第138話 ボス戦3
短槍を持った楓と、盾とナイフを持った菖蒲は、仲良く並んで氷の鎧を着込んだ、二足歩行の黒い豚の悪魔の方向へと足を踏み出す。
その後ろから、竜郎と愛衣が少し距離をおいて続いていく。
「ブフゥウウ……」
「ねぇ、たつろー。なんか私たちが睨まれてない? まだ、なんもしてないよね?」
「ああ、そのはずだが……」
互いに戦闘がはじめられる位置まで来たのはいいのだが、楓と菖蒲を完全に無視したまま、怒りの形相で竜郎と愛衣が睨みつけられていた。
「もしかして、この俺様にちびっ子だとぉ? とか思われてるとか?」
「それは、あるかもしれないな。魔族の魔物なら、知性が高くても不思議ではないわけだし」
「うー!」「あぅ!」
楓と菖蒲は無視されていることに腹を立て、足でドシドシ地面を叩く。
そのとき予想以上に周辺が揺れたことで、豚悪魔は少しだけ驚いた顔をして3歩ほど距離を開けた。
それでも竜郎たちに対して、チラチラと苛立たし気な視線を向けはしているのだが。
実はこの魔物。楓と菖蒲を当てられたことで怒っている、という愛衣の意見はある意味では間違ってはいない。
けれど楓と菖蒲が油断してはいけない強者であるというのも、ちゃんと理解している。
正しくは、子供を前に立たせて大人が後ろで高みの見物をしていることが、気に食わなかったのだ。
悪魔の魔物という特性上想像しづらいが、高度な知性と騎士道精神を持ち合わせた存在でもあった。
「ブゥウフゥ」
だが戦う気のない者と、久方ぶりの戦闘を楽しむのは興ざめだ。
そう思いなおした豚悪魔は、スキルを発動させ約2メートル──身の丈ほどもある黒い氷の大剣を2本創造する。
そして両の手に1本ずつ持ち右足を少し前に、腰を落とし、堂にいった構えを取った。
「「うー!」」
自分たちを敵と認めたことを察し、楓は槍を軽く持ち構える。
菖蒲は盾を前に出し、ナイフを持った手をその後ろにそっと隠した。
「ブギィイイ!」
2人が構えたのを見届けると、さっそく豚悪魔が右手の氷大剣を振り下ろしながら肉薄して来る。
「う!」
冷静に動きを観察しながら、菖蒲が前に出て盾でそれを受け止める。
まるで違う体格差もものともせずに、むしろ大剣をガンと弾き返す。
けれど豚悪魔は驚きもせずに、菖蒲を横に分断しようと左手の大剣を真横に振りぬいた。
「あーぅ!」
しかし楓が割り込み槍の柄で受け止め、滑らせながら器用に回転させて受け流すと、豚悪魔の顎から脳天に向けて一気に突き上げた。
「ブヒッ──ブギャッ」
楓の突き上げは頭を引いて何とか躱そうとするも、鼻先を切り裂かれる。しかしそこまでなら、まだ想像の範疇だった。
けれど楓に気を取られている隙に側面に移動していた菖蒲が、身を丸めるように両足を曲げジャンプをしながら、首をナイフで落としにかかってきたのだ。
決して気を抜いていたわけではないし、楓に集中しながらも菖蒲の気配にも気をまわしていたつもりだった。
だがあまりにも見事に一瞬の意識の空白をつかれ、なんとか態勢を無理やり崩して軌道をそらすが、左頬をスパンと切られ口が半分裂けてしまう。
ジャンプで態勢を変えられない菖蒲に返しの一撃をしようにも、その小さな体は小さな盾でほとんど守られてしまっているので無駄だろう。
豚悪魔はダンッと大きく地面を蹴って、距離を取り直した。
「──う!」
「グビッ──」
その一瞬の間に楓の突いた槍が脇腹を切り裂き、血を噴き出しながら下がった道筋を染め上げる。
けれど腐っても悪魔。生命力も強いので、そのまま放っておいてもしばらく戦闘はできるだろう。
「うー……」
「あうあう」
今ので決められなかったことに菖蒲は不満を漏らすが、楓がまあまあと肩を叩いて励ました。
その間に黒豚は、手の平から出現させた黒い球体をバクンと一飲み。それだけで体の傷が癒えてしまった。
「これで振出しに戻ったって感じかな?」
「いや、あの悪魔。回復はあまり得意じゃないみたいだぞ。
あれだけの怪我を治すだけじゃ、割に合わないくらい魔力を消費してる」
「基本的に回復は緊急手段って感じなんだね」
「ああ、その一方で楓と菖蒲の消費はゼロと言っていい。確実に押してるとみて、間違いないだろう」
竜郎が言ったように、形勢は豚悪魔の不利。
今、回復に使ったスキルは本来、自身の一時的な強化に使うもの。
そちらならばコストパフォーマンスも、むしろいいといっても過言ではない効果をもたらしてくれていた。
けれど傷を癒すのに無理やり使った場合は、大した回復量もないのに消費は重いと一番使いたくない手段でもある。
今回は綺麗に傷をつけてくれたおかげで、傷の癒着もしやすかったことが不幸中の幸いといえよう。
