第252話 イドラとの交渉
素人レベルの改良とはいえ、いい物を使っただけあってそれなりの成果をみせたキャンディーを手にイドラとの交渉へと挑みに行く。
どこにいても聞いていそうだが、念のため元の湖の場所まで戻ってきた竜郎たちは、そこでイドラの名を呼んだ。
一度では何の反応もなかったが、4度目の呼びかけであの目が出現する。
「うわっ、びっくりした。気配が全くないから何回見ても慣れないなぁ」
この世界に来たことにより気配なるものが読めるようになった愛衣は、もはやそれが当然となって生きている。
そのせいで読めなかった頃より余計に、読めない存在に驚く体質になってしまっているようだ。
そんなことを竜郎が考察していると、空間から湧き出るようにイドラの輪郭の枠組みが何もないところからズルズルと現れた。
「なあに、いま ねてたのに……」
「絵を描いてたんじゃなくて、寝てたのか」
「えをかくのは、とってもつかれるの。だからたくさん、ねなきゃいけないの」
「そうなのか。それはタイミング悪かったみたいだな。けどちょっと俺たちの話を聞いてくれないか」
「…………いいよ」
聞くことすら断られそうな雰囲気だったので、改良前のキャンディーをちらつかせてみればあっさりと了承してくれた。
そのちょろさをいかんなく発揮してくれないかと、まずはこちらの見せ札──つまりあげたことのあるキャンディーを前面に出し、レーラだけでも一度出してもらえないか交渉してみることに。
「だめー、まだかいてないもん」
「そこをなんとかしてくれないか。ほら、このキャンディーをたくさんを上げるぞ?」
「たくさんっ!? う、ううぅ…………それなら、いい…………ううん、だめったらだーめ!」
なんだかもっと押して押して押しまくればいけるんじゃないかと思ってしまうほど、分かりやすく揺れていたが、竜郎は素直に切り札を投入してみることにした。
「そうかぁ。それは残念だなぁ」
「うん……、イドラもざんねん……」
「うん、もしこれでイドラがいいよって言ってくれたら、さらに美味しくなった最新のキャンディーも上げちゃおうと思ってたんだけど。残念だなぁ」
「さいしんっ!!? それは おいしいの!? イドラのたべた きゃんでぃーより、おいしいの!?」
「まあ、そうだな。甘さ自体はたいして変わっていないが、味自体はより美味しくなったと俺たちは感じた。
楓や菖蒲も、あっちのほうが美味しかったよな?」
「「あーう! うまま! うままー!」」
嘘の吐けない、それでいてイドラと精神的に近い2人も迷うことなく美味しいと示したことで、余計に信憑性が増したようだ。
イドラの輪郭しかない口がぱかーと開いて、ヨダレがあったのならダラダラと垂らしていたであろう様子である。
「まさか あれより おいしいものが このよにあるなんて……しんじられない」
「この世にあっちゃうんだなぁ、これが。けどもしレーラさんを一度外に出してくれるのなら、この特別製のキャンディーをイドラにあげよう」
「い、いっこだけ? それとも、もっとくれる?」
「そうだな。本当なら1つだけなんだが、今ならオマケで3つにしよう!」
「みっつ!? それはおとくだ……おとくすぎる」
イドラは驚愕で顎が外れる勢いで口を開けて、目を見開いた。
「……どこの通販番組?って感じなやりとりになってきたなぁ」
「まぁ、あの様子ならいけそうやし、ええんちゃいますか?」
「結果良ければすべてよし! だな! はっはっは!」
なんだか外野がうるさくなってきたなと感じながらも竜郎は、さっそく改良版のキャンディーを取り出しイドラに実際に見せて鼻に近づけてみる。
輪郭しかない鼻の穴がぷくっと膨らみ、スンスンと鼻息が荒くなった。
竜郎でも分かるくらいに香りからして違うので、別のキャンディーだというのはこれでハッキリする。
「ほんとにこれくれるの? そとにだしても、またもどってきてくれる?」
「ええ、上げるし、私もちゃんとここに戻ってくるわ」
「なら……いいのかも? いいよね? ……………………うん、マスターもきっといいっていってくれるはず!
