ハーバリウムの情熱(3)
今日は店の定休日なので、ウォーレスは、自分の仕事道具を持って工房に入った。ウォーレスもまた、人形職人である。店に並べるほどではないが、休みの日には、ゆっくりと自分の人形を作っているのだ。
工房は、アデルが開けたのか、窓から爽やかな風が入ってきていた。
作業がひと段落したらしい。アデルは手を休め、硝子の箱に入れられた、少年の人形を見つめていた。
「ねえ、変わったと思わない?」
アデルの問いかけはいつも気まぐれだ。ウォーレスが何が、と問えば、アデルは、私、と短く答えた。
「アデルが? ちっとも変わってないよ」
「……そうかしら」
「勿論」
工具箱から鋏を取り出し、人形に着せる服の型紙を作りながら、ウォーレスは答えた。
そう、アデルは、あの日出会った時からちっとも変わらない。
アデルは、この先どれだけの時が経っても、変わらず美しいままで居続けるであろう人形を見ていた。それと同時に――硝子の箱に写る自分も。
◇
ウォーレスは、あの時人形の工房に来た女の子が、貴族のご令嬢だったと聞いて驚いた。確かに綺麗な恰好はしていたが、そんな雰囲気を微塵も感じなかったからだ。
だが、再び驚いたのは、後日、その女の子が、トューダー氏に弟子入りしたいと押しかけてきたことだった。
「私も綺麗なお人形を作りたいの! 今からいっぱい練習して、あの人形を超える人形を作るのよ!」
そんなことが許されるのか、とウォーレスは子供ながらに思ったが、意外にもアデルの家はそれを許したらしい。もっとも、アデルが好奇心旺盛で、次から次へと興味の対象を移すことをよく知っていた家族たちは、好きにさせておけばそのうちに飽きるだろうと思ったからだったのだが。
しかし、彼らの予想に反して、アデルはそれから何年も、トューダー氏の指導の下、人形職人としての修行を続けた。トューダー氏も職人として技を教えるからには、自分の孫であろうと、貴族の令嬢であろうと、指導に手を抜くことはなかったが、アデルは厳しい指導にも音を上げずについてきた。
綺麗な金髪は邪魔だからと上で無造作にまとめていたが、ある時面倒になったのかバッサリと切ってしまった。指先は常に小さな傷が絶えないようになった。普段はかつらと、手袋で隠しているらしい。
ウォーレスは最初のうち、貴族のお嬢様が出入りするなんてやりずらいなあと思ったが、アデルはウォーレスには見向きもせず、ただひたすら、人形作りに夢中になっていた。
そして、それから数年――一通りの技を覚え、アデルが自分一人で人形を作れるようになった時、ウォーレスは、彼女のことを認めざるを得なかった。
アデルには、才能がある。人形職人としての、確かな才が。
「この前、ファリスの街に行ってきたのよ。あなたの叔父様がやっているお店を見て来たわ」
「ああ、あれだろう、ファリス伯爵家の結婚式。それに出たんだろう?」
「よく知ってるわね」
背中合わせになってそれぞれの作業をしながら、ウォーレスとアデルは世間話をしていた。
「式が、とりわけ、花嫁の婚礼衣装があまりにも素晴らしかったからって、それに憧れた白いドレスの人形の注文が殺到したって、叔父さんが言ってたからね」
「ええ。綺麗だったわね、あのドレス。あんな見事なドレスを着せようと思うと、人形の方もそれに負けないように作らないといけないわ」
衣装との調和が大事なのよ、と呟くアデルは、デザイン画を描くためにペンを走らせていた。どうやら結婚式の間も、人形のことしか考えていなかったらしい。
ウォーレスは、アデルらしいな、と思った。
アデルには才能がある。それはデザインのセンスや、手先の器用さもそうだが――何よりも、来る日も来る日も、一日中、絶えず人形のことばかりを考えていられるということだった。
取りつかれたように、自分自身を捧げるように、ひたむきに情熱を傾けられるのは、もはや恋だ。
アデルはあの日、あの美しい人形を見た瞬間――この妖しく美しい世界に、恋をしてしまったのだ。
悔しいが、ウォーレスにはそこまでの才能はない。いや、自分の祖父や叔父であったって、ここまでだっただろうかと思う。
もちろん、ウォーレスだって努力はしている。だが、アデルを見ていれば、それが取るに足らないことのように思えてしまうのだ。
「君は結婚はしないのかい」
「しないわ」