おかげで傷を塞ぐことはできたのだから。
「ブフゥ────────……」
久しぶりの戦闘だと舞い上がり、高ぶっていた心が冷え込んでいくのを感じる。
うかつに近づいてしまった自分を叱咤しながら、戦闘方法を切り替えることにした。
「「あう!」」
豚悪魔を覆っている氷の鎧から1メートルほどの剣の刃だけが何本も生え、楓と菖蒲に向かって次々と射出される。
当然のように槍で受け流したり、盾で受けたり、また躱したりと一切のダメージも受けることなく耐え抜く楓たち。
「ブゥ……」
これで死んでくれるとは思っていなかったが、あまりにも見事な動きにうなる豚悪魔。
時間が経つにつれて気味が悪いほどに動きが洗練されていく楓と菖蒲に対して、戦闘を長引かせるのは絶対に悪手だと短期決戦で挑むことを決める。
そのあとに後ろにいる大人(竜郎と愛衣)にやられようとも、あの2人だけは殺してみせようと気合を入れた。
今の氷の刃の射出での攻撃は、あくまでオマケ。
豚悪魔の特性をフルに生かした戦いをするための、布石でしかないのだ。
「ブギィイイイ!!」
「「う」」
戦車のように荒々しく突っ込んでくる豚悪魔に、次こそは仕留めてやると、それぞれ槍と盾の持ち手を強く握る。
その言い知れない圧力に足が鈍りそうになるが、気合で無視して突撃する豚悪魔。
まさに猪突猛進。なんの計算もない突撃に、自爆でもするのかと嫌な予感がするほど全力疾走。
そのまま楓と菖蒲を氷大剣の範囲に収めると、両手をクロスさせてから両方の大剣を横に振りぬきはじめる。
なんだ。本当にただの突撃かと、楓と菖蒲が必殺の一撃をお見舞いすべく剣の軌道上から楓はしゃがんで逃れ、菖蒲は盾で止めてやろうと前に出た──のだが、豚悪魔の姿が目の前からいきなり消える。
「「──っ!?」」
消えたかと思えば先ほどと同じ姿勢、大剣も振りぬいている途中の状態で楓と菖蒲の真後ろに現れ背中から静かに切りかかってきた。
(ブギィ……)
これは先ほど打ち出した氷の刃を起点にして、転移するスキルによるもの。
よく見れば周辺に散っていった刃は、溶けて地面に染み込み小さな円を作っている。
その円の上になら、この豚悪魔は一瞬で転移することができるのだ。
発動範囲は非常に狭く、転移先の円から2メートルも離れてしまうと発動すらしないので移動手段としては使い勝手は悪い。
けれど近距離型のこの悪魔なら、相手の間近でピョンピョンと転移を行い死角に回り込むことができるので補助としては非常に優秀。
それだけに卑怯な気もして、あまり使いたくはなかった。
特に転移で後ろに回り込み不意打ちなんて──とプライドが傷つくものの、負けるよりはましだ。
これで決めると気合を入れて、そのまま2人を真っ二つすべく迷いなく大剣を振りぬ──けなかった。
「「────」」
「ブヒッ──」
豚悪魔に寒気が走る。
完全に不意打ちをついたはずなのに、転移はまだ一度も見せていなかったのに、グルンと体を回転させた楓と菖蒲と視線が合ったのだ。
それは先ほどの幼児らしさの残った感情的な顔ではなく、ただ獲物を狩るという冷酷な瞳。
思わず手を止め別の場所に転移。転移した先で見えたのは、先ほどまで自身がいた場所に正確無比な槍の突きとナイフの切り払いが通っている光景。
明らかに最初に見たときよりも動きが冴えわたり、完全にスイッチが入ってしまった。先ほどまでの動きは準備運動に過ぎなかったのだと、豚悪魔は思い知らされる。
さらに恐ろしいことに、2人の視線は転移したはずの豚悪魔にしっかりと向いているのだ。
全身から冷や汗が流れるのを感じる。だが引くことはもうできない。自分はあの2人の狩場に、既に足を踏み入れてしまっているのだから。
「ブギィイイイイィィィィィィィーーーーーーーーーーーーー!!」
鼓舞するように、空気を震わせるほどの雄たけびを上げる。楓と菖蒲の視線から逃れるように、何度も何度も転移を繰り返す。
しかしその度に2人と視線が合う。それも転移すればするほどに、コンマ単位で視線が合うまでの時間が短くなっていく。
そしてついに──。
「ブガァッ──」
転移が終わった瞬間に、転移した場所に合わせるかの如く、楓の槍の、菖蒲のナイフの切っ先が、腹と首にお見舞いされる。
槍に込められた竜力の渦が、鎧ごと腹に大穴をあけ後方に突き抜ける。
ナイフに溢れんばかりに込められた竜力の籠った刃が、鎧ごと首から肩にかけて斜めに切り落とす。
「──ッ、──……ィッ、────────」
ごろりと転がった首が最後に見たのは、「「うー!」」と子供の表情を取り戻した楓と菖蒲が、無邪気に雄たけびを上げている姿だった。