だしたげる! だからはやくちょうだい!」
「交渉成立──だな」
竜郎が3つキャンディーを渡すと、一つを口の中に放り込み、残りはどこかに消し去った。
イドラ曰く、いっぺんに食べるのはもったいないからしまっただけ──とのこと。
1つを「おいしい……おいしすぎるぅ……」と味わって食べ終わったイドラは、約束通りレーラを一時解放してくれた。
その際に竜郎は、1つレーラに頼み事も添えて。
これであとはレーラがエーゲリアを連れて来てくれれば、このイフィゲニアの宝物庫の秘密が知れるかもしれない。
例えそれが無理であっても彼女の力を借りることで、ここでの数百年はかかりそうな監禁も穏便にどうにか解決してくれるだろう。
けれどエーゲリアにおんぶに抱っこでは情けなくもあるので、もう一つ自分で動いてみることにした。
「なあ、イドラ。それは美味しかったか?」
「うん! これはすごい! かくめいだとおもう」
「そうか……、でもなイドラ。それは美味しくはなったが、まだまだ未完成品なんだ」
「そ、そうなのっ!? じゃ、じゃあ、これいじょうに おいしくなるかもしれないってこと!?
いつ? いつもっとおいしくなる!? そのためなら、イドラもきょうりょくするよ?」
「そうか、協力してくれるか。でもそうなると、俺たちもここから出してもらう必要がある」
「な、なんで?」
「その元となったキャンディーだって、俺たちが作ったわけじゃないしな。
そんな俺たちだけじゃ、どうしても改良するにしても限界はある」
「な、ならその つくったひとも ここにつれてくれればいいよ」
「いいや、イドラ。外にある色んなものを使って、いろんな組み合わせを試してはじめて、最高のキャンディーが完成するんだ。
だからその人をここに呼んでも最高のキャンディーは作れないだろうし、万が一ここにあるものだけでできても、すごく時間がかかるだろう。
イドラだって、どうせならはやく食べたいだろう?」
「う、うん。たべたい……でもでも、マスターのために、イドラはここでたくさんのえを かかないといけないの……。
きっとタツローたちなら、おもしろいってマスターもよろこんでくれるだろうし……」
「そう言ってもらえるのは光栄だな。俺たちもせっかくなら、マスターっていう人に喜んでもらいたい」
「うん、イドラもマスターによろこんでもらいたい」
「だったら、こうしないか?
まずは俺たち全員は一度外に出してもらう。それで今描いているっていうエンターに、ちょくちょくここに通ってもらう。
それで描き終わったら次にイドラが描きたいっていう子が、同じようにここに通いで来てもらう。その間にイドラは絵を描く。これなら俺たち全員分の絵が描けるだろ? どうだ?
レーラさんがちゃんと帰ってきてくれたら、俺たちが約束をちゃんと守る奴らだってのも、イドラなら分かってくれるだろ?」
「う、うん……。イドラいいこだし、それくらいわかるよ」
「じゃあ、レーラさんがちゃんと帰ってきたら、俺たちはここへは通いでいいってことでいいか?」
「それなら……うん、わかった、いいよ。とくべつだからね」
ちょっとツンとしているが、イドラもそこまで気を悪くした様子はない。けれど小さい子を上手く言いくるめてしまったというのに近い罪悪感も湧いてきてしまったので、竜郎はもう少しお節介を焼いてみることにした。
「ありがとう、イドラはいい子だな。じゃあ、そんないい子なイドラのために、もう1つ、そのマスターのために骨を折ろうか」
「ほねをおったらいたいよ?」
「それは比喩的な表現なんだが……まあ、それはいいとして。
俺たちのことを面白いというなら、同じくらい面白い子たちに心当たりが沢山ある。
だからもし俺たちの出入りの自由を認めてくれるなら、イドラのマスターのためにその子たちの絵も描かせてもらえるよう頼んでみてもいいぞ」
ここでの面白いの基準はおそらく、この世界での特別性だと竜郎は踏んでいた。
それでいえば竜郎の周りにいるほとんどが、イドラのいう面白いに当てはまる。
自由に出入りできないなら他の仲間を紹介はしたくないが、もし自由に出ることができるのなら仲間たちを紹介して、より面白いイドラの宝箱になるように協力することもやぶさかではない。
「ほんとうに!? イドラがおもしろいっておもうのは、めったにいないよ!?」
「だがその滅多にいないっていうのが、ここだけでも沢山いるだろ?」
「ほんとだ!? なんで!?」
