何があったかは知らないが、これでも飲んでくれ」
「…………」
アウフェバルグは無反応。竜郎たちが止めていないので、無害な人物なのだろうとお付きの者たちも、この流れが変わるならと黙っていてくれた。
「大人だって平気な顔してるように見えるけど、辛い事ってのはいくらでもあるよな。
そんなときは酒の力でも借りて、今だけでも忘れちまおうや」
「………………?」
とくとくと自分の御猪口を取り出し、少しついでまずは自分が飲む。
芳醇な酒の香りが広がり、アウフェバルグの鼻先を刺激する。
何を隠そうアウフェバルグ。彼は若かりし頃のアルムフェイル同様、お酒が大好物なのだ。
普段は甘えだと自戒しているが、いいことがあったときには、今日くらいはいいだろうと、お気に入りの酒樽をあけてチビチビと飲むほどに。
失意に心砕かれ放心していても、そんな彼に根差した本能、欲望はちゃんと刺激されていた。
「かーーーうめぇ! やっぱこれは、今までで一番の出来かもしれない!
ほら、あんたも一杯飲もう! 飲んで飲んで! 辛い現実から離れようや。
一歩離れたところにいくだけでも、自分の気持ちが整理できるかもしれねーぞ?」
「────ゴクッ」
酒瓶からアウフェバルグでも飲みやすいように、大き目の皿を取り出しそこへ並々と酒を注いでいく。
先ほどよりも強い酒の香りに、アウフェバルグの喉がなる。
それを好機とみて、仁はさらにアウフェバルグの鼻先へと大皿を近づけていく。
さんざん酒竜たちと共に酒造りに心血を注いできた仁が、太鼓判を押すほどの名酒。嗅いだこともないほどに、魅惑の香りを放つソレに、ついに我慢の限界が来てしまう。
「くぅっ!! ──もう知らんっ!!」
「おっ、いいねぇ。気持ちいいくらいの飲みっぷりだ。もう一杯どうだい?」
「もらおうっ!!」
「はいよ。まだ同じ酒は何本かあるし、他にもうめー酒はストックしてる。
今日はいくらでも飲み明かそうじゃあないか!」
完全に自棄になったとしか思えないが、アウフェバルグは涙を流しながら次々と仁に注がれる酒を飲み干していく。
酒に酔うことはないはずなのに、どんどんと感情のタガが外れていき、俺はなんてダメなやつなんだ。情けない。今まで慕ってくれた者たちにも何と言えばいいか──。
などなど次々と口から溜め込んでいた物がこぼれていく。
仁は何のことかもよく分かっていないのに、「そうだよなぁ」「分かる分かるぜぇ」と適当に相槌を打っては酒を注いでいく。
「マジかよ……。今、人生で一番父さんを尊敬してるかもしれない……」
「そ、そんなことより! もう今畳みかけるしかないよ! たつろー!!」
「──っ! だな!! お二人さん! 極上の御つまみなんてどうだーーっ?」
「おお、竜郎。気が利くな!」
「いただこーーーう!! 仁殿! 酒をもっとくれ!!」
「分かってるよ、ほらどんどん飲め飲めぇ~~!!」
酒に合いそうな竜郎の《無限アイテムフィールド》に入っていた、美味しい魔物食材を使った料理を出していき、さらに今だけはと現実とかけ離れた夢を見てもらうことにする。
「ほらほら、後ろにいる人たちも飲んだ飲んだ!
この場に素面は似合わねぇって!」
「い、いやしかしですね。我らにもお役目が…………」
「なにを言っているぅうう! 仁殿の酒が飲めんというのかぁ? いい! 俺が許すぅ! お前たちも飲めぇぇええい!」
「は? は──ははっ!」
主にこう言われては断ることもできない。
お付きの竜たちも次々に酒を受け取り、酒を飲み。竜郎がほいほいと出してくれる料理に舌鼓を打って、その感動に現実を忘れていく。
「今日はもう朝まで飲むか! アウさん、いけるよなぁ!?」
「おうともぉ! 朝までだろうと、付き合ってみせようぅうう!!」
「いやもう……なんだこれ。お酒の力ってのは、本当に恐いな……」
「あのアウフェバルグさんが、アウさん呼ばわりだしねぇ。
でもま、それでも今は楽しそうだし、いいんじゃない?」
「…………それもそうだな。今くらいは、あれくらいはっちゃけてくれたほうがいいか」
「おおおーーーーい! ソータ殿もぉぉお、こっちで飲もぉおうではないかぁあああぁぁ!?」
「イヤ、オレハ……」
「行ってこい。蒼太も酒は好きだったろ? 今日くらいは暴れ槍も羽目を外しても許してくれるさ」
「……ハ、ハァ。アルジガ ソウイウノナラ……」
ドンチャン騒ぎをはじめる愉快な大人たちに呆れながらも、竜郎たちは百年置物コースは脱してくれただろうと生温かく見守った。
そして暴れ槍も蒼太の近くで、その醜態を感じ取り──「まだそっちの方が俺は好きだぜ。お前はお前で頑張れや」とばかりに、自分の主の子孫に届かぬエールを送るのであった。
次も木曜更新予定です!