「あの豚悪魔も運が悪い……。日常的に俺の転移を見せてなければ、もう少し苦戦していただろうに」
「だねぇ……。ナムナム」
ジャンヌは炭化したように真っ黒な、燃え盛る大木を相手に戦いはじめた。
枝を振るたびに舞う木の葉は、張り付いて相手の体力を奪うことも、爆発したり、そのまま燃えて火傷を負わせたり、毒を染み込ませたり、などなど非常に多芸なことができる……なのだが、いかんせんにジャンヌの体は非常に硬い。当たったところで、一切の意味はなさないだろう。
なにせ竜郎の眷属たちの中でも、トップレベルの防御性能を誇っている。
この程度の魔物が小細工をしようと、その分厚い鱗を突き破り、肉にたどり着くなど不可能としか言いようがない。
だがジャンヌは今、距離を取って戦っていた。
何故なら一般水準でいえば、この魔物は非常に危険。
近くにいるだけで、その燃え盛る体から発せられる熱で肺は焼かれる。
体も植物ではなく鉱物のように硬く攻撃が通りにくいのに、攻撃が届く前に炎で焼き消されてしまう。
それでいて何本もある枝を縦横無尽に鞭のように振るい、さまざまな効果を使い分けられる燃える木の葉を周囲にばらまく。植物のくせに機動力だって高い。
まさに今回の魔物の最強格ともいえる。
そんな存在の近くにいてしまうと、ジャンヌは平気だが玉藻は死んでしまうからだ。
「いやー、すみませんねー」
「ヒヒーン」
敵は意外と素早く、遠くから距離を取った状態での攻撃はギリギリのところで上手く躱されてしまう。
当たりはするのだが回復力も異常に高く、即死させなければあの魔物は何度でも立ち上がるだろう。
こんなときにジャンヌは、遠距離では大味な自分の攻撃手段が憎らしく思う。
近くに行けば特大のハルバートを手に一瞬でバラバラにできるのに、とも。
自分の敬愛する姉──カルディナならば、一瞬で遠距離から仕留めていたことだろう。
「ヒヒーーン、ヒヒーン」
「どうしましたー?」
そこでジャンヌは「これを使うほどでもないのになぁ」と呟きながら、《真体化》状態での《分霊神器:巨腕震撃》を発動。
すると紺青色で発達した筋肉を持った人型の腕に、鋭い青い爪をもった巨腕が2本現れた。
「………………それは」
「ヒヒーーン」
珍しく玉藻が目を見開いていたのだが、それに気が付かず空飛ぶ巨腕に玉藻を任せ、ジャンヌは《アイテムボックス》から巨大なハルバートを取り出し突撃していく。
自分1人だけなら、近接戦でも十分戦えるのだ。
「………………フォーネリウス。こんな形で残ったのですねー」
巨腕の手の中に守られるようにして残された玉藻が、そっと自分を覆う手の指に触れる。
その色形。まごうことなく、彼女がまだレベル6ダンジョンだった頃にボスとして君臨してくれていた『フォーネリウス』という魔物の腕そのものである。
その魔物は彼女がはじめて創り出した魔物でもあり、最も長い時を共に過ごした存在。
レベルの切り替わりの際のボスの入れ替わりで、ジャンヌに倒され彼女のシステムに、魂に取り込まれた存在でもある。
もちろん、そんなことは覚えている。玉藻はちゃんと、それぞれの最後の瞬間は見届けていたのだから。
しかし思いもよらぬ形で、ちゃっかり形を残してジャンヌと共に生きていることに、玉藻はおかしくなって小さな笑いがこぼれた。
だがすぐに、まじめな顔に戻り、大きな手に向かって問いかける。
「あなたは今、幸せですか? ダンジョンの中に籠るだけではなく、外の世界でジャンヌさんの一部として謳歌できていますか?」
「………………」
自我などありはしない。今はもう、完全にジャンヌの一部でしかないのだから。
返事をするわけでもなく、無言で返されてしまう。
しかしほんのわずかに、玉藻の錯覚だったのかもしれないが、幸せだという感情が伝わってきた気がした。
玉藻は愛おしそうにその大きな手の中で、その大きな指を撫でた。
「そうですか。それなら母として、私は嬉しいです。
きっとタツロウさんたちの中は、波乱万丈で楽しいのでしょうね」
そうこうしているうちに、ジャンヌが戦闘を終えて帰ってきた。
そんなジャンヌの顔を、じっと玉藻は見つめる。
「ヒヒーーン?」
なあに? と、ジャンヌが可愛らしく首をかしげる。
それに玉藻は幸せそうに、柔らかな笑みを浮かべた。
「いいえー。ただ、あなたたちでよかったとー、心から思っただけですよー」
「ヒヒーン?」
突然なんだとジャンヌに再び首を傾げられるが、玉藻はそれ以上何も言うこともなく、ただ静かに消えていく分霊の巨腕を見つめるのであった。
次話は水曜更新です。