「なんでって言われてもなぁ。けど信じられるようにはなっただろ?」
「うん! タツローはいいやつだ!」
こうしてイドラのご機嫌を取りつつ、この不思議空間に出入りする権利を竜郎たちは得たのだった。
それから数日ほどのんびりとイドラの宝箱で竜郎たちが過ごしていると、レーラがエーゲリアを連れて帰ってきた。
「ごめんなさい、少し遅くなったわ。さすがにもう皇帝じゃないって言っても、じゃあ来てって言って来てもらえるわけじゃなかったから」
「そりゃそうよ。私だって立場というものがあるのだから。これでもかなり急いできた方なのよ?」
「お姉ちゃんだ!」
「ふふっ、今日も元気そうね、ニーナちゃんは」
エーゲリアにニーナが飛びつくと、彼女は愛おしそうに抱きとめた。
そしてそんなエーゲリアのすぐそばで、見たこともないほど大きく開いたイドラの目が浮かんでいた。
エーゲリアを初めて見たときから、イドラはもうこんな様子で、有無を言わさずここにレーラと一緒に彼女も招き寄せていたのだ。
そんなイドラの視線を見たエーゲリアは、優しく微笑みながら視線を合わせる。
「あなたがイドラちゃんね。話はレーラから聞いているわ。
私はエーゲリア。あなたが『あの人』という人の、娘にあたる存在よ」
「…………あの、ひとの……むすめ? あのひとの かぞくなの?」
目だけだったイドラが自分から出てきて、エーゲリアを見上げるように見つめ直す。
「そうよ。私の母であり、家族だった人。だから少しここについて調べたいのだけれど、いいかしら?」
「うん、いいよ。あなたなら、だいじょうぶってイドラもわかるもの」
「ありがとう。なら、そうさせてもらうわ」
こうしてイドラの許可も貰えたということで、まずは北にある竜郎たちが既に見たことのある方の映像を見てもらう。
「お母さま……、あぁ……、なつかしいわね……。そう、こんな声をして、こんなふうに笑う人だったわ……」
などと最初はしんみりしていたものの、最後までその映像を見て「いつまでも子ども扱いなんだから」と少しご立腹な様子を見せていた。
「それじゃあ、本命の方に行きましょうか」
だがすぐに気持ちを切り替えて、エーゲリアがいなければ見ることのできない南側の映像が見られる方へと急いで向かう。
ニーナではなにもなかった南側の行き止まりの壁に、エーゲリアが近づいただけで光のモニターがチカチカと光り輝いていた。
そこへエーゲリアが触れると、北側と同じようにノイズの入った映像と音声が流れ、やがてくっきりとしたイフィゲニアの姿が映った。
『ふふ、やっぱりここに来たのね、エーゲリア。あなたなら絶対にここに来ると思っていたわ』
「ふふん、ここへはレーラたちに頼まれたから来ただけで、自分から来たわけではないわ」
過去の映像に何やらエーゲリアが語り掛けているが、そんなことはお構いなしに話がすすんで行く。
『いいでしょう。そこまで知りたいというのなら、この先に進みなさい。そこで全てが分かるはず。
ではね、エーゲリア。できればもっとあなたを見ていたかったけれど、そうできなくてごめんなさい。愛しているわ、これからも元気でいて』
「……えぇ、私も愛しているわ、お母さま」
何があっても動じることのない理想の姉だと思っていたエーゲリアの寂しげな表情に、ニーナはなんだか心がギュッと痛くなり彼女に抱き着いた。
そんなニーナにエーゲリアが優しく微笑み返し、頭を撫でる。
そうしていると映像が消え、その代わりにモニターのあったあたりに大きな漆黒の穴が発生した。
映像の言っていたことを信じるのなら、この先に真実が眠っているのだろう。
エーゲリアは一度ニーナを強く抱きしめると、そっと離す。
「では行ってくるわ。話せるような内容だったなら、あなたたちにもちゃんと教えてあげるわね。
ここまで巻き込んでしまったわけだし」
「まあ、この空間に来ることは予想してませんでしたが、来る切っ掛けは自分たちの意思です。
なので少しでも無理そうなら、遠慮なく話さなくても大丈夫ですからね」
「ええ、ありがとう。タツロウくん」
いつもの優雅なエーゲリアに戻った彼女は、竜郎ににっこり笑ってお礼を言うと、臆することなく先の見えない漆黒の穴へと入っていくのであった。
レーラが「私だけには、どんな内容でも話してくれていいわよ」、などと口にしているのは遠慮なく無視をして──。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。




