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雪明かりに花咲く  作者: 梨野可鈴
外伝:そして季節は巡る
8/9

ハーバリウムの情熱(2)


 ウォーレスの一日は、アデルがベッドにいるかどうか、確認するところから始まる。


 ベッドで寝ていれば、用意した朝食を、起こさないようにそっとベッドサイドに置いておく。ベッドで寝ていなければ、工房に様子を見に行く。

 そこで彼女が机に突っ伏して寝ていれば毛布をかけて、やはりそっと朝食を置いておいてやり――寝ずに人形制作に夢中になっているようであれば、朝が来たことを教えてやり、朝食を取らせる。


 開店まで、店の掃除をして、人形ひとつひとつに丁寧にハタキをかけて磨く。

 店番をした後は、昼食の準備をして、やはり作業に夢中になっているアデルを呼び、食事をさせる。店を閉めた後は、帳簿の管理をした後に、工房にある材料の在庫をみて、必要な材料を注文。


 工房を掃除して、夕食の材料や日用品の買い出し。これには時々アデルも同行させる。

 別に買い物はウォーレス一人で十分なのだが、アデルは放っておけば、延々と工房に籠もってしまうので、彼女の健康管理のためにも外に連れ出して歩かせるようにしているのだ。

 面倒がるアデルの、何日も着たきりの服を替えさせ、髪をとかして結ってやる。汚れた服は選択桶に放り込んでおいて、後でウォーレスが洗うのだ。


 外に出れば、気まぐれで好奇心旺盛なアデルは、ウォーレスにあれこれ注文を出す。


「ねえ、ウォーレス。あの果物美味しそうね。買ってちょうだい」

「はいはい。じゃあ、晩ご飯の鶏肉のソテーには、夏蜜柑のソースをかけようか」


 夕食を用意し、片付けをする。その間、アデルは作りかけの人形を作ったり、新しいデザイン画を描いたりしている。そんなアデルの様子を見送った後、いつでもつまめるように簡単な夜食を用意する。