レドール家の美しい高嶺の花の噂は、庶民の間でも有名だ。美しさゆえに次々と求婚されるが、その娘はどんなに位の高い貴族から求婚されても靡かないという。
当然だ。高位の貴族の奥方に収まってしまえば、人形作りなどできなくなるのだから。
彼女の心の中には、あの美しい人形だけがいるのだ。
それは暑い、ある夏の日のことだった。
ウォーレスは工房の裏で薪を割っていた。陶器を焼く以上、常に窯にくべる薪が必要で、夏であろうと大量の薪割りをしなくてはならない。手で額の汗を拭っていると、トューダー氏の店の前が突然騒がしくなったかと思うと、何事か言い争う声が聞こえてきた。
「お止めください。お引き取りを――」
「うるさい、この私が通せと言っているんだ、職人風情が、どけっ!」
祖父の慌てたような声と、かなり乱暴な男の声。ウォーレスははっとして、裏の勝手口から、急いで工房に戻った。そこには、見知らぬ男性と、睨みあうアデルがいた。
「出ていってちょうだい! 結婚は断ったでしょう!」
「この私が! 子爵家のお前に求婚しているんだぞ! 喜んで受けるのが当然だろうが!」
派手な身なりの男性は、口ぶりからするとかなり位の高い貴族のようだった。
「毎日毎日、どこかに出かけているから、ろくでもない男と会っているのかと思って後をつけさせてみれば、こんな汚らしい場所で……。美しい女が台無しだ。私ならもっとお前に相応しい美しい場所を用意してやる。美しい人形が欲しければいくらでも買ってやろう」
男が一歩進み出て、アデルの腕を強引につかもうとしたので、ウォーレスはかっとなり、間に割って入った。
「止めろ! アデルはお前なんか――」
相手は高位の貴族だ。そんな口の利き方をして、どうなるか分かったものではないが、どうでもよかった。だが、ウォーレスが言い返そうとした時、ガシャン、と後ろで大きな音がした。
はっとして振り返れば、アデルが真っ赤に熱せられた鉄の火かき棒――人形を焼く窯に薪をくべるためのものだ――を手に立っていた。
「うるさい! あなたは私を自分の横の飾りものにしたいだけでしょう! 美しい顔が何よ、そんなんだったら私はこんな顔、要らないっ!」
「アデル!」
そうして、アデルはぐっと目を閉じ、自分の顔に、熱せられた鉄を押し付けようとする。ウォーレスは慌ててアデルに飛びかかり、彼女の持つ火かき棒を奪い取った。鉄の少し熱くなったところが触れ、ウォーレスはぐっと呻きながら、火かき棒を取り落とした。
危ないところだった。もし、ウォーレスが止めるのが少し遅ければ、アデルの顔は火傷で爛れていたに違いなかった。
「…………気狂い女め!」
男は吐き捨てるように言うと、工房を出ていった。
男の馬車が遠ざかっていく音がして、アデルとウォーレスが、荒い息を落ち着かせたところで――ウォーレスはアデルを怒鳴った。
「何してるんだ!」
「この顔のせいで、もうウンザリなのよ! 次から次へと、私の気も知らずに、結婚結婚って!」
「だからってあんなことしたら、大怪我をするだろうが!」
言いながら、ウォーレスは、このまま放っておけば、アデルは自らの顔を焼きかねないと知っていた。それほど、人形以外のことはどうでもいいのだ。
ウォーレスは、アデルの肩に両手を置き、歯を食いしばった後、絞り出すように言った。
「アデル。提案がある」
「……何よ」
「僕と、結婚しよう」
アデルはかっとなって口を開いたが、ウォーレスは静かに首を横に振った。
「偽りの結婚だ。僕たちは夫婦のふりをするだけだよ。例えどんな高位の貴族だろうと、神が――教会が許した結婚には逆らえない。そうすれば君はもう誰に煩わされることもない。あんな男達のために、アデルが痛い思いをすることはないんだ」
「……。」
「いい、考えだろう?」
そう。そうすればアデルは、自分の愛だけに身を捧げていられる。
ひりつくように痛むのは――自分の胸だけでいい。
◇
アデルは、硝子の箱に写った自分の年老いた顔を見て、くすくすと笑った。かつて豊かに輝いていた金髪は、白く色褪せており、顔には皺が刻まれている。
「花が枯れるのはあっという間。別にそんなことしなくても、ちょっと辛抱すれば誰も私に見向きなんてしなくなったのに、私も若かったわね」
アデルの言葉に、ウォーレスは肩を竦めた。
アデル・レドールは、レドール家の爵位を捨て、ウォーレスと結婚した。