 こんなに良い夫はそうはいないだろう、とウォーレスが言うと、アデルは目を細める。


「どちらかといえば良妻だわ」

「市場のおかみさんにもよく言われるね」


 二人は笑い合って、おやすみの挨拶をした。ランプを点けて工房にこもるアデルを見送り、ウォーレスは一人、ベッドに入る。


 ◇


 トューダー氏は、名の知れた人形職人であった。

 以前は市場のある港町に店を構えていたが、今は店を息子に譲り、ゆっくりと自らの好きな人形を作っているという。

 アデルはトューダー氏に会うと、興奮してまくしたてた。


「ありがとう! あのお人形、とっても素敵! あんなに美しい人形、初めて見たの。私、お人形が大好きになったわ」


 トューダー氏はしゃがむと、頬を上気させたアデルの顔をまっすぐ見た。


「そうかい、それは良かった」

「ねえ、どうしたら、あんなお人形が作れるの?」

「うむ……お嬢さんみたいに、受け取った人が喜んでくれるように、心を込めて作ることかのう」


 それも一つの答えには違いなかったが、アデルが知りたいのは、あの美しい人形ができる工程だった。


「私、お人形を作ってるところを見たいわ!」

「アデル。父様達は仕事があるのだから、ご迷惑をかけるんじゃない」


 父はアデルを諫めた。トューダー氏もアデルの申し出に少し困ったように眉を寄せる。

 もちろん、仕事の話があるのもそうだが、人形の工房に、少女を入れることを躊躇う理由は他にあった。


 そこに声をかけてきたのは、アデルと同じくらいの年の男の子だった。


「大丈夫だよ。お祖父ちゃんがお客様と話している間、僕が工房を案内してあげる」


 ぼさぼさの髪の、汚れた格好の男の子が、ドアの隙間から顔を見せた。


「……しかし、ウォーレス」

「ありがとう! ねえ、お父様、いいでしょう?」

「うむ、あー、いや、ご迷惑でなければだが……」


 多忙なアデルの父は、さっさと用事を済ませたかったので、アデルをトューダー氏の孫らしい男の子にお守りをさせておけるなら、と思ってそう答えた。

 トューダー氏は、仕方ない、と、アデルを工房に入れることを許可した。


「こっちだよ。割れ物も多いから気をつけてね」

「ええ」


 アデルはわくわくしながら、男の子について工房に入った。まず感じたのは、塗料のような臭い。道具だろうか、様々なものが机に置かれている。


「わあ……」


 貴族の令嬢であるアデルにとって、このような場所は初めてだった。雑然と散らかり、埃っぽい。だが、初めて見るものばかりで、心が浮き立つ。

 そして、その奥にあるものを見て、アデルはぎょっとした。


 裸の人形が、ごろりと机に転がっていた。しかし、髪の毛はなく、頭はつるりとして、目も落ち窪んだ穴である。

 そうか、これが作りかけの人形なんだ……と、アデルは納得した。はっきり言って、かなり不気味である。


 トューダー氏がアデルを工房に入れるのを躊躇った理由はこれである。

 人形の工房には、人のパーツが不完全な状態――まだ頭だけのものや、腕や脚なども無造作に置いてある――で、並んでいるのだ。

 工房の中でそれを見たら、小さな女の子は怖がってしまうのでないか。そう、トューダー氏は思ったのだ。


 そんな心配をされていたとはつゆ知らず、アデルは色つきのガラス玉を指でつまみ上げていた。

 人形に嵌める眼球だったが――アデルはそれを見て不思議だと考えていた。


 人形って不思議だわ。人間と同じ形をしている、むしろ、人間より整った形をしているのに、どこか怖いのよね。部品になればさらに。


 あちこちを興味津々で見ているアデルに、男の子は得意げに説明した。


「これはね、人形の髪の毛だよ。綺麗に色をつけた綿なんかを使うんだ」


 男の子は、手に髪の毛の束を持って、小さな人形を示した。まだ髪の毛をつける作業が途中らしい人形は、頭の半分しか髪がないことを差し引いても、何となく滑稽だった。


「そのお人形、変。まあまあ可愛らしい顔だけど、人間っぽくないわ。カエルみたい」


 アデルに指摘され、男の子はむっとした様子だった。


「……仕方ないじゃないか。まだお祖父ちゃんみたいには出来ないよ」

「それ、あなたが作ったの?」


 アデルは驚いた。まさか自分と同じ子供が、造形に多少の難があるとはいえ、ビスクドールを作っているとは思わなかった。


「まあね、僕も大きくなったら、お祖父ちゃんや叔父さんみたいな人形職人になるんだ」

「ふうん。じゃあ、もっと上手にならないとね」


 少し意地悪な言い方になってしまったのは、アデルが男の子のことを羨ましいと思ったからだった。この子も人形が好きで、将来、一日中人形に触っていられる仕事につくため、今から努力しているなんて。


「そのために練習してるんだ。……お祖父ちゃんは、本当に人間そっくりに作るんだ。人形は小さく作るけど、もしお祖父ちゃんが、人間と同じくらい大きな人形を作ったら、きっと人と見分けがつかないよ」

「ええ、きっとそうね」

「……ははは、いくら何でもそれは無理じゃな」


 レドール子爵との打ち合わせを終えたトューダー氏が、笑いながら工房に入ってきた。


「お嬢さん、怖くなかったかい?」

「全然よ。ねえ、どうして無理なの? あんなに綺麗なんだもの。人間そっくりに作れば、間違えて声をかけて、きっと皆びっくりしてしまうわ」

「……いいや、それは難しいことなんだよ」


 トューダー氏は、職人としての顔になって、険しい顔で首を振った。


「人形というのは、人間に近付きすぎてはいけない。人間に近く、人間でないもの――そういったものを、人間は気味が悪いと思うものだからだよ」

「……わからないわ。だって私は人間なのに、お人形さんみたいだって言われて可愛がられたわ。私はお人形じゃないけれど、私と見分けがつかないくらいそっくりの人形があれば、皆嫌がるかしら?」

「お嬢さんそっくりのお人形を作るのは、儂には難しいねえ」

「できるように、もっと練習すればいいのよ。この子みたいに」


 アデルが男の子を差して言うと、男の子は何を言うんだというような顔でアデルを見た。トューダー氏は呆気にとられた後、やがて肩を震わせて笑い出した。


「ああ、ああ、本当に面白いお嬢さんだ。そうじゃな、儂の腕がもっと良ければできることなのかもしれない。事実――それを成し遂げた職人が、かつているのだから」

「え?」

「ふふふ。こんな気持ちになったのは久しぶりじゃよ。職人は常に満足してはいかんのじゃ。思い出させてくれたお礼に、お嬢ちゃんには、特別なものを見せてあげよう」

「!」


 トューダー氏は、工房の奥から、大きな木箱を出してきた。

 まさに人間が入りそうなくらい大きな箱。アデルはその中に入っているものに期待して、目を輝かせた。

 男の子もこの箱の存在は知らなかったらしく、首を傾げている。


「お祖父ちゃん。それは何?」

「作者は不明。儂も師から受け継いだもので、見た時は腰を抜かしたものだ――」


 木箱にかけられた閂を外し、ゆっくりと蓋を開けていく。その中にあったのは――この世のものとは思えないほど美しい人形だった。

 今にも息をして動き出しそうなほど瑞々しい肌と艶めかしい唇。しかし、生きた人間には決して持ちえない、どこまでも整った造形。美の象徴ともいうべき、少年の人形がそこにあった。


「……すごい」


 アデルは、衝撃を受けて、やっとそれだけの言葉を発した。男の子も、息をのんでいる。

 胸の高鳴りを抑えることができなかった。これは果たして人形なのか。――あまりの美しさに、神か悪魔によって時を止められた人間ではないのか。

 そう思ってしまうくらい、アデルはその存在に惹きつけられていた。


人間に似せた像が、人間に似れば似るほど好感度が高まっていくが、あまりに似すぎるとある一点でぐっと嫌悪感が出るという現象を、不気味の谷というそうです。

リアルすぎるマネキン人形は気持ち悪いと思うアレですね。デパートのモデル人形はそうならないよう、あえて人間に似すぎないように調整しているそうです。

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