レドール家の跡継ぎに関しては問題はなかった。アデルの姉は別の家に嫁いでいたが、既に男子が二人生まれており、いずれは弟の方をレドール家の養子に迎えることで、話がまとまっていたからだ。
やがてアデルは独立し、ウォーレスと共に人形店を開く。最初こそ苦しい生活だったが、姉のフローラから、人形作りの注文を受けたのがきっかけで、アデルの人形職人としての名前が知られるようになった。
義妹に娘が生まれたので、そのお祝いに、と注文された可愛らしい人形を、ファリス家のご令嬢はたいそう気に入ったらしく、どこにいくにも連れて行ったのが人々の目にとまり、評判になる。
そうしてアデルの店には徐々に注文が増え、かつての師匠を思わせる忙しさとなった。
ウォーレスは、そんなアデルを『夫』として献身的に支えた。人形職人として、それだけに集中できるように、その他のことは全てウォーレスが一手に引き受けた。
元々貴族の令嬢だったので、生活力はほぼない――まあ、ウォーレスが甘やかしすぎたせいもあるが、アデルはウォーレスなしでは、まともに生活できない。
だが、二人は本当の夫婦ではない。その生活はままごと遊びのようなもので、二人は互いに抱き合ったこともない。
愛する女性の偽りの夫を演じ続けるという、途方もない思いに身を焼きながらも、それでもいいと、ウォーレスは思っている。
アデルは初めて会った時から変わらず、無邪気な少女のようなまま、自分の好きな世界だけを追い続ける。
そんな純粋な存在を傍で見続けて、愛さずにはいられないし、壊すことなどできるわけもない。
その思いは、いつまでも変わらない。
「自分の顔を焼こうとした女が、今更何を言っているのだか。失って初めて、美しさが惜しくなったかい」
「いいえ、むしろ嬉しくなったわ」
「何がだい」
「さて、何かしらね」
穏やかに言葉を交わしながら、アデルとウォーレスは背中合わせで作業を続ける。
人形は硝子越しに、そんな老夫婦を静かに見つめていた。
令嬢たちの物語はこれで完結となります。お読みいただき、ありがとうございました。
<おまけ>
ロザリー・アーランド
アーランド伯爵家ご令嬢。亜麻色の髪の、可愛らしい少女。
恋愛小説が好きで、恋に恋するという言葉がぴったりの女の子。
年齢よりも幼く見られがちな顔立ちで、可愛いと褒められるが、本人は美人と言われたいお年頃。
カイン・ファリス
ファリス伯爵家の一人息子。背も高くイケメン。オマケに若いのに仕事もできる、優秀。
それだけでモテ要素たっぷりだが、世の女性たちのアプローチにもなびかず、婚約者一筋だったのが、余計に女性達のハートをくすぐった罪な男。しかし、その実態はただの鈍感。
フローラ・アーランド
ロザリーの兄、エドガーの妻。旧姓レドール。
刺繍が得意で、その他様々な淑女のたしなみを素敵にこなす器量よし。手のかかる妹がいたため、面倒見がいい。
若いころはややこじらせていた。誰にでも中二病というか黒歴史はある。
エドガー・アーランド
ロザリーの兄であり、アーランド家次期当主。カインとは友人。
朗らかで優しい性格の男性。ルックスに関しても、温和で優しい性格が顔立ちに現れている。
というより、アーランド家は丸顔・童顔の家系である。
アデル・レドール
フローラの妹。絶世の美少女と名高い、美しい容姿の持ち主。
天真爛漫、自由奔放で、こうと決めたら一直線な性格。
人形作家、トューダー氏に弟子入りし、人形作家になって、美しい人形を作ることに一生を傾けた。
なお、師匠から少年の人形を譲り受けた後は、アデルはそれを師のようにしまいこまず、常に目標として見える場所に飾っていた。トューダー氏はそれに引っ張られて自分の作品が作れなくなることを嫌っていたが、アデルはむしろその逆。
ウォーレス・トューダー
アデルの良き理解者であり、支援者であり、保護者であり、その他もろもろ便利な人。基本器用なので家事も事務もそつなくこなす。
人形職人・トューダー氏の孫。ウォーレスの叔父(トューダー氏の息子)はファリス領で店を構えている。
なお、ウォーレスの母は小さい頃、バラバラ殺人事件な光景の人形工房にうっかり入って大泣きした。愛娘に「お人形さん怖い、大嫌い」と泣きながら言われたのが、トューダー氏的にはちょっとしたトラウマ。